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事務局日誌 2025年2月28日(金) ◆卒業式◆在校生の認知度

◆卒業式
2科1教室、計295人の卒業式に会長として臨みました。緑友会に関わっていなかった私がいきなり就任した年の入学生。コロナ禍による将来不安で芸能文化科生が定員の半分しか集まらないなど、環境激変の中でスタートした学年です。
以来、「日常」を取り戻せるかハラハラと見守ってきました。
けれどこの日、答辞の女生徒2人が振り返ったのは、大笑い、大泣き、大ゲンカをした青春の日々。出会った仲間、支えてくれた人々への感謝とともに、これまでと変わっていませんでした。
「ン?」と思った点は一つだけ。「行事と定期試験に追われた日々」というくだりです。私たちのころは「行事から行事へと追われた日々」だったような……。

◆在校生の認知度
式には生徒会などの在校生も10人ほど参列していました。学校行事で見た顔が多かったので、「また何かしょうな」と声をかけたら、「ハイッ!」と笑顔の返事。こちらが何者かを名乗らずとも、緑友会の人だとわかったようです。
将来、会を支えてくれるかもしれない若者たち。会の認知度を高めるためにも、「また何か」をしようと思いました。

(以上、川本)

事務局日誌 2025年2月27日(木) ◆緑友会入会式◆新入会員へのテストメール◆ビートボクサー、大教大に合格

◆緑友会入会式
普通科68期、芸能文化科30期、共生推進教室3期、計295人の入会式を、卒業式の予行の合間に体育館で行いました。
会長あいさつでは、NHK大河ドラマの主人公「蔦重」の本を7冊出している車浮代さん(普通科26期)からメールで届いた「生徒に贈る蔦重の言葉」も披露しました。
「何事も経験。経験を積んで天分を見極め、社会に貢献する。それがこの世に生をうけた意味ってもんだ」という大意。新刊『蔦重の矜持』の一節でした。
(車さんについては近日、「会長だより」で紹介予定です。)

◆新入会員へのテストメール
事務局から夕方に一斉送信しました。データを、システム入力ではなく手書きで寄せた生徒が70人ほどおり、事務局スタッフが手入力。このメアドが正確か確認するためです。
入会式の場を借り、口頭と案内文で実施を周知。「広報電子化による会の財政改革」という目的も説明しました。
着信のなかった人は、メールなどで事務局に連絡される手はずです。

◆ビートボクサー、大教大に合格
昨年9月のみどりホールこけら落としで妙技を披露した3年生のビートボクサーに入会式で会いました。「第一志望の大阪教育大に進学決定」だそうです。
おめでとう! 先生になって母校に帰っておいで!

(以上、川本)

 

 

 

 

事務局日誌 2025年2月26日(水)

◆事務局日誌スタート
事務局の出来事や活動の様子をホームページでお伝えすることになり、本日、投稿手順のレクチャーを会長から受けました。
事務局が卒業生のみなさんにとって、身近な集いの場所になり、楽しいご報告を発信できればと思っています。(しばたに)

◆島本先生来局
昨年退職された島本一彦先生(本校普通科21期生、社会科)が来局されました。
現在は男子バレー部の部活指導者(監督)をされています。
会長や事務局スタッフと、今後の綠友会をどう盛り上げるか、学校支援に何が必要かなどについて意見を交換。在学中の懐かしい話もできて楽しいひとときでした。(しばたに)


島本先生(左)と歓談するスタッフら

◆後輩の練習を見
高校時代にマネジャーをしていた男子バレー部の練習を、来局した同期の島本監督と見に行きました。
我々の頃は1学年6人ほどでしたが、今や総勢40人はいてるかな。マネジャーも4人いて練習にも参加してました=写真。
近畿大会目指して頑張ってね。応援してます。(くりべ)

会長だより ㉟ 予言の自己成就

(2024年12月28日)

予言の自己成就

緑友会長 川本正人(普通科21期)

みどりホールに27日、追加発注の可動舞台5台が届きました。2日遅れのクリスマス、お年玉より5日早いプレゼントです。贈り主は普通科12期の有志ご一同。11月の創立70周年記念式典のあと、緑友会前会長の坂田繁数さんが同期LINEで寄贈を呼びかけ、半月後の今月初めに製作費40万円をご入金くださいました。

追加で届いた可動舞台(5台積んだ状態)

学校食堂を改修したホール事業では、今夏の着工前後に老朽建物のあちこちで危険個所が見つかり、対策費捻出のため設備や備品の整備を一部先送りしていました。可動舞台もその一つ。壁付けカウンター席の下に5区画、2台ずつ立てて計10台収納する予定だったのに、半分しか用意できませんでした。

5台で足りないことは、9月の文化祭に合わせたこけら落としで即、明らかになりました。舞台はそれぞれ1.88㍍×92㌢×高さ15㌢。公演する生徒たちが4台を2段重ねで横長に設置したところ、奥行きが狭くてマイクが立てにくく、漫才では前後の動きもままならなかったのです。残る1台で緑友会が設けた「街角ピアノ」もイスが置けずに立ち演奏。生徒や卒業生の熱演がすばらしかっただけに、本当に申し訳なく、「必ず整備する」と心に決めた次第です。

坂田さんからはこの10月、「同期生でピアノを寄贈したい」との申し出をいただいていました。しかし学校から「使う機会が多くないので」と辞退され、改めて私に「必要なモン、ないか?」。そこで先送りした案件の数々を説明し、「ホールとして機能させるには、まず舞台」とお答えしていました。ご無理のないようにと申し上げていたのですが、動きの速さはさすが! 頭が下がります。

製作は、ホールの設計・施工監理を無償で引き受けて下さった一級建築士の木本圭二さん(普通科24期)に依頼。出し入れや持ち運びに支障があった既設5台にも、持ち手穴や滑り材の加工をしてもらいました。こちらも仕事が速い!

そうそう、着工直後にメインの梁(はり)で見つかった構造クラック(危険な亀裂)についてもお知らせします。直径28㌢の鋼柱で下から支えることになり、20日に入札が行われました。年度内に施工の予定です。ホールのある緑友会館の屋上防水や階段塗装なども行われると聞いています。
これらの仕様・見積書を手がけてくださったのも木本さん。落札したのは別業者ですが「工事は見に行きます」。これまた頭が上がりません。

「予言の自己成就」という社会心理の概念があります。根拠の希薄な話でも、人々が起こりそうだと考えて行動することで、本当に実現してしまうことです。最初に信じた人が実現に向けた言動をする。見聞きした人が影響を受ける。そうした人々の行動でさらに多くの人が動くーーというメカニズム。ホール事業はまさにこれでした。

2年前、緑友会がホール化を言い始めた時は「できるんかなあ」と懐疑的な雰囲気。それがスタッフの本気度を見て木本さんや後援会「みどり会」のような助っ人が次々に現われ、それがさらに大勢の共感を呼んで成功確率が上昇。緑友会に寄せられた浄財は2年足らずで2246件、1058万円。落語家の林家染二師匠ら卒業生9人そろい踏みの記念公演もこうした流れの中で実現しました。

予言の自己成就には、銀行の取り付け騒ぎやトーレットペーパーの買いだめなどを引き起こすマイナス面もありますが、70周年事業ではさわやかな方向に働きました。皆様、本当にありがとうございました。

2年間がギュッと凝縮されて脳裏を巡るこの歳末。70周年事業ですそ野が広がった緑友会へのご理解・ご支援を、どのようにつなぎ、発展させていくか。新年の課題です。

「もしドラ」で広く知られたドラッカーの「マネジメント」に次の一節があります。
<組織が存在するのは、社会、コミュ二ティ、個人のニーズを満たすためである。組織とは、目的ではなく手段である>

ニーズを満たし、皆様のご多幸に結びつく次の「予言」、見つけます。
来る年も緑友会を、どうぞよろしくお願いいたします。

改修で昼食時のにぎわいが復活
右奥の壁面下部に舞台を収納

会長だより ㉞ 「経験の弟子」たちへ

(2024年11月16日=記念式典を終えて)

「経験の弟子」たちへ

緑友会長 川本正人(普通科21期)

16日に行われた母校創立70周年の記念式典・公演・ホールお披露目会。在校生はもちろん、関東からのお運びを含め卒業生ら約100人も一緒に祝ってくださいました。本当にありがとうございました。
70周年式典
以下は、70周年記念事業実行委員長として私が式典で述べたごあいさつです。母校や卒業生への誇り、在校生へのエールを10分間でどこまでお伝えできたか疑問ですが、再録してことほぎとお礼の言葉とさせていただきます。

◇ ◇ ◇

お集まりいただき、ありがとうございます。普通科21期生で同窓会長の川本です。今の校歌、1番だけは50年前からくちずさんでいます。
会長

さて、70周年を記念し、同窓会、後援会、PTAで食堂を「みどりホール」に改修しました。単に「きれいな食堂」にしたのではありません。様々な体験ができる空間として整備しました。
今日はその「体験」についてお話しします。

ホールのこけら落としは9月の文化祭。生徒の皆さんがいろいろな催しを繰り広げてくれました。最初に行われたのは漫才コンテスト「ヒガスミM1グランプリ」。約200人でいっぱいの会場が爆笑で揺れました(下の写真)。

漫才グランプリ

その中にいた私は、登場した3組の生徒について、3つのことで感動しました。
1つは、芸のレベルの高さ。泣かせるより難しい笑いをあれだけ取れるのはスゴい。
2つ目は、彼らの進化の鮮やかさ。私はたまたま前日にリハーサルも観ていました。その時は1組の完成度が図抜けていて、あとの2組は少々荒削りな印象。ところが一夜明けると3組とも格段にレベルアップし、しかも横一線。結局、荒削りだった1組の優勝でした。
彼らに聴くと、リハのあと演技の時間を1分余り延ばし、ネタを2つ新しく入れて、夜中12時まで公園で練習したといいます。この修正力、集中力はアッパレです。

3つ目。それは登場した3組全員が3年生だったことです。受験生がこの時期にこん身の漫才をやっている。審査員から「オチは決まった。大学は大丈夫」と激励が飛ぶ。こうした光景に私は、「これが東住吉高校や」とうれしくなりました。
いつも何かにのめり込んでいる。それが開校以来の伝統だからです。

私たちの頃は、体育祭も秋でした。また、やたらと体を使う学校で、山の高原で何日もキャンプをするのが修学旅行代わり。長居公園5周15㌔のマラソン大会も長く伝統行事でした。「二兎を追え」は15年前からの第2校訓ですが、当時の言い方では「勉強だけなら誰でもできる」。おかげで全国大会に出る運動部や、後にオリンピック選手になる人もいました。

では勉強はどうだったのか。例として国公立大学の合格者数を同窓会報から拾ってみました。ちなみに昨年度は現役15人、浪人11人の26人。
では10期生の時は……現役25人、浪人27人の計52人。30期生では計90人。70年周年の真ん中35期生では計79人。阪大にはほぼ毎年、京大にもぼつぼつ合格していました。
もちろん今と単純比較はできませんが、子どもの数がずっと多く、当時も簡単に入れるわけではありませんでした。

ではなぜ年中走り回っていながら進学でも一定の成果が出たのか。それは本校が、人間のあらゆる可能性を育む「全人教育」を行っていたからだと、私は考えています。
全ての生徒に、年間を通じて様々な体験の機会を用意する。生徒たちがそれらに自由にのめり込む。こうした環境が、M1の生徒が見せたような自主性、集中力、突破力、コミュニケーション能力、人の気持ちがわかる共感力、そしてギリギリのところで耐え抜く体力や精神力などを様々養い、様々な成果に表われたのではないか。

これからの時代、不透明さが増しそうです。AIの裏をかかなければならない場面もあるかもしれません。しかし様々な体験を通して地力・地頭を養った人間なら、どんな事態にも対応できる、そう思うのです。

500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチという人がいました。画家として知られますが、彼が極めた分野は、天文、物理、建築土木など数十に及びます。
例えば彼の代表作で、聖書に題材を取った「最後の晩餐」という大壁画。そこでは最先端数学だった遠近法が駆使されています。また題材にはキリスト教の造詣が要ります。十数人の人物の心の内をポーズや表情で描き分けるために、解剖学や心理学の要素も加わっています。

「絵」だけ勉強しても、あの作品は描けないのです。

彼は、イタリアの片田舎・ヴィンチ村で、父親のいない私生児として生まれました。ヴィンチ村の、ただのレオナルド。まともな教育も受けていません。それがどのようにして「万能の天才」になったのか。

彼は膨大なノートを残しており、一部は岩波文庫に入っています。それをひもとくと、答えは割と前の方にありました。
彼は自分のことを、「経験の弟子レオナルド」、そう呼んでいるのです。
ノートを読むと、彼はとにかく観察し、触り、実験し、デッサンし、文章に落とし込んで考え抜く、そんなことを営々と繰り返しています。
五感の全てで対象にのめり込む。その体験が彼の経験方法なのだと、私は理解しました。

ひるがえって本校。今も昔も様々な経験の場が用意されています。皆さんも私たちも、その弟子です。
コロナでマラソン大会や合唱コンクールは中断しました。しかし一方で卒業公演やチャリティーマラソンなどなど、困難を乗り越えて定着した催しもあります。
みどりホールができ、M1も新たな恒例になるかもしれません。
国際交流も格段に充実しました。本日も台湾の姉妹校からわざわざ8人がここにご登壇です。
「歓迎来到(フアン・イン・ライ・ダオ=ようこそ)東住吉!」
台湾語

70周年の時の流れをどこで輪切りにしても、一生懸命な経験の弟子たちが詰まっています。その最先端にいるのが皆さんです。現在は過去の積み重ねの上にあり、未来はその先に広がっています。

生徒の皆さんは今、学校が楽しいですか? 好きですか?
ご来場の卒業生の皆さんはいかがでしたか?(歓声、拍手)
学校が楽しくて、好きで、一生懸命。そんな若者が集う限り、本校は不滅です。

30年後、皆さんは働き盛りの40代、私もまだ95歳です。
これからもたくさんの体験を重ね、100周年でまたお会いしましょう。
ありがとうございました。

会長だより ㉝ 不易流行の支援

(2024年9月24日)

不易流行の支援

緑友会長 川本正人(普通科21期)

(※不易流行=変わらないものを残しながら、変化を取り入れること)

母校の支援団体は3つ。PTA、みどり会(元PTA役員らによる後援組織)、緑友会です。いずれも開校間もなくから活動してきました。けれど、PTAはコロナ禍による活動制約がまだ尾を引いている様子。みどり会もあおりでOB・OG不足に陥り、今年度から活動を休止しました。

創立70周年記念事業実行委員会は、この3団体と学校で組織されています。といっても実際に集まるのは学校と緑友会だけ。2大事業の「食堂の多目的ホール化」は緑友会、「記念式典・記念公演」は学校という役割分担です。差し出がましくて落ち着かないのですが、全国で広がるPTA離れを考えると、緑友会が前面で対応する場面は増えそうに思います。

24日、その実行委の第6回会議が開かれました。これからは11月16日(土)の「式典・公演」に向かいます。そこで今回は、一段落した「ホール」について、これまで触れていなかった点をご報告します。

<命名>

みどり会は活動休止に当たり、蓄えのほぼ全額750万円を実行委に寄付されました。食堂改修はこのご決断なしには不可能でした。「みどりホール」は、同会の事実上最後の、そして最大のご支援だったのです。

みどり会の今後を話し合った昨年4月の同会役員会。お招きいただいた私は、創立以来の大事な方々にお約束しました。「歴史とご功績のある会のお名前をどこかに残したい。私案ですが、みなさまのご協力で完成がかなったら、『みどりホール』の命名を関係団体にお示しします」

その後、各団体ともこの命名に賛同してくださいました。同会の母校支援事業も、昨年度から緑友会が引き継いでいます。

<工費>

資金と時間に最後まで追われた工事でした。お金がなくて発注をためらっていた銘板を緑友会館の門柱に取り付けたのはこけら落としの前日、9月6日の午後。デザインを緑友会スタッフに頼んで費用を抑え、堂々とした真ちゅう製にしました。

工事一式の費用は計1877万9300円。予算の1650万円を227万9300円、14%超過しました。相次いで見つかった老朽危険個所の修理、脚部再塗装だけの予定だった丸イスの座面交換が主な理由です。

このため緑友会から実行委への寄付を、当初の500万円から730万円に増額。役員9人から異論は出ませんでした。

これにより周年事業全体の予算は、PTAから500万円、みどり会から750万円、卒業生からの寄付1万円と合わせ、1981万円になっています。

<梁の亀裂>(だより㉘「『安全第一』の覚悟」参照)

ホール中央の梁で7月の着工早々に見つかった「構造クラック」。その対応を8月29日に府教委と直接話し合いました。台風が近づく中お越しになった担当3人は「当時の図面もなく、危険性の判断は困難」「耐震対策はどれだけやっても『それで安全』とは言えない」と率直でした。

こちらからは「ご判断が難しいなら、改修工事を監理した一級建築士らの『大地震が来たら危険』という指摘を信じるしかない」「耐震対策に限りはないが、『だから何もしない』ではなく、『どこまでできるか』をご検討いただきたい」と訴えました。

50分後、先方がおっしゃいました。「対策案を示してもらえれば、こちらも検討しやすい」

発見当初の「補強したいならやっていただいてもいい」という回答からは大前進。ここまでくれば、あとのやり取りは学校にお任せです。緑友会は対策案の支援に回り、24日の実行委では梁を柱で支える補強図面をお示ししました。

<運用>

構想実現に動くに際し、昨年3月、学校側と大枠で合意しました。「緑友会やPTAの活動にも活用する。ただし禁酒・禁煙」「ランニングコストは学校が負担」といった内容です。

ホール完成後、生徒たちや緑友会員から「どうやったら使えるの?」という問い合わせが早速ありました。学校がルールを設定されることになっています。

……こう書き連ねると、なんだか緑友会だけ安泰なように見えます。けれど内情は火の車。固定収入は新卒時の入会金だけ(昨年度は132万5000円)。対する支出は、会報の印刷・発送だけでも240万円(次の課題です)。ご寄付がなければとっくに財政破綻しています。

ありがたいことに、この2か年度のご寄付は、1587の個人・団体から2207件、996万円余り。一昨年度の3倍以上のペースです。名簿電子化によるコンビニ決済とホームページの改修でご支援のすそ野も広がりました。

せやけど周年事業に730万円も投じたら……。まあ、しんどいでしょうが、どうにかなります。みなさまから息の長いご支援をいただけるよう、スタッフ一同、あらためて奮闘努力するばかりです。

一昨日、私の21期のミニ同期会があり、30人が集いました。実現に懐疑的なムードが漂っていたホール構想を、当初から応援してくれた人たちです(1年前のだより⑲でご紹介)。ようやく訪れたお礼の機会に、私はごあいさつをしました。

「この歳になると、『いいもの』を残す責任を感じます。これだけ大勢の同期が2年続けて集まるのは、50年近く前のあの時間・空間が、やっぱり『いいもの』だったからだと思うのです。この絆とそれを育んでくれた母校は誰かが守らないと、いけない」

気負いすぎかもしれません。独りよがりにも聞こえます。けれど本心です。

緑友会はこれからもホールを活用していきます。自分の来し方をふと確かめたくなったらお立ち寄りください。「あの日々」が、ひょっとしたらこれからの人生を照らす一灯になるかもしれませんから。

※「記念式典・記念公演」のご案内は、ホームページのバナーから。

「みどりホール」こけら落とし 緑友会活動報告

「みどりホール」こけら落とし

緑友会「公演とランチの集い」開催

――ホールいっぱいに笑顔の花――

 

みなさまのご支援で完成した母校創立70周年記念「みどりホール」のこけら落としが9月7日(土)に行われました。この日は文化祭の一般公開日。生徒たちがホールの舞台で熱演を繰り広げる傍ら、緑友会も「ホームカミングデイ」を開催。ランチや舞台、応援ハンディータオルなどを用意し、大勢の卒業生らでにぎわいました。緑友会スタッフも、来場者をご接待したり、生徒たちの出し物に見入ったり。同窓生、生徒、家族、友達……、いっぱいの笑顔に包まれ、「人と人とのつながりを大切にする。これもヒガスミ精神」と確信した一日でした。

(緑友会副会長 津地嘉代子、普通科21期)

(※当日の模様は、緑友会ホームページ「会長だより」でも2回にわたってご報告しています。)

限定ホールランチ

生徒たちに人気の唐揚げをメインにした彩りとボリュームたっぷりの500円弁当を45食限定で提供。緑友会からペットボトルのお茶も添えました。事前予約の方々は11時の開始直後から足早に来場。スタッフが厨房に取り次ぎ、揚げたてを「お待たせしました」と配膳。厨房で用意できる最大数が早々になくなりました。

この日の厨房は、一般営業もあって普段の2倍の7人で対応。今年度から食堂を請け負っている「双八屋」の八代常孝専務(39)は「このホールランチで500円は安い、と社長に怒られました。けれどほとんどの方が完食。喜んでいただけて良かったです」。

応援ハンディータオル

第二の校訓「二兎を追え」にちなみ、今や母校の〝公式キャラクター〟となっている「ヒガ君、スミちゃん」。その最新図案を学校からお借りし、ヒガスミ応援グッズのハンディータオル150枚を制作、1枚500円で販売しました。

発注から10日足らずで届くというスピードに驚き、受け取ったスタッフから「いい出来栄えです」とすぐに報告もあってホッ。当日はヒガ君、スミちゃんの可愛いPOPと並べて販売。多くの人にヒガスミエールが広がりますようにという願い通り、手に取ってにっこりされる方、お友達、知り合いにもとまとめて購入してくださる方がおられ、校長先生も早速お買い上げ。計72枚の売り上げとなりました。

「思いをかたちに」と全面協力してくれたスタッフに感謝です。

飛び込みライブ・街角ピアノ

生徒、一般来場者を通じ、こけら落とし最初の演奏が26期生のアコースティックギターだったことは、会長だより㉜「続・祝祭の人模様」で触れていた通りです。

ではトリは? 実はこれ、緑友会副会長、渡真利由香さん(普通科25期)の三線(さんしん)でした。生徒たちの公演が終わったメイン舞台。後片付けまでのわずかな時間に、沖縄民謡「安里屋ユンタ」から始まって「涙そうそう」「満月の夕べ」の3曲を歌付きで披露しました。どこか懐かしさを感じる音色。三線のおけいこを始めて2年ほどだそうです。
左:トップ演奏の長谷川喜也さん 上:街角ピアノを奏でる内本由美子さん(以上、会長だより㉜ご参照) 下:渡真利由香さん

ご厚志

緑友会や学校にお祝い金を持参された卒業生が複数。2㍑入りのお茶を紙コップ付きで差し入れてくださった方などもおられました。本当にありがとうございました。

ホールは一応完成しましたが、老朽危険個所の修理に費用を要し、可動舞台は予定の半数、丸イス修理も一部先送りとなるなど、やり残しがまだあります。引き続きのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

会長だより ㉜ 続・祝祭の人模様

(2024年9月10日)

続・祝祭の人模様

緑友会長 川本正人(普通科21期)

みなさまのご支援で完成した創立70周年記念の「みどりホール」。そのこけら落としから3日が過ぎました。あの日、同じ時間と空間をすごし、それぞれに母校への思いを深めておられた方々を、改めて振り返っています。

生徒たちの公演とともに、緑友会は、卒業生らとの交流の集い「ホームカミングデイ」を催しました。「街角ピアノ」「飛び込みライブ」「限定ホールランチの提供」「ヒガスミ応援ハンディータオルの販売」が主な取り組みです。

前回の「だより」は、公演する生徒たちにスポットを当てました。今回は訪れた卒業生について、いくつか書き残します。

 

「街角ピアノ」でエールを送った普通科18期生、内本由美子さん

この日はホールを半分に分けてありました。入って右手は公演会場、左手は食堂とミニ舞台。後者には小さめの電子ピアノを置き、誰でも使えるようにしていました。

「弾いてもいいですか」。ミニ舞台の真ん前でホールランチを召し上がっていた女性が声をかけてこられました。内本さんでした。「芸能文化科もあって上手な方が多いでしょうに、出しゃばりでは?」という思いが少しあったそうですが、弾き始めるといつものように心身とも「異次元」入り。

1曲目は中島みゆきの「ひまわり〝SUNWARD〟」。激動の時代を生きる人々へのエールです。2曲目はパッヘルベルの「カノン」。日常を離れ、母校で校舎を眺めたり、旧友との再会を喜んだりする光景をイメージした選曲でした。

病院や施設の子どもたち、お年寄りたちに寄り添おうと、訪問演奏を続けて20年近く。コロナで施設に入れなくなった間も、京都駅ビルの街角ピアノを朝から奏で、不登校の中高生らを慰めていたといいます。

その時、その場所で伝えたい思いが、いつもありました。

「ひまわり」の途中でふと目を上げると、若い女性が小さく拍手をしていました。「応援、届いたみたい」、そう感じた瞬間でした。

街角ピアノ

 

こけら落とし最初の演奏者となった26期生、長谷川喜也さん

スピーカー、ミキサー、イコライザーなどを寄贈してくださった25期生、高山愛二さんの高校時代のフォークサークル仲間です。「飛び入りライブ」OKと聞いてギター持参で早々に来場されました。

生徒たちの公演まで約1時間。見るとマイクがまだ未セットです。会社員の傍ら、週末にライブカフェで音響を手伝っているだけに放ってはおけません。「ちょっと触ったことあるから」と、前回のだよりで紹介した3年生ビートボクサーらとセッティングに乗り出しました。

奥行きの狭い舞台に合うようマイクスタンドの位置や高さを工夫。前日のリハで聞こえなかったリードギターの音をボーカルマイクで拾えるよう改善。ハウリングを避けるためスピーカーはやや外向きに。機器への音の「出」と「入り」のバランスも調整……。

これまでは「音響機器がなかったらどうなっていたことか」と、ハード面のご寄贈だけを喜んでいた私ですが、この日は「この人が来ていなかったら」と、ソフト面の助太刀にも大感謝。ここは本当に人に恵まれたホールです。

長谷川さんは、マイクテストを兼ねてそのまま「飛び入りライブ」。1曲目はシンガーソングライターあいみょんの「双葉」。別れや成長、未来への希望を高校世代に向けて歌った作品です。2曲目はバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」のテーマ「ハートスランプ二人ぼっち」。選曲理由は「昨夜、放送してたから」。レパートリーはなかなか広そうです。

ところで今日は何曲ご用意?「せやねえ、30から40かな」。この人、心底本気でやらはるつもりやったんや!

2曲では足りなかったのでしょうか。長谷川さんは食堂エリアのミニ舞台わきに移ると、今度は緑友会スタッフの三線(さんしん)を手に、なんと校歌を演奏。「この曲、初めて弾いた」なんて、うそでしょ? 味わい深く風情のある音色に、食事客らも拍手でした。

長谷川さん

 

ホール関係はすべて真っ先に参加の11期生、寺崎信さん

「公演とランチの集い」の告知が緑友会ホームページにアップされた直後、ホールランチを一番乗りで予約。こけら落としにも開場直後にお越しになりました。「LINEで同期を誘ったのですが、みな70代半ばですし、住む所も離れてしまって。私は大阪市内なんで、まだ自転車でも来られそうなんですが」と一人かくしゃく。

そういえば11期会のみなさん、支援を募り始めた昨年6月の会報発行直後にご厚志をお寄せくださいましたね。「卒業40周年から何度か同期会を開いてきましたが、コロナで中断。手作りの催しは年齢的にも難しくなりまして、昨年、会議を開いて会の解散を決めました。会則も作ってありましてね、解散時は(余剰金を)緑友会に寄付すると決めていたんです」

高校時代は理化学研究部。気象予報士などいない時代。気象を担当し、文化祭では天気図などを展示しました。校内を巡ると、今は展示より模擬店。それはそれで生徒たちを応援しなければと、ベビーカステラの店で2000円を渡し、「手が空いたらホールに」と、緑友会への差し入れを手配。間もなく数個ずつ入った紙コップが20ほど2回に分けて届けられ、スタッフを感激させました。

寺崎さんは、生徒たちの公演を最後まで見届けてホールを出られました。「一生懸命なら何事も無駄になりません。若いときは何をやりたいのかわからないかもしれないが、道は一つじゃないですから」。夏嵐のような生徒たちと過ごしたあとの言葉でした。

 

母校出身の著名人でサイン帳をいっぱいにしたい普通科31期生、萩原泰之さん(緑友会書記)

緑友会ホームページのトップに据えてある「祝70周年 繁昌亭からのメッセージ」。ページ初の動画です。登場4人のうち、芸能文化科12期生(普通科では50期)の桂團治郎さんと同科22期生(同60期)の笑福亭呂翔さんにホールでお会いしました。3月に動画出演をお願いした際もそうでしたが、実に気さく。「ええのできましたねえ」とホールを見渡し、大勢の一般客に混じってホールランチを召し上がってくださいました。

萩原さんは、あの動画をタブレットで撮影した人です。当時はどちらも真剣で余裕がありませんでしたが、この日はお互いにくつろいだ雰囲気。食事中の二人にその節のお礼を申し上げつつ差し出したのは、大判のサイン帳。以前から著名卒業生で埋めようと用意し、この日も持参していました。サインはもちろん、千社札シールまで張ってもらってご満悦です。

見せてもらうと、あて名はどちらも「はぎはらさん江」。ン?役員やったら「緑友会さん江」としてもらわなアカンのとちゃうん? 「あっ、次は色紙用意してちゃんともらうようにします」

けれど、「サイン帳いっぱいの著名卒業生」という彼の言葉にはひかれました。ホールは人財のインキュベーター(支援施設)。80枚つづりのサイン帳には今3人。全ページ埋まる日が楽しみになりました。

サイン

 

会長だより ㉛ 祝祭の人模様

(2024年9月7日=「みどりホール」こけら落とし)

祝祭の人模様

緑友会長 川本正人(普通科21期)

言葉が浮かばないもどかしさをいつも以上に感じています。文化祭に合わせた7日の「みどりホール」こけら落とし。その模様と事業ご支援への感謝をどうやってお伝えするか。どうも「自分の言葉」では難しいようです。

催しは、生徒たちによる5つの公演(足かけ4時間)と、緑友会が企画したホームカミングデイ(卒業生らの交流イベント)で構成。一時は約200人が縦12㍍、横18㍍の空間を埋め、ホールはさながらライブハウス。築62年で初めて備えた空調機が威力を発揮しました。

まず開演直後の写真をご覧ください。公演者らはここで何を感じ、どう臨んだか。このあと生徒たちの「言葉」で公演順にお伝えします。

 

漫才頂上決戦「ヒガスミM-1グランプリ」(出場3組)の司会、3年西川瑠奈さん

「ウワァーッて、メッチャすごい歓声がブワッときた。『楽しく笑ってくれたら』とは思っていたけど、想像以上のライブ感でした」

(一言)漫画「DEATH NOTEに登場するアイドルの衣装。どのネタにも一番よく笑っていました。

 

優勝した「マツアンドヤマ」の3年松岡啓太さん、山地祥生さん

「気持ちよかったぁ。受けすぎて続きのセリフを出すのに戸惑った」「前日のリハーサルよりネタを2つ増やして、昨夜は公園で12時まで練習」「修学旅行(前年、石垣島)の時に初めてやった漫才は受けなかった。リベンジ成功」「これからは受験勉強。優勝を弾みに国立大を狙います」

(一言)リハでは練習の差が見られましたが、3組ともたった一日で急成長。会場をうならせるハイレベルの接戦になりました。この集中力にも拍手です。

 

審査員(校長、教員、卒業生、在校生の5人)

「出場者全員が3年生。この時期に受験よりネタが命?」「ネタは落ちた。大学は受かります」「校長ネタ、全力でイジってください」「先生も面白い話ができるように頑張らんと」

(一言)審査員のコメントにも爆笑。さすがです。

 

マジックの3年小屋畑遼(こやはた・はる)さん

(先に一言)前日のリハでは「長い風船を飲み込むとき、オオッ!とどよめきがわいたら成功」と話していましたが、当日は風船ナシ。はて?

「風船、割れちゃったんです。夕べの練習で。今日は最初のハンカチ伸ばしもミス。修学旅行で初めてマジックをやったときは受けたんですけど、今日は……」

(一言)登壇前は声もかけづらいほど緊張気味でしたが、本番は黒サングラスをかけて堂々。合間にポーズを決め、余った時間にハンカチやペットボトルを使った同じネタを繰り返して失敗を穴埋め。タフな一面を見せてくれました。

 

アコースティックギターの1年宮城虎侍(とらじ)さん、中川唱平さん

(汗だくのギターボーカル宮城さん)「頭がパニック。歌詞は飛ぶし声も出ない。知らん人がおるとこんなに緊張するんや。こいつ(リードギターの中川さん)は天才やのに、申し訳ない。絶対リベンジや。けど緊張するから、今度はもうちょっとこぢんまりと」、(落ち着いた中川さんが肩を組んで)「そんなことないって。よかったよ」

(一言)軽音仲間で、初舞台のこの日はビートルズや尾崎豊など和洋6曲。始まる前は「失敗もライブ。楽しければ成功」と豪快だった宮城さん。リズムを刻んでいた上履きのサンダル、昔より上等になりましたが、卒業生には懐かしかったです。

 

口を使って音楽を創り出すビートボクサー、3年林奏芽(かなめ)さん

「文化祭は、部とかクラスとかでないと参加できないでしょ。個人や有志では難しい。だからこんな舞台を作ってくださって、本当にありがとうございます。来てくれた人に跳んで叫んでもらいたかったけど、今日はそこまで行かなかったなあ」

(一言)聴衆は演奏がスゴすぎて動けなかったのだと思います。なんせ「ドゥオーン」という重低音に打楽器が重なって、さらに管楽器まで加わるのです。ホンマに一人の口? ホンマにボクサー3年目? 私には衝撃でした。

(もう一言)彼は出演全組の「音」も担当してくれました。普通科25期の高山愛二さんからミキサーやイコライザーを寄贈されたのですが、扱える人がいません。そこで3日前、仕事中の高山さんに来てもらい、説明を受けたのが彼。その日のリハの際、音圧に耐えるダイナミックマイクを持参していたので、音作りに詳しいのだろうと思ったのですが、実は機器を触ったことがなかったとか。動じず、柔軟で、責任感の強い人柄を感じました。

 

来場親子の年齢を考えて平成を意識したアニメソングを2曲、アンコールで「め組のひと」を演奏した吹奏楽部の部長、2年内山瑠華さん

「体育館でも演奏したんですが、こっちの方がいいなと思います。部員8人で体育館は広すぎるし、みんなに見られる正式行事の感じだし。ここはご飯食べている人までいて、くつろいだ気分。体育館では出なかった『アンコール』の声も上がって、楽しく、うれしく演奏できました」

(一言)来場者によると、たしかに体育館よりホールでの演奏の方が良かったそう。吹奏楽部は毎年、OB・OG(=緑友会員)と定期演奏会を開いており、みどりホールを使うことも検討中です。

 

公演に浸りながら、考えたことがあります。「わからないから興味がない」に流れがちな自分への反省もその一つ。「わからないけど、なんかすごい」、そう受け止める感性が、考えを深め、知性を高めることは確かです。両者の違いは、その時間や空間を体感したかどうかで生じることを、「なんかすごい」後輩たちに教わりました。

私たちの母校の強みは、こうした「体感」の機会を伝統にしていることです。

みどりホールは「きれいな食堂」ではありません。「多目的なにぎわい空間」へと改修しました。型破りな行事がやりにくい時代にあって、「体感の伝統」を守る新たな砦になる、そう確信した催し第一弾でした。

※ ご支援者へのお礼とご報告は、改めて掲載させていただきます。

会長だより ㉚ 自主独立

(2024年8月24日=みどりホール完成)

自主独立

緑友会長 川本正人(普通科21期)

皆さんはどう感じられたでしょう。入学して「自主独立」の校訓を知ったときです。私は「立派な〝お題目〟やなあ」と思いました。これが指針だと言われても、何をどうすればいいのかピンとこなかったからです。

けれど今はわかります。自主独立とは、他を頼らず自分の力で事を成すこと。私たちの母校は、様々な体験を通し、それができる人間をつくる場所だったのです。

今日、食堂を一新した「みどりホール」が完成しました。行政に頼らずに生まれた、母校の新たな体験の場です。この1年5か月の間、緑友会にコツコツと浄財を寄せて下さった卒業生や元教員らは、1542人と8団体。このホールは、そのおひとりお一人の「自主独立」の結実です。


写真左:「みどりホール」に掲げる校訓の書 右:高山愛二さん(25期)が音響機器を寄贈 (いずれも24日搬入)

現役当時の母校は、本当に体を動かすことばかりでした。半径2㌔以内の徒歩通学、長居公園周回15㌔マラソン、修学旅行代わりの霧ヶ峰キャンプ……。「勉強だけならアホでもできる」と発破をかける先生も真剣で、「そりゃ絶対違うやろ」と突っ込むスキもありません。

一方、部活や勉強はほとんど生徒任せ。私の場合、死ぬほど練習して臨んだ3年生夏の公式戦を最後にハンドボール部を引退。ようやく受験を意識し、暑い日中に寝だめして徹夜で机に向かう昼夜逆転・成績大逆転の奇策を敢行、当然ながら失敗し、夏休みが終わると頭は真っ白、顔は真っ青。やっぱりアホに勉強はできません。

さらに当時は、9月からが文化祭と体育祭の季節。怒とうの数週間が終わるとしばらくフヌケ、気がつくと歳末。それでも例えばハンドボール部のメンバーは、大阪府立大などの国公立をはじめ志望校に次々合格。みんな、ホンマのアホとちゃうかったんや。

振り返ってみると、「成績よりも人間をつくれ」という母校の意思を感じます。社会に出ると、学生レベルの知識では太刀打ちできない場面の連続。正解のない課題もたくさんあります。そんなとき試されるのは、にわか専門家になる集中力、選択肢を一つずつつぶしていく粘り強さ、ここぞというときの瞬発力や突破力です。これらは、やたらと体を動かし、行事や部活にのめり込み、多様な仲間にもまれて育つものだと私は思います。

福沢諭吉の「学問のすすめ」といえば「天は人の上に人を造らず」ですが、もう一つ、彼のメインテーマである言葉が記されています。「一身独立して一国独立す」です。ひとり一人が自分の力で立てるようになれば、周囲を立ち上がらせることもでき、国も強く豊かになれる。独立の気概のない人間は、周囲を思う気持ちも浅く、人に頼り、へつらうようになる。そう説いています。

今、「みどりホール」にご支援を寄せて下さった方々を、存じ上げている限り思い起こしています。決して斜に構えず、こびることをよしとせず、ちょっととがっていて、損だとわかっていても簡単には折れず、したがって世渡りはうまくなく、それでも黙々と働いて、ときに誰かのために血潮を熱くする……、そんな像が結ばれます。

ご支援を形にしていった緑友会のスタッフも同様です。一級建築士、企画制作マン、フィナンシャルプランナー、元&現教員、地域ボランティア、会社員、公務員、元銀行員、パート従業員、主婦……。社会や家庭で責任を果たしつつ、同窓というだけのご縁で時間と労力を割く人たち。

皆さん、「自主独立」の気概にあふれています。

諭吉の言葉にある「国」を「母校」に置き換えるとどうでしょう。「一身独立して母校独立す」。見知らぬ先輩たちの支援で後輩たちの地力が養われ、これからも強く豊かに人財を輩出していく母校の姿、思い浮かびませんか?

ホールの仕上げに「自主独立」の書を掲げることにしました。緑友会事務局の片隅で、あることさえ忘れられていた作品です。力強い筆致、うねる文字。それはしっかりと生き、汗と涙で自主独立を勝ち取った大勢の卒業生の姿そのものに見えました。