会長だより ㉓ 繁昌亭をわかせた同窓生トーク

(2024年3月10日)

繁昌亭をわかせた同窓生トーク

緑友会長 川本正人(21期)

話芸の聖地でこんな舞台が見られるとは思ってもみませんでした。上方落語を年中楽しめる天満天神繁昌亭で昨夜開かれた「上方林家 染二爛漫lot.32」。冒頭、染二さん(23期)ら母校出身の落語家4人が「高校同窓生トーク」を繰り広げたのです。校舎や食堂メニューの移り変わりなど一般の方々にはほとんど関係のない思い出交じりにもかかわらず、さすがは人気の実力者たち。10分間、会場に笑いと感嘆の声をあふれさせました。

私のいた1階153席はほぼ埋まる盛況。舞台には座布団が4枚。そこに染二さんが一人座って開幕です。「笑点のように並ぶ座布団。実は私どもが卒業しました大阪府立東住吉高校が今年70周年を迎え、本日出演者の皆さんは、それを考えたわけでもないのに全員同窓生なのでございます」と、いきなり出ました母校の名前。しかも「70周年」の冠付き。

染二さんの招きで登場したのは、若手の桂しん吉さん、桂團治郎さん、笑福亭呂翔さん。まずは卒業期数の自己紹介です。「私は23期生。しん吉さんは?」「普通科換算で40期、途中でできた芸能文化科2期です」と東住吉らしい数え方。続いて團治郎さんが「普通科換算で50期、芸能文化科12期」「ほお、23期はその半分やないか。で、呂翔さんは?」「私は普通科換算で60期」「ええっ!23期がものすごく干からびた感じになるなあ」「そうですね」「そうですねえ? 言うたな! ワシにも考えがあるで!」。卒期ネタでもわかせられるんですね。

話題は若手の師匠選びにも。「芸能文化科で落語を教えていたのはうちの師匠の4代目林家染丸。なのに林家には誰も入門しない」と苦笑する染二さんに、若手が「それは『生徒からは取らん』という話があったから。そのうちスゴい師匠に出会って……」と事情を説明。これに染二さんが畳みかけます。「うちの師匠よりスゴかったんやな」「米朝ブランドに揺らいだんやろ」。文字に起こすとキツそうですが、ナマでは師匠方への敬意が感じられました。

終盤は母校に在籍した有名人。女優の中条あやみさんやマナカナこと三倉茉奈さん、佳奈さんを挙げ、「会うたら『先輩やでえ』って言えるんです」と、こちらまでうれしくさせたうえで、「一番有名な人って誰?」と水を向ける染二さん。「そら今やったら中条あやみさん」と断言する若手を前に渋い顔となり、会場は大爆笑。そこで若手がすかさず「染二師匠が一番です!」。大きな拍手で締まりました。

◇ ◇ ◇

さて、この公演を知った私たち緑友会スタッフは、開演前、4人そろい踏みによる母校への創立70周年メッセージを録画させていただきました=写真=。約8分半。直前の打ち合わせのうえぶっつけ本番でしたが、一発OKでした。緑友会ホームページ初の動画として近く公開します。

また収録前には、来場者に配る公演案内チラシの挟み込み作業にもスタッフ5人で参加。あわただしい中で収録に快く応じて下さった皆様を少しでもお手伝いするつもりでしたが、やってみると文化祭の準備のような楽しいひと時になりました。母校の先輩後輩という間柄がそういう気持ちにさせたのかもしれません。皆様、本当にありがとうございました。

会長だより ㉒ 「日常」を取り戻してくれた君たちへ

(2024年3月3日)

「日常」を取り戻してくれた君たちへ

緑友会長 川本正人(21期)

1日に行われた普通科67期、芸能文化科29期、計265人の卒業式。その前日、式の予行の合間に、緑友会の入会式もありました。体育館に集まった生徒たちは、拍手を交えながら、会の話を朗らかに、しっかりと聞いてくれました。以下私からの歓迎のごあいさつを一部採録し、卒業生へのはなむけとさせていただきます。

◇ ◇ ◇

まず、皆さんにお礼を申し上げたい。母校によく、「日常」を取り戻してくれました。本当にありがとう。

皆さんが入学されたのはコロナ禍の真っただ中。伝統行事が中断し、登校もできず、私たちは「体育祭できるやろか」「卒業公演はどうやろ」「部活や授業は」と気をもんでいました。しかし今日を迎えてみると、皆さんはまるで、そんなことはなかったかのように明るく、これまで以上に母校を盛り上げ、伝統をつないでくれました。これは卒業生にとっても、すごくうれしいことです。

その卒業生は2万8000人超。ここまでになると、あらゆる分野、地域、年代でその存在を感じられます。例えば私は普通科21期生です。皆さんとご縁のあった21期生というと、代表は島本一彦先生。17年間、皆さんがお生まれになったころから母校の教壇に立っていました。いよいよこの春、担任をした皆さんと一緒に〝卒業〟されます。もう一人。年1、2回、進路講演会で近畿大学から来ている講師。「夢実現に向けて」と、楽しくためになる話をしていた彼も21期生です。私と同じハンドボール部でした。全国を飛び回る人気講師で、もうすぐ講演4000回を数えます。

このように、21期生に絞ってもすぐ1人2人の顔が浮かびます。それが66期生分いるのです。これはすごい財産です。

しかもこの卒業生たち、たくましくて、母校に愛着を抱いている人が多いです。私たちの母校は、「ぶっ飛んだ経験」「規格外の経験」ができます。例えば伝統行事に学年やクラスを越えて取り組み、力を合わせ、ぶつかり、延々と練習を重ねて一つの形にする。そして思いもよらなかった感動に包まれる。こうした経験です。勉強、スポーツ、技能の習熟に秀でた学校はありますが、それらの土台となる「人間力」を養う場を、全ての生徒に、何度も提供している学校は多くありません。

そして、私たち卒業生も全員、皆さんと同じ空間で、同じような経験をしています。私たちが年齢に関係なく母校を語れるのは、この共通体験のおかげなのです。そういう絆で結ばれた皆さんに、私たちは連帯感を持っています。何かあったら必ず味方になってくれるはずです。

これからの時代、大きな変化があらゆる分野で起きます。戸惑うこともあるでしょう。けれど島本先生に習った日本史でお気づきように、これまで「激動」でなかった時代はありません。常に課題があり、それを乗り越えて次代につなぐ、その繰り返しでした。

皆さんはすでに、皆で乗り越える経験をしています。たくましさも身に着けています。周囲には大勢の卒業生がいます。ですから自信を持って、明るく積極的に、時代に乗り出してください。

もちろん、私たちも応援しています。

会長だより ㉑ おいちゃんのお稲荷

(2023年11月14日)

おいちゃんのお稲荷

緑友会長 川本正人(21期)

食堂を営んでいたおいちゃん(64)は、5年前に奥さんをがんで亡くしました。親子遊びなど楽しい時間を提供するボランティアサークルで活躍した人でした。緩和病棟に入り、自分は何も口にできなくなってからも、夫の作るうどんやすしを家族やお見舞いの人々に食べてもらい、それをうれしそうに眺めていたそうです。

おいちゃんが2年前にキッチンカーを買ったのも、介護施設などで暮らす人たちに、出来立ての料理を食べてもらいたかったから。「あの時のヨメさんの顔が、忘れられへん」という理由です。

この11日(土)、母校の恒例行事「チャリティー100㎞リレーマラソン」に、そのキッチンカーがやってきました。40年間頑張ってきた店を5月末に閉じたばかりのおいちゃんが、緑友会の応援炊き出しに、ボランティアで参加してくれたのです。

藍染めの作務衣を着込んで車内にこもり、生徒たちに振る舞ったのは稲荷ずし。一皿2個で、1つにはカニかま、チーズ、べったら漬け、もう1つにはツナマヨ、しば漬け、しいたけ昆布、べったら漬けをのせた、若者向けのオリジナル。正午のスタートに先立ち、朝8時から延々6時間、1030個を黙々と詰め続け、順に走り終えた生徒たちが「うまっ」「おいしい」と一皿残らず平らげてくれました。

「ヨメさんの遺志を継ぐって言うたらたいそうやけど、あんなに喜んでもろて、やってよかったわ」とおいちゃん。旧友たちにそう呼ばれる21期生、堺市「志乃家」の出張料理人・伯井弘行さん、ごちそうさまでした! ホンマ、おおきに!

チャリティー100㎞リレーマラソンは、生徒たちが1周250㍍をリレーし、賛同した人々からの寄付金をネパールの子どもたちなどに贈る取り組みです。今年で18回を数え、緑友会も近年、コースわきにエイドステーションを設けて応援しています。これまでは市販の飲食品の提供でしたが、今回は「ライブ感のあるにぎわい空間づくり」「卒業人材の活用」というコンセプトを前面に、初めて炊き出しにしました。

提供したのはキッチンカーの稲荷ずし、大鍋の豚汁、デザートのミカン。すし米10升は会員4人が家で炊き、伯井さんの用意した酢などを合わせて持ち込みました。豚汁の野菜も3人が前日に刻んで1回分ずつ袋に小分け。当日は伯井さんと事務局の女性スタッフが揚げにすし米を詰め、この日初めて応援に来てくださった男女7人の21期生らがトッピング。豚汁はプロパン3本と五徳3基に携帯コンロも併用し、会の役員やスタッフが約500杯を出しました。

「縁は異なもの」と題した「会長だより①」から20回超。こうした取り組みを通じ、ご縁の大切さを一層強く感じるこのごろです。伯井さんの登場でチャリマラの風景が一変したように、2万8000人を超える卒業生がそれぞれの形で協力し合えば、緑友会は相当の力を発揮できるはず。伯井さんとの経緯を含め、さまざまなご縁、ご協力については、改めてご紹介します。
100kマラソン

会長だより ⑳ 「思い出」支援 ―― 平均75歳の霧ヶ峰再訪に寄せて

(2023年10月13日)

「思い出」支援 ―― 平均75歳の霧ヶ峰再訪に寄せて

緑友会長 川本正人(21期)

「モノより思い出。」というミニバンのキャッチコピーが出たのは1999年。バブル崩壊後の「失われた10年」真っただ中でした。あれから四半世紀。人生で一番やらなければならないことは「思い出の積み重ね」だと、年齢を重ねてますます思うようになっています。最期に幸福感をもたらすのは思い出です。それに思い出は「経験」とも言えます。打席に立つことで選球眼が磨かれるように、経験を積むほど人生を切り開く力は強まるはず。お金やモノと違い、失われることもありません。

学校時代の思い出に挙がる修学旅行。けれど東住吉高校では、創立以来30年近く、「霧ヶ峰キャンプ」が〝旅行〟の代わりでした。夏休み中の4泊5日、標高1600㍍の高原で学年丸ごと自活する全国でもまれな行事。寝場所は昔ながらの三角テント。周りにスコップで排水溝を掘り、水平とは言い難いデコボコの地面にロープとペグで設営しました。食事は飯ごう飯やカレー。まきが燃料です。飯ごうの火加減は「はじめちょろちょろ中ぱっぱ」。炊け具合は、小枝をふたに押し当てて感じるコトコトという響きと、お焦げのかすかな匂いで計りました。

多少の風雨ならそれもキャンプ。日中は登山や湿原散策、夜はキャンプファイヤー、そして星空……。太古の昔から、人類はほとんどの歳月をこのキャンプのように生きてきました。宇宙の悠久さ、自然の雄大さ、仲間たちとの一体感を全身に感じて過ごした昼夜は、「自分は小さい」と知る謙虚さと、「食べて眠れば生きていける」というしぶとい生き物感覚を呼び覚ましてくれたと思います。

車山山頂から望む八ヶ岳(正面)。右奥に富士山も浮かぶ(2023年10月、吉川憲司さん撮影)車山山頂から望む八ヶ岳。右奥に富士山も浮かぶ(2023年10月、吉川憲司さん撮影)

その霧ヶ峰を、先日、緑友会の役員ら3人を含む男女5人が2泊3日で訪れました。5期生3人(79~80歳)と16期生、18期生の混成チームで、平均75歳。この夏、同期生との食事会や緑友会の活動でそれぞれ霧ヶ峰が話題になり、互いのメンバーが結びついて「行ってみよう」となったそうです。最初は高校時代同様、大型バスを仕立てての再現旅行を計画しましたが、途中でハタと高齢に思い至り、安全優先で少人数に変更。母校の体育教師15年目の吉川憲司さん(68)(緑友会会計)運転のミニバンで7時間かけて現地入りし、メンバーの一人が63年間保存していたガリ版刷りの「しおり」を参考に行程を組みました。ホンマお元気や。

とはいえ、持病のある人は医師の許可を得ての参加。体調に配慮して一部の行程をホテルで過ごす人もありました。それでも一行は、高原の最高峰・車山(1925㍍)にリフトで上がり、日本アルプスの全景を望む360度の大パノラマを堪能。遠くの富士山にかかっていた雲も、「どっか行って!」「はよ行って!」の大阪弁に気おされたのか、やがてすっきり晴れてくれました。

メンバーの中には、高校当時、霧ヶ峰キャンプに行けなかった女性もいました。健康上の理由でした。彼女は今回、眠る同期生を部屋に残し、夜中に一人、ホテルを出たり入ったり。あの日見られなかった星空を、何とか一目と思われたそうです。長い間、ぽっかりぽっかり欠けたままだった思い出のピース。高原の夜風や流れ星は、ちゃんと届けてくれたでしょうか。

旅の楽しみは、計画段階、最中、行った後のそれぞれにあります。特に「行った後」の思い出は、いつでも何度でも楽しめる宝物です。

これは高校生活も同じだと思います。「卒業後」に残る青春の思い出が、たとえそれが苦いものであっても、決して無駄にならないことを、生きる力になることを、先ほどのメンバーたちが示してくださっています。

緑友会は、同窓会活動とともに「母校支援」を活動の柱にしています。後輩たちにさまざまな思い出を積み重ねてほしいからです。ご支援を募っている「(仮称)緑友ホールプロジェクト」もその一つ。いまだに空調機がなく、昼食時以外は施錠されている薄暗い学校食堂を「にぎわい空間」に改修する計画です。

完成目標は創立70周年の来年夏。生徒たちが明るく楽しく積極的にすごせる環境を少しでも整え、それがご支援くださった卒業生たちの思い出にもなればいいな、と思っています。

会長だより ⑲ 惜し、夏

(2023年9月18日)

惜し、夏

緑友会長 川本正人(21期)

 

昨日、二上山に登ると、ツクツクボウシがあちこちで鳴いていました。秋の気配を運ぶその声を、いにしえの人々は「つくづく惜し」と聞き、行く夏を惜しんだそうです。

今夏、酷暑と災害に見舞われ続けた現代人は、とてもそんな気持ちにはなれないでしょう。けれど私には一つだけ、「惜し」と思うことがあります。来年の母校創立70周年に向け、みなさまから広くご支援を募ろうと導入した2,000円定額の「コンビニ振込」が8月末で終了したのです。決済システム会社との取り決めによるものですが、大勢の方々にご利用いただいていただけに、もっとPRできなかったか、期間を交渉できなかったかと、心残りです。

7月の「だより⑮」の続きですが、今年度のご支援は、9月初めまでの5か月間で312万1,360円。昨年度1年分の2倍半になりました。件数は966件。これは4倍です。

金額の4割(117万2,000円)、件数の6割(586件)を占めたのが、6月から3か月間限定だったコンビニ振込。会報と一緒にお送りしたお名前入りの用紙をコンビニに持っていくだけで、会則で定めた応援会費1年分と同じ2,000円を送金でき、ご支援のすそ野が一気に拡がりました。一方、郵便振込によるご支援もグンと伸びました。高額のご厚志に加え、コンビニ振込用紙が郵便局でも使えたことから2,000円のご支援も増加。郵便振込だけで昨年度1年分の合計金額、件数を優に超えたのです。

今年度導入した「同窓会システム」では、ご支援金の内訳をさまざまな切り口で取り出せます。データを卒期順に並べるとグラフのようになりました。折れ線グラフは「金額」、棒グラフは「件数」です。

ご覧の通り、30期生前後(50歳代半ば)より上の世代はしっかり厚く、それより若い世代では一気に薄くなっています。人生の四季で言えば「青春・朱夏」と「白秋・玄冬」の間、ツクツクボウシの声聞くころが境目です。暮らしに多少とも余裕が生まれ、来し方に思いをはせる時期に当たるからでしょうか。

ちなみに金額でトップだったのは21期生(63~64歳)。49件、22万4,000円でした。私の期です。といっても転勤族だった私は級友たちと没交渉。起爆剤となってくれたのは、忘年会などで唯一つながっていた元ハンドボール部の仲間でした。ミニ同期会「バーベキュー大会in長居公園」を企画していた彼は、6月初め、参加者向けのLINEに一言添えてくれたのです。

「別件。お手元に緑友会報が届いているかと思います。会長に頼まれた訳ではないけど、応援してあげて下さい」

それからは「親子で振り込んだ」「ワシも行ってきた」といった報告が続々。バーベキューは雨予報で延期となりましたが、ご支援の方は夏嵐。全卒期を通して最も大口のご寄付もありました。みなさん、ホンマ、ありがとう。

クチコミの威力、ご縁の可能性はすごいです。みなさまもご友人へのお口添えを、ぜひお願いします。

さて、創立70周年に向けた取り組みはあと1年続きます。二上山のように次のピークを作っていくのが私たちの課題。どうしようかと考えながら下山していたら、ツクツクボウシが応援合唱を始めました。

〽 つくづく奉仕 / 続々押―し / すくすくよーし / あぁ、いーよ / 尽くしーよ / しっかりーよ / イェーッ!……。

会長だより ⑱ 「がきデカ」文化祭

(2023年9月2日)

「がきデカ」文化祭

緑友会長 川本正人(21期)

 

あんな模擬店がよく許されたものです。1975年9月の東住吉高校文化祭。私たち1年4組が開いたのは「ゲイ喫茶」。呼び物は「ゲテモノショー」、目的は「変態を楽しんでもらうこと」でした。

「今さら書かんでもええやないか」「母校の品位を考えろ」と早くも聞こえる制止の叫びは、空耳ではないでしょう。確かにあの企画は、学習活動の成果発表とはほど遠いものでした。悪ふざけだとマユをひそめた大人もいたはず。ダメ出しの理由はいくらでも挙げられたと思います。

けれど私は、それを明るく真面目に平然とやった生徒たちと、何も言わずにやらせてくれた母校に、半端ではない「自主の精神」を感じるのです。

ゲイ喫茶で女装男子(私)と記念撮影をする1年生たち

入学半年近くのクラス会議。出し物はすんなり喫茶店に決まりました。お手軽で楽しそうだったからです。ところがここから弾けます。「普通の店では面白くない」「どうしたらみんなに来てもらえるか」と差別化に話が進んだのです。その時、陸上で筋トレばかりやっていた水泳部の男子が案を出しました。「『がきデカ』の変態、やらへんか」。

「がきデカ」は、前年から週刊少年チャンピオンに連載されていた人気ギャグ漫画。2頭身の自称少年警察官が変態行動で騒動を巻き起こす1話完結ものです。「死刑!」などの一発ギャグと下ネタでインパクトを与えるとともに、劇画調の表現、ボケとツッコミの導入といった手法で現代ギャグ漫画の基礎を作ったとされます。

とはいえ当時は評価が定まっていたわけでなく、むしろ有害コミック扱い。にもかかわらず「がきデカ」に熱中し、教室で読んではガハガハ笑い声を響かせていた水泳部員が、あろうことか文化祭の教室でその世界をリアルに表現しようと言い出したのです。作品を評価する彼の目が、世間より確かだったといえなくもありません。

ショーの具体化にも真剣でした。漫画では次のコマで突然ギャグが飛び出したり、主人公が象に変身したりします。その落差と場面転換の速さが生む笑いをどう再現するか。「パッと出て、ビシッと決めて、サッと消えるんや」「真剣にやらなあかん。ヘラヘラしてたらシラケてまう」。不真面目な世界を真面目に表現する打ち合わせが続きました。

「変態の面白さ、さっぱりわからん」と思っていた私も感化されたのでしょう。「ゲイの方は任せとけ。美人に化けたるで」とすっかり乗り気に。クラスの女子に「服貸して」と、ご両親が目をむきそうなことを真面目にお願いし、ビチビチのワンピースを調達したのでした。

当日の教室。前半分は机を並べた舞台。窓は赤色系のカーテンで覆われました。ゲイ喫茶と言っても女装男子が給仕するだけ。怪しげな雰囲気はなく、店内に満ちたのはギャグ漫画に通じる即興的な笑いでした。

そしてショー。海パン1枚の水泳部員が単身、「ウォ~ッ!」と奇声を上げて舞台を走り、ピタッと止まって筋肉ポーズ。次の瞬間、ワキ毛に見立てたモヤシをむしってほお張り、あっという間に走り去るーー。時間にして数秒だった気がします。満席の店内は一瞬あぜん、そして大爆笑。がきデカには全く笑えなかった私でしたが、リアルな熱演には腹筋崩壊。そして胸中で叫びました。「受けたぞぉ!」。

日常生活を共にする級友同士だから生み出せた非日常の世界。それは起業・興行体験でもあり、その日限りの異次元体験プログラムでもありました。

母校のスローガン「二兎を獲る」の二兎は、文武両道だけでなく、動と静、攻と守、奮起と抑制、自由と規律など、さまざまな二律で考えていいと思います。社会を維持する「静・守・抑制・規律」、時代を前に進める「動・攻・奮起・自由」。どちらも不可欠です。そして東住吉の強みは後者を生む素地。時にはリミッター(抑制装置)を外してぶっ飛び、思いもしなかった世界を体感させてくれる伝統にあるのではないでしょうか。

1週間後の9日(土)は母校文化祭の一般公開日。ぶっ飛んだ企画、あるかなあ?

 

※ 次の文化祭では、緑友会もテントを設営します。正門からのメイン通り、緑のノボリが目印です。(仮称)緑友ホールプロジェクトのご案内、母校絵はがきの販売のほか、談話スペースも設けます。気軽にお立ち寄りください。

会長だより ⑰ 40年目のメッセージ

(2023年8月19日)

40年目のメッセージ

緑友会長 川本正人(21期)

40年前の旧暦七夕、1983年8月15日に、彦星(アルタイル)に向けて、米国の電波望遠鏡からメッセージが送信されました。地球の数字や元素、太陽系、生物の進化、DNAの構造などを表した13枚の画像と子どもたちの音声です。地球外知的生命体の存在を仮定して週刊少年ジャンプ(集英社)が企画し、東大東京天文台(現国立天文台)教授らが実施。このような試みを日本人が行うのは初めて、世界でも2例目だったそうです。

そして今年の旧暦七夕、8月22日に、返信の受け取りが試みられます。協力するのは長野県にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)の観測所。ふだんは小惑星探査機「はやぶさ2」などと通信しているパラボラアンテナを、1時間だけ彦星に向けるとか。彦星との距離は17光年。地球からのメッセージが2000年ごろに到達し、彦星人が内容を解析、返信内容を決めた後、電波を送り続けていれば、受診できる可能性はゼロではない……という、新聞で読んだお話です。

もし受信できたら、映画「コンタクト」(97年)のように科学、宗教、政治を巻き込んだ騒ぎになり、「地球人」の自覚が大勢に芽生えるかも。奇しくもアルタイルの星言葉は「空想的で現実的」とか。宝くじに似た期待を抱きます。

彦星に発信された「人間」と「女性の顔」の画像

 

発信された83年、国内では東京ディズニーランドの開園、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」の発売などがありました。貧しい農村に生まれながら経営者として成功する女性を描いて国際的ブームとなったNHK連続テレビ小説「おしん」もこの年の放映です。日本はその後、バブル崩壊や相次ぐ天災に見舞われるのですが、全体としては今も平和と繁栄の中にあると思います。けれど同時に、「40年分進歩したのかな?」というもどかしさも覚えるのです。

世界に目を転じると、83年にはソ連による大韓航空機撃墜事件や米軍のグレナダ侵攻、前年には「兵器の実験場」と言われたフォークランド紛争がイギリスとアルゼンチンの間で起きています。その後、ソ連解体やEU発足で冷戦に終止符が打たれるかと思ったら、「民族」や「国家」が争う時代に逆戻り。技術が発達した一方、温暖化なども進みました。地球人はどうも40年前と変わっていない。彦星人にはそう見えるかもしれません。

緑友会はどうでしょう。母校創立30周年の84年、会報4号(2㌻)が発行されました。前号から17年ぶりで、「同窓会活動を盛り上げていきたい」と、この年からの毎年発行を宣言しています。70周年を前にした私たちも思いは同じ。会報に加え、時代に合わせて同窓会システムやホームページといった電子技術の本格導入にも踏み切りました。

40年前に成人となった25期生は今年度、還暦同期会を開きます。ほかにもコロナ禍で控えられてきた同期会、同窓会、OB・OG会が企画され始めました。同窓会システムやホームページは、広報や所在不明者探し、出欠確認などに早速利用されています。

若いころの友人との再会で不思議に思うのは、会わなかった間の互いの人生がひとまずカットされ、過去と現在の時間軸がすんなり一本になることです。彦星に送信された画像のように素朴でシンプルな、隠しようのない「素」の自分で接するからかもしれません。先ほど触れた会報4号で、当時の会長が「同窓」という言葉の由来を原典の漢文を引いて解説し、「同じ学問をする者を同窓と言う。利害関係を越えた同志の結びつきである」と述べておられました(どこぞの会長とは格調が違いますわ)。なるほど、同じ学び舎で育んだ同窓の絆は、その後の個人に付いて回るようになった様々な要件とは無関係です。

だとすると、40年前と変わらずにいることが大切なこともある。その当たり前に思いが至り、気分が少し晴れました。

同窓のみなさんが心のパラボラアンテナを開き、時空を超えたメッセージを受信・発信できるよう、夏の星空に祈ります。

 

会長だより ⑯ ダイヤモンドの万華鏡

(2023年7月26日)

ダイヤモンドの万華鏡

緑友会長 川本正人(21期)

クールな若者が増え、「青春」という言葉が遠くなった……と寂しがっていたのは大間違いでした。この日曜日に招かれた芸能文化科第29回卒業発表会。マスクを外した素顔の3年生31人から噴き出したのは、まさに「青春」の熱風だったのです。

無観客だったコロナ禍を経て4年ぶりの通常開催。芸文棟の客席100余りは保護者らでいっぱいでした。舞台は正味3時間。「長いかな」と思っていたのに、幕が開くと全く目が離せません。「なんでやろ?」。理由がわからないまま、舞台がどんどん進みます。完成度の高さ。それもあるでしょう。古典芸能から演劇、幕間のドラマ映像やダンスまで、多彩な演目を一気に楽しめる異例の構成。これも理由でしょう。お笑いやダンスを披露していた生徒が、次には居住まいを正して和服で和楽器。この動と静の対照や可能性の豊かさに、うなったことも確かです。

けれど一番の理由は、そういう技術的なものとはちょっと違う……。モヤッとしていたら、舞台の生徒と目が合いました。これが実に楽しそう。演じているという気配もない、ひたむきで素直な喜びの表情です。そういえば、最初の演目「筝曲」を弾き終えて客席に向けた顔・顔・顔の晴れやかさ、続く日舞で和傘を手に「学園天国」をテンポよく踊った躍動感、幕間の体当たりコント、思えばどれも「今、最高に幸せです」という生徒たちのメッセージにあふれていました。これは、舞台という形で表現した青春時代の集大成。そう思うと、全員で一糸乱れぬ音曲を奏でるまでにかいた「汗」、できない悔しさで流した「涙」、励まし合い、ぶつかり合って育んだ「友情」まで見えるようでした。

終盤、そんな生徒たちの気持ちを、ストレートに表す演目がありました。3年生が一人ずつ手紙を読む「私たちの言葉」です。「家族へ」「10年後の自分へ」「芸文で学んだこと」の3つの題にほぼ10人ずつ、全員合わせて15分間。家族には「毎朝のお弁当」(これが意外と多かった)「話を聞いてくれたこと」「いつも味方でいてくれたこと」への感謝。10年後の自分には「今みたいに笑っていますか」「芸文の仲間と出会って今があることを大切に」「やりたいことをいっぱいやって」などの励まし。芸文で学んだことでは「感動は挑戦しないと生まれない。努力すれば感動も大きい」「認めてくれる仲間が自信をくれた」「可能性はいっぱい」「やりたいことに突き進む」といった力強い言葉。

そして多くの生徒が、読み終えたあと、客席と裏方の後輩たちに向けて同じ言葉を叫びました。「大好き!」と「ありがとう!」です。感極まってむせび泣く生徒も少なくなく、保護者でない私までウルッ。自分の気持ちを、こんなに真っすぐ、正面切って次々とぶつけてくる高校生たちって、います?

この学年は、コロナ禍で芸能文化の担い手たちの暮らしが不安定になったころに入学しました。将来に不安を覚えた生徒やご家族もおられたと思います。それだけに、「今、最高の景色が広がっています。制限のあった生活も全部、私たち31人でしか過ごせなかった、かけがえのない青春です」ときっぱり言いきった総合監督の女子生徒の、涙をこらえた終演口上が胸を打ちました。

「生徒はキラキラ輝くダイヤモンドのかけら。舞台はその生徒たちが集まった万華鏡」。開幕前に萩原美由紀校長がなさったあいさつです。たくさんの個性がきらめきながら、二度と生まれない模様を刻々と描き出す。一瞬の輝きに人々を引き込む。なるほど、ここは青春のカレイド・シアターやったんや。

一緒に見終えた緑友会の会報担当スタッフ(10期)も「ええ子たちでしたねえ」と感慨深げ。帰宅後すぐに送信してこられたのが上の写真です。熱風の一端をお感じください。

 

会長だより ⑮ 過渡期のチャンス

(2023年7月6日)

過渡期のチャンス

緑友会長 川本正人(21期)

 

会報41号をお届けして1か月。同封の振込用紙で寄付や応援会費(特別会費を改称、年2000円)をお寄せくださった方は779人、合計253万1860円(7月4日現在)に上っています。昨年度1年分に比べ、人数で3.2倍、金額で2.1倍です。創立70周年記念「学校食堂改修(仮称)緑友ホールプロジェクト」の目標2000万円まで、まだとぉ~~い道のりですが、手ごたえはいただきました。本当にありがとうございます。引き続き、周囲の方々へのご支援のクチコミ(これが効くんです!)、よろしくお願いいたします。

ところでこの「会報」。長年、会員と会を結ぶほとんど唯一のツールでした。1年前に会長になって仰天したのが、その発送費の大きさです。昨年度の場合、会の総支出261万円の半分、132万円が発送費。少子化で新卒会員が減少し続け、来春卒業予定の280人全員が入会費(終身会費を改称)を納めてくださったとしても140万円ですから、これに匹敵する額が1回の発送で消えることになります。物流危機で、今後は配達料金の値上げも避けられないでしょう。

というわけで、緑友会も昨年度から、ホームページなど電子媒体の活用に動いています。世代交代するくらい先かもしれませんが、紙の会報、紙の振込用紙の何割かでも電子会報、電子決済に置き換えられないか、という試みです。けれど無理はしません。卒業生の中には、紙で読み、足を運んで現金で振り込んでくださる方がたくさんおられるからです。当面は、「紙」と「電子」を併用します。

総会に先立つジャズコンサート(25期生の西川サトシさんらが出演)。続く会議では例年になく発言が相次ぎました。

 

併用の間、費用は余分にかかります。初年度は特にそうです。先日の総会でも、今年度の「会報作成費116万2000円」の中身についてご質問がありました。編集や版下制作は有志がボランティアでこなしており、あとは印刷費(今年度は33万4400円)で済むはずですから、当然の疑問です。(質問された方は、当日お手渡しした資料を短時間でよく読み込んでくださいました。)

アップの要因は主に3つ。①同窓会システム導入に伴いIDとパスワードをお一人分ずつ印刷したこと ②電子決済の手始めに無記入で使えるコンビニ振込用紙をお一人分ずつ用意したこと ③必ず開封していただけるよう中身が目立つポリ封筒を用いたこと――です。発送部数は1万7141。これに①~➂それぞれに1部10円前後(税込み)がかかり、まとめて封入する作業にも10円(同)を要しました。

これが、電子化への情報を「紙」で伝えた初年度のコストです。

でもおかげさまで、冒頭でご報告したご支援のうち、コンビニ振込が人数で61%、金額で37%を占めました。新たな試みがご支援のすそ野を広げていることは間違いなさそうです。また、同窓会システムにアクセスして「所在不明者」の情報を続々とお寄せいただいたり、「近況報告」に早速、数十件の投稿をいただいたりもしています。

過渡期は、安定期に向かう発展の時期です。そこでは好機も生まれます。電子化に加え、これと連動させた「緑友ホールプロジェクト」もそうです。手探りながら、実現を信じ、構想を膨らませるアツい夏。母校の生徒たちも期待しています。旬の夢をどうぞご一緒に!

※ 会報に同封したコンビニ振込用紙(額面2000円)は8月末まで無記入、手数料なしで使えます。その他のご支援もまだまだ受付中です。詳しくはホームページトップの「食堂を緑友ホールへ!」 をクリック・タップしてください。

会長だより ⑭ 緑友会のSDGs

(2023年6月21日)

緑友会のSDGs

緑友会長 川本正人(21期)

初めて〝会長職〟らしい文章を書きます。25日に開く緑友会総会のご案内です。何といっても会の最高議決機関。私にとっては初めて直接ご意見をいただく場。そこで、あらかじめ主な議題をご説明し、当日は「もうな~んも言わんでええよ」というお声がけをいただこうという小心者の魂胆です。持続可能な会と母校を目指す諸施策。お運びになれない方も、ぜひお目通しください。

ご承認いただきたい大きな事業は4つ。「同窓会システムの導入」「ホームページの改修・活用」「創立70周年事業」「会則改正」です。なんでいっぺんにやるの、と思われそうですが、これらはすべて連動しています。システムで名簿管理や入金決済を電子化する→ホームページをその入り口にし、同時にコミュニケーションを活発にする→新たな名簿、決済、広報手段の活用で70周年事業の実現に弾みをつける→それらを円滑に進められるよう会則を改めるーーという関係です。いずれも昨年度と今年度の2か年計画となります。

1.同窓会システム

卒業生ら会員数2万8000人。これに対し6月1日発行の会報41号を発送できたのは1万7141部でした。所在不明は4割に上ります。さらに、宛先不明で戻ってきた会報はすでに約300部。名簿の劣化がどんどん進んでいるのです。営々と紡ぎ続けた名簿は会の最も重要な財産。劣化を食い止め、逆に復元していくには、みなさまご自身による「データ更新」と「所在不明者の情報提供」を可能にするしかありません。

名簿をエクセルデータにしてUSBメモリーに収め、人の手で1件ずつ処理する今の方法も限界です。紛失や誤入力の恐れもつきまといます。メールアドレスも集められません。手作業で行っている支援金の決済も、キャッシュレス時代に備えて電子化したいところ(今年度採用した無記入で納付できる「コンビニ決済」はその第一弾です)。コロナ禍で総会を中止した経験から、非常時にWEB総会を開ける仕組みも必要となっています。

同窓会システムはこれらを解決する手段です。東京、大阪、兵庫の5社から対面やオンラインで聴取を行い、機能が最も充実し、同窓会に特化して使いやすく、一番安価だった製品を採用しました。

2.ホームページ

会のホームページは近年、曲折があって自分たちで編集できませんでした。また、ネットで検索して入ると「接続は安全ではありません」という警告が出、実際、膨大な回数の攻撃に遭っていました。そこで会が契約したサーバーに引っ越し、安全を確保したうえで、一部可能になった自力改修と自主編集を開始。今年になって、同窓会システムの入り口となる「マイページ」の開設、会員からの情報発信、「会長だより」の掲載、SNSとの連携までこぎつけました。しかし自力改修の限界で、半年たってなお見にくく使いにくい状態です。今後できるだけ改修しつつ、並行して抜本的な対策も進めます。

3.創立70周年事業

来年の70周年に合わせた食堂改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」がメインです。空調さえなく、昼食時以外は施錠されている食堂をにぎわい空間によみがえらせます。ランチタイムや放課後の談話や公演、体育祭や文化祭に合わせたホームカミングデイなど多目的に活用できないか、芸文卒業公演をパブリックビューイングで楽しむのはどうだろう、と夢が膨らむお話です。少子化で生徒の確保が難しくなる中、魅力ある環境づくりは母校の末永い発展につながります。今春、3グループ(6社)を個別に食堂に招き、改修可能な要素や概算事業費などを聴取しました。どこまでやれるかは集まったご支援金次第。予算枠が見えてくる秋にコンペ(設計競技)の要綱を固めたいと考えています。

4.会則改正

例えば上の3つの事業。現会則では、名簿をUSBメモリーなど「電磁的」な方法で「事務局」が保管するとなっています。危ないです。広報手段に挙がっているのは「会誌の発行」だけ。70周年事業に取り組もうにも「母校支援」は会の事業に明記されていません。全体に社会や会の実態に合わない部分が多いのです。そこで昨年の総会後、その場で「会則改正委員会」を発足させ、4月の役員会で案を決定、ただちにホームページに掲載した次第です。

 

当日は、まず午後1時40分からベーシスト西川サトシさん(25期、写真)の公演があります。ベースといえばリズムを担い、バンドの推進力となって、楽曲の厚みや場の高揚感を生みだす重要パート。その余韻をベースに総会を迎えます。みなさまとのセッションが、会と母校の未来に強く明るく響きわたりますように。