会長だより ㊴ カメラを止めるな!

(2025年3月26日)

カメラを止めるな!

緑友会長 川本正人(普通科21期)

彼岸が過ぎ、一気に春めいた日曜日(23日)。
ロケ当日のその朝、創立70周年にちなんだ会長メッセージの動画を「校庭一周、ノーカットの長回しで撮ろう」と決めました。
空がすばらしく青かったからです。

ノーカット撮影 開始早々の場面

緑友会は、ホームページの年度内一新を目指しています。ウリの一つが「動画」。会員からの投稿も募ります。
そこに載せる会長あいさつを、「きちんとしたビデオメッセージ」にしたところで、面白味も新鮮味もありません。撮影場に想定していた「みどりホール」が新年度用の教科書と販売物品の山で埋まっていたことも、屋外に目を向かせました。
「ニュース性を加え、二度と撮れないドキュメンタリー風にできないか」、そんなことをボンヤリ考え、目覚めたときに浮かんだのが「校庭一周ロケ」でした。

頭にあったのは、映画「カメラを止めるな!」(略称「カメ止め」)です。前半37分間はノーカットのB級ゾンビホラー。けれど実はこれが生放送番組で、後半はそのメイキングドラマという設定。トラブル続発の中、放送時間内にエンドまで持ち込んでいくスタッフの奮闘がコミカルに描かれます。臨場感、緊迫感、撮り切ったあとの爽快感がたまらない作品です。

スタッフが緑友会館前に集合するのは午後1時。盛り込めそうなネタを急いで整理し、頭にたたき込みました。いつものあいさつ同様、原稿やカンペはナシ。読むと噛(か)むし、第一気持ちが伝わらないからです。
少し早めに登校。正門前で青空に向かってそびえ立つ木々を改めて目にしたとき、出だしのフレーズが固まりました。

「緑のこずえが
4階建ての校舎を追い越しそうです。
校門から続くメイン通りの巨木群。
かつて一面が田んぼだったとは想像もできません。
これも長い歴史が生んだ風景です。
東住吉高校は2024年、創立70周年を迎えました」

登校してくれたスタッフは4人。合流してから「カメ止め」で行かせてほしいとお願いしました。
突然の提案。成否の見えない企画。しかもぶっつけ本番。プロの企画制作マンである撮影担当の10期生は、インパクトのある短いカットを積み重ねるお考え。絵コンテまで作っておられました。
けれど「あとで切り取り編集していただいて構いませんので、まずは一度、カメラを回しっぱなしで撮ってください」と無理を申し上げました。

正門から反時計回りに緑友会館までノーカット、ノー原稿の15分。舌のもつれや言い忘れは多々ありました。けれど、必死に追いかけてくれた撮影担当は一発OK。
「ワンカットでも、中身がしっかりしていれば十分伝わる。シンプルな作りの強さです」
そうおっしゃってくださいました。
(実は「やり直しは、もうイヤや」というお気持ちだったのかもしれませんが。)

本日、その担当者から、テロップなど修正完了のLINEが入りました。「ここで完パケにします」とのことでした。
完成を「完パケ」(完全パッケージ)なんて業界用語で言われると、なんだかそれなりの作品に聞こえますね。

仮題は「カメラを止めるな! 創立70周年・会長校内ツアー篇」。
近日、ひとまずこのままアップされそうです。
ライブ感はあるものの、狙った緊迫感とはほど遠く、ご披露できる完成度でもありません。
せめて「これなら自分も」と、皆様からの動画投稿の呼び水になりますように。

会長だより ㊳ 蔦重の語り部(言葉の巻)

(2025年3月16日)

蔦重の語り部(言葉の巻)

緑友会長 川本正人(普通科21期)

名だたる絵師や作家を発掘した蔦屋重三郎ですが、彼自身が発した言葉の記録はほとんどありません。プロデューサーは他の人を売り出すのが仕事、自分は脇役――という姿勢に徹していたかのようです。
そんな蔦重の生き方を、まるごと「言葉」に超訳し、現代人への教えを幾重にも導き出したのが車浮代さん(普通科26期)。
締めの今回はそんな近著2冊と、浮代さんからのメッセージをお届けします。

【生き方に学ぶ】(2冊)

◆『仕事の壁を突破する 蔦屋重三郎50のメッセージ』
(飛鳥新社2024年12月)

説明不要。ストレートに項目を挙げます。
<01 自分に何ができるのか、わからないあなたへ――人様に与えられる「天分」は、探せばきっと見つかる><02 自信がないあなたへ――とにかく動けば、それは「経験」になる。「経験」がやがて自信に変わる>、最後は<今の自分を誇れるか。今の自分に握手できるか>。
それぞれに蔦重らの行動と浮代さんの解説付き。「若い人に読んでもらいたい」と著者が願う一冊です。

◆『蔦屋重三郎の慧眼(けいがん)』
(2025年2月、ディスカヴァー・トゥエンティワン)

最新作は1㌻1エッセンスの〝教条集〟。171項目を「慧眼」「商売」「人間関係」「生き様」「色と通」「時代」の章に分け、さらに戯作者や狂歌師らの蔦重評を原文と訳文で収めています。
この出版社の人気シリーズに「超訳」ものがあります。ニーチェをはじめ古今東西の賢人・偉人の思想を1㌻1エッセンスで編んだもので、『慧眼』も同じ体裁。
蔦重の軌跡をシリーズ入りさせるまでに再構成した浮代さんの慧眼と力量、さすがです。

 

◇◇◇ 浮代さんから ◇◇◇

 

 すべての卒期に共通した熱中体験がある。それが東住吉高校の強みです。
「だより」執筆に先立って関東在住の浮代さんに初めてお電話した際も、皆さんの思い出と重なる話がいろいろ。
講演や執筆に加え、夏にロサンゼルスで行う「ネオ・ジャポニズム」の催し準備にもお忙しい中、2時間近くお付き合いくださいました。

母校の共通体験といえば体育祭。浮代さんは1年生の時が「マスコット」、2、3年生は「仮装」でした。仮装とはダンスや寸劇でパフォーマンスを競う団。今の「アトラクション」に当たります。
「テニス部の目立たない生徒でしたけれど、少しは目立ちたい、という気持ちがあったんでしょうね」

祭りのあと、校庭でマスコットを燃やし、皆で泣き、輪になってフォークダンスを踊った時代。
「良かったなあ……。就職した印刷会社で、下版の前、クリエーター、営業、印刷現場の全員がアドレナリン全開で徹夜していた時も、『体育祭みたい』って、ものづくりの達成感を思い返していました」

体育祭で男子生徒と制服を交換
した浮代さん(左の〝男前〟)

1年余り前、その体育祭のマスコットやスタンド(観覧席)をなくそうという意見が教員の中で強まったんですよ。理由は「安全ではないかもしれないから」。
「えぇっ! 学年を越えて、自分たちで全部管理して何かを作り上げる。あれほど人間形成に大事な行事はありません。ヒエラルヒー(階級)ができたり、ケンカや恋愛があったり、すべてが貴重。そうした経験の積み重ねが人や文化を育むんです」
そういえば私が同期の家内と結ばれたのも、体育祭で応援団長補佐だった私の法被(はっぴ)作りを、「衣装団」の彼女が担当したのが縁。相手には全くその気がなく、縫ったのも義母だったのに、「ボクを思って♡」とジコチューな誤解をしたのが始まりでした。

で、体育祭。蔦重ならどうします?
「もっと大胆に、全国に校名がとどろくほどにやるでしょうね。資金を集めて、特別マスコットを当日披露するようなサプライズも仕込んで」
長く続いた日本の縮小均衡の流れに押され、私たちの発想まで縮んでいないかと、改めて考えた次第です。

「東住吉温泉」という懐かしい表現も出ました。自由でおおらかな母校を例える言葉です。良く言えば「自主独立」の気風。江戸文化が花開いた蔦重の時代もこうだったのかもしれません。

例えば受験勉強。今のような丁寧な指導やマラソン学習行事はなく、それぞれが覚悟を決めたやり方をし、先生方も半ば黙認。芸大を目指していた浮代さんの場合、午後になると学外のアトリエで絵を学んでいたそうです。そういえば私も、理系クラスなのに史学科志望に転向し、数学や物理の授業中に古典や英語を自習。傍らに立った先生からはただ一言、「おまえ、卒業だけはせえよ」でした。

ぬるま湯に浸るばかりでなかったことは、国公立大合格者数が今の3倍前後だったことにも表われているのでは? 自由の結果に自己責任が伴うことを、自然と学んでいた気がします。

こうした話をしていて感じたのは、浮代さんが「縁」を大切になさることです。

ペンネームを決めた時には、「車といえば映画『男はつらいよ』の車寅次郎。だから車役の渥美清さんのお墓参りにも行ったんですよ、命日に。『これから車を名乗らせていただきます』って」。

江戸料理に話が及ぶと、「日本の八百万(やおろず)の神のことも考えるようになりました。昔は『米一粒にも神様が宿っている』って、食材を端々まで使い切っていましたから」。

さらに、「何かしてくれた人だけでなく、その人を形成した親や先祖、八百万の神々に感謝する『お陰様』、この瞬間から始まる未来に感謝する『今日様』という言葉もいいですね」とも。

最後に在校生へのメッセージをお願いしたら、すぐにメールで届きました。小説『蔦重の矜持(きょうじ)』にあるセリフです。
早速、卒業式を翌日に控えた3年生の緑友会入会式(2月27日)で披露しました。
全文採録します。

「『何事も経験』ってのは本当のことで、人生に無駄なことなんて一つもないぞ。無駄だと思ったとしたら、それは経験を生かさず、無駄にしちまった自分が悪いんだ。様々な経験を積んだ上で、自分の天分を見極めて、それを仕事にして社会に貢献する。それがこの世に生を享(う)けた意味ってもんだ」

様々な「経験」ができたからこそ、うなずく卒業生も多いはず。
そんな母校の「縁」で結ばれた緑友会。
「天分を見極めて貢献する」
蔦重の、いや浮代さんのこの言葉を胸に、私も春を迎えます。

 

会長だより ㊲ 蔦重の語り部(書の巻)

(2025年3月8日)

蔦重の語り部(書の巻)

緑友会長 川本正人(普通科21期)

NHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公、「蔦重」こと蔦屋重三郎。日本文化を代表する浮世絵師や戯作者らを次々と世に出した江戸時代の敏腕プロデューサーです。
その蔦重を、7冊立て続けの著書発刊で現代にプロデュースした車浮代さん(普通科26期)。短期間に、しかも一作ずつ異なる切り口で書き分けました。
尋常ではない筆力、企画力、知識量に圧倒されながら、さわりだけ紹介します。
独断の読み込み、平にご容赦。

【小説】(2冊)

『蔦重の教え』
(飛鳥新社2014年2月、双葉文庫21年3月)

小説デビュー作。私にとっても、今年の大河ドラマが「蔦重」と知った昨秋、「誰?それ?」と最初に手にした蔦重本です。55歳で依願退職を強要された広告代理店営業マンが、稲荷神社で立ちションをしたばかりにタイムスリップ、江戸の中期、1785年の遊郭・吉原で蔦重に拾われ、人生の極意を学んでいくーーという物語。「実用エンタメ小説」という裏表紙の見慣れないコピーにもひかれました。

<本書の特長その1> 読みやすい評伝であること。空想物語でありながら、蔦重の業績、登場人物、時代背景など骨組みはホンマもんです。
原作なし、脚本家オリジナルの大河ドラマと見比べると楽しさ倍増。例えば蔦重を世に出したガイド本「吉原細見(さいけん)」。男色家で知られた万能の天才・平賀源内が序文を書いて世間を驚かせました。男色の源内がなぜ女色の街に肩入れを?
ドラマ(第2回)では、小芝風花さん演じる花魁(おいらん)が源内の愛した歌舞伎の女形に扮(ふん)して心を開く、というナゾ解き。
一方、浮代さんの作品でも源内と花魁の深い仲がカギになります。
けれどそれを書くとラストのネタバレ。結末は本書でお確かめください。

<特長その2> 江戸の人々や街を活写。長年の江戸文化研究が生きています。個人的には、混浴銭湯・湯屋のくだりに「へ~ぇ!」でした。

<その3、最大の特長> 蔦重のセリフが格言・警句になっていること。思わず線を引いてしまいます。巻末には「教え」のまとめ付き。自己啓発書に挙がるはずです。
叱咤(しった)激励の教訓が多い中、冷徹さにドキッとする場面も。例えば「人生ってのは知恵比べだ。考え抜いた方が勝つ。知恵を絞った奴に騙(だま)されたんなら、引っかかった方が負けなんだよ」というセリフ。悔しければ「騙し返す」「用心する」「笑い飛ばす」という処方せんの選択肢付きです。
大国の横暴が目に余る今の国際社会に当てはめるとしたら、さて……。

『蔦重の矜持(きょうじ)』
(双葉社2025年1月)

『教え』の続編です。55歳の時空超えから20年。現代に戻りフランスで日本食堂を開いて成功した主人公が、近未来(2034年?)から1794年(江戸を離れて約8年後)に孫を連れてタイムスリップ。すでに人々の行く末や作品群の価値を熟知している主人公。蔦重らを待つ悲運を何とか回避できないかと試みます。

質素倹約を掲げる「寛政の改革」で色の数や題材を制約してくる幕府と、蔦重・作家連合軍との攻防戦。描かれるのは、蔦重らの意気込みの背景、創作のヒント、役者絵などを大量に描いて10か月で消えた東洲斎写楽の正体、といった作品・作家のナゾ解きの比重が大です。
フィクションなのに「せやったかも」と思わせるのは浮世絵専門家のなせる技。ちりばめた昨今の世相や映画の感想、食材やお店情報などは、浮代さん自身の声なのでしょう。
コロナ禍やAIといった「現代」も展開に関わってきますが、これまたネタバレ。本書でご確認ください。

【知る・見る・味わう】(3冊)

『蔦屋重三郎と江戸の文化を作った13人』(PHP文庫2024年8月)

史実に基づいたリアルな時代と人模様。ものすごくわかりやすいです。江戸時代のあれこれを現代風に置き換え、蔦重を「縛りが多いと燃えるタイプ」、郊外に移転した吉原を「ちょっと遠いけれど、わざわざ行く価値のあるアミューズメントスポット」と表現。田んぼに突然できたその不夜城を「千葉県にある東京ディズニーランド」「砂漠の真ん中にそびえ建つラスベガス」に例えたりもしています。

PHPは松下幸之助が「企業の知の拠点」を目指して創業した出版社。文庫はノンフィクションが中心です。そこに加わるだけあって、軟らかい文章ながら中身は硬派。
ドラマのガイド本として私のイチオシです。

『Art of 蔦重』
(笠間書院2025年1月)

蔦重がそれぞれの時期に出した浮世絵などのカラー作品集。鑑賞のポイントだけでなく、当時の世相や流行などを織り込み、蔦重の人材発掘や売り込みの戦略までビジュアルに理解できるぜいたくなつくりです。
見て楽しむならこれをどうぞ。

『居酒屋蔦重』
(オレンジページ2025年1月)

江戸料理研究家兼小説家の遊び心が生んだ「江戸レシピ&短編小説」集。蔦重が空想の居酒屋に浮世絵師や戯作者らを招き、才能の発掘、引き抜き、口説き、励ましをしていきます。順に招かれた客は計11人。それぞれに合わせた〝おもてなし〟のお品書き通りの写真に作り方まで添えたおいしい一品です。
「読んで作って食べて呑(の)む!」。
こんな蔦重本、誰にも書けません。

……と、ここまでで5冊。
残る2冊には、蔦重からの「メッセージ」が詰まっています。

浮代さんからのそれと合わせ、次回は「言葉の巻」。
体育祭など高校時代のお話もたっぷり入れます。

 

会長だより ㊱ 蔦重の語り部(人の巻)

(2025年3月1日)

蔦重の語り部(人の巻)

緑友会長 川本正人(普通科21期)

書名に「蔦重」と冠した7冊。同じ著者で同じ主人公、なのに一作ごとに異なる趣向、しかも6冊はこの半年余りの新刊です。今年のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(ばなし)〜」の放映を機に、これまで有名とは言えなかった快男児・蔦屋重三郎の全てを知ってもらいたいという〝べらぼう〟な気迫が、積み上げた本から立ち上ってきます。
手がけたのは車浮代さん。本校の普通科26期生です。母校の創立70周年に、卒業生がライフワークで花を添えてくれたよう。
浮代さんの、人、作品、メッセージを3回にわたって紹介します。

衣食住とも「江戸」が似合う車浮代さん
(2024年に開いた「うきよの台所」で)

喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎といえば世界に知られた浮世絵師。戯作者の曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』、十返舎一九は『東海道中膝栗毛』でおなじみです。
彼らの才能を見出し、育て、世に出る道筋を付けたのが「蔦重」こと蔦屋重三郎(1750~1797年)。江戸中期から後期にかけて、出版社兼書店である版元として活躍し、日本のメディア産業やポップカルチャー(大衆文化)の礎を築きました。
幕府公認の遊郭「吉原」で生を受け、両親に置き去られたその街で、知恵と汗を絞って面白さを追求、お上に目を付けられても痛快に乗り切って行く。
そんな波瀾万丈の物語は、ドラマで主演の横浜流星さんにたっぷり見せてもらうとして、ここではまず、蔦重を生き生きと現代によみがえらせた浮代さんの「夢噺」から。

著者プロフィール風にまとめると……。

時代小説家、江戸料理文化研究家。大阪芸術大デザイン学科卒後、東洋紙業のアートディレクター、セイコーエプソンのデザイナーを経て、映画監督新藤兼人にシナリオを学ぶ。一方で江戸時代の料理を研究し、1200種類以上を再現。2024年春、江戸風キッチンスタジオ「うきよの台所」をオープン。著書多数。NHK「チコちゃんに叱られる!」などテレビ・ラジオ出演多数。江戸料理の動画配信も行っている……。

これを、浮代さんから電話でお聞きした話や、雑誌などで明かされたエピソードで肉付けすると……。

国語と美術が得意な少女で、アートディレクターやコピーライターといったカタカナ職業に憧れて芸大に進学。ガールズバンドを組み、カーリーヘアに網タイツ姿でベースを担当。大阪で就職後も続けていたが、やがて解散。
心に穴が開いていた時に、あべの近鉄百貨店で見たのが浮世絵版画の実演。仕事で訪れたその催しで、彫師(ほりし)や摺師(すりし)の超絶技法、粋な江戸弁、出版社兼書店の版元システムなどに感銘を受け、浮世絵と江戸時代、そして「蔦重」にのめり込んで、やがて講演を頼まれるまでに。
一方、結婚を機に移り住んだ長野県松本市で夫や親せきから習ったのが郷土料理。塩、味噌、しょうゆが調味料、干したり漬けたり発酵させたりが保存法。これがのちの江戸料理研究につながっていく……。

こうした仕込みの季節を経て、いよいよ夢の幕が上がり始めます。

40歳を過ぎて本気で目指したのは、猛勉強した江戸文化の知識を生かせる時代小説家。構成力を磨くため通信教育でシナリオを学び、その後月2回上京して新藤監督に師事、シナリオ作家協会の大賞を受賞しました。これを機に単身上京。ガイド本『大江戸散歩道』を準備中だった作家・エッセイストの柘(つげ)いつかさんに出会い、アシスタントに。
「江戸料理のレシピ本を書いてみたら?」と勧めたのはそのいつかさん。老若男女が楽しめる「食」、けれど書ける人の少ない「江戸料理」に的を絞ってはどうかというのです。プロの料理人でもないのにまさかのジャンル。けれど、江戸料理のベースは松本で覚えた郷土料理と同じ。何とかなるかも。
2010年、狙い通りの本を上梓。浮世絵の「浮世」を女性名にアレンジしたペンネーム「車浮代」は、江戸料理研究家として知られていきました。

いつかさんによる浮代さん改造計画も待ったなし。「江戸文化を語るのに説得力がない」と黒づくめのファッションから着物姿に変身、コテコテの関西弁も落語の師匠に付いて東京言葉に改め、現在メディアで視聴する浮代さんになりました。

「とにかく動く」うち、またも良縁を得ます。飛鳥新社の編集長畑北斗さん。ムツゴロウこと畑正憲さんのおいで、自己啓発の大ベストセラー「夢をかなえるゾウ」を世に出した人です。当時は無名に近い蔦重をどう描くか。畑さんから示された方向は「自己啓発書・ビジネス書としても役立つ小説」でした。
それから2年。浮代さんは、経営者ら成功した約50人にインタビュー。さらに自己啓発のプロで、浮代さんが「女蔦重」と呼ぶいつかさんの教えを蔦重の軌跡に重ね、人物像を構築していきました。

こうして書き上げたのが、実用エンタメ小説『蔦重の教え』です。叱咤激励のセリフが奥深く、2014年からの売り上げは文庫を含め7万部。実績が引き寄せたたように、2023年、NHKが蔦重の大河ドラマ化を発表しました。
浮代さん、怒とうの執筆の始まりです。

次回はその作品群を取り上げます。

 

会長だより ㉟ 予言の自己成就

(2024年12月28日)

予言の自己成就

緑友会長 川本正人(普通科21期)

みどりホールに27日、追加発注の可動舞台5台が届きました。2日遅れのクリスマス、お年玉より5日早いプレゼントです。贈り主は普通科12期の有志ご一同。11月の創立70周年記念式典のあと、緑友会前会長の坂田繁数さんが同期LINEで寄贈を呼びかけ、半月後の今月初めに製作費40万円をご入金くださいました。

追加で届いた可動舞台(5台積んだ状態)

学校食堂を改修したホール事業では、今夏の着工前後に老朽建物のあちこちで危険個所が見つかり、対策費捻出のため設備や備品の整備を一部先送りしていました。可動舞台もその一つ。壁付けカウンター席の下に5区画、2台ずつ立てて計10台収納する予定だったのに、半分しか用意できませんでした。

5台で足りないことは、9月の文化祭に合わせたこけら落としで即、明らかになりました。舞台はそれぞれ1.88㍍×92㌢×高さ15㌢。公演する生徒たちが4台を2段重ねで横長に設置したところ、奥行きが狭くてマイクが立てにくく、漫才では前後の動きもままならなかったのです。残る1台で緑友会が設けた「街角ピアノ」もイスが置けずに立ち演奏。生徒や卒業生の熱演がすばらしかっただけに、本当に申し訳なく、「必ず整備する」と心に決めた次第です。

坂田さんからはこの10月、「同期生でピアノを寄贈したい」との申し出をいただいていました。しかし学校から「使う機会が多くないので」と辞退され、改めて私に「必要なモン、ないか?」。そこで先送りした案件の数々を説明し、「ホールとして機能させるには、まず舞台」とお答えしていました。ご無理のないようにと申し上げていたのですが、動きの速さはさすが! 頭が下がります。

製作は、ホールの設計・施工監理を無償で引き受けて下さった一級建築士の木本圭二さん(普通科24期)に依頼。出し入れや持ち運びに支障があった既設5台にも、持ち手穴や滑り材の加工をしてもらいました。こちらも仕事が速い!

そうそう、着工直後にメインの梁(はり)で見つかった構造クラック(危険な亀裂)についてもお知らせします。直径28㌢の鋼柱で下から支えることになり、20日に入札が行われました。年度内に施工の予定です。ホールのある緑友会館の屋上防水や階段塗装なども行われると聞いています。
これらの仕様・見積書を手がけてくださったのも木本さん。落札したのは別業者ですが「工事は見に行きます」。これまた頭が上がりません。

「予言の自己成就」という社会心理の概念があります。根拠の希薄な話でも、人々が起こりそうだと考えて行動することで、本当に実現してしまうことです。最初に信じた人が実現に向けた言動をする。見聞きした人が影響を受ける。そうした人々の行動でさらに多くの人が動くーーというメカニズム。ホール事業はまさにこれでした。

2年前、緑友会がホール化を言い始めた時は「できるんかなあ」と懐疑的な雰囲気。それがスタッフの本気度を見て木本さんや後援会「みどり会」のような助っ人が次々に現われ、それがさらに大勢の共感を呼んで成功確率が上昇。緑友会に寄せられた浄財は2年足らずで2246件、1058万円。落語家の林家染二師匠ら卒業生9人そろい踏みの記念公演もこうした流れの中で実現しました。

予言の自己成就には、銀行の取り付け騒ぎやトーレットペーパーの買いだめなどを引き起こすマイナス面もありますが、70周年事業ではさわやかな方向に働きました。皆様、本当にありがとうございました。

2年間がギュッと凝縮されて脳裏を巡るこの歳末。70周年事業ですそ野が広がった緑友会へのご理解・ご支援を、どのようにつなぎ、発展させていくか。新年の課題です。

「もしドラ」で広く知られたドラッカーの「マネジメント」に次の一節があります。
<組織が存在するのは、社会、コミュ二ティ、個人のニーズを満たすためである。組織とは、目的ではなく手段である>

ニーズを満たし、皆様のご多幸に結びつく次の「予言」、見つけます。
来る年も緑友会を、どうぞよろしくお願いいたします。

改修で昼食時のにぎわいが復活
右奥の壁面下部に舞台を収納

会長だより ㉞ 「経験の弟子」たちへ

(2024年11月16日=記念式典を終えて)

「経験の弟子」たちへ

緑友会長 川本正人(普通科21期)

16日に行われた母校創立70周年の記念式典・公演・ホールお披露目会。在校生はもちろん、関東からのお運びを含め卒業生ら約100人も一緒に祝ってくださいました。本当にありがとうございました。
70周年式典
以下は、70周年記念事業実行委員長として私が式典で述べたごあいさつです。母校や卒業生への誇り、在校生へのエールを10分間でどこまでお伝えできたか疑問ですが、再録してことほぎとお礼の言葉とさせていただきます。

◇ ◇ ◇

お集まりいただき、ありがとうございます。普通科21期生で同窓会長の川本です。今の校歌、1番だけは50年前からくちずさんでいます。
会長

さて、70周年を記念し、同窓会、後援会、PTAで食堂を「みどりホール」に改修しました。単に「きれいな食堂」にしたのではありません。様々な体験ができる空間として整備しました。
今日はその「体験」についてお話しします。

ホールのこけら落としは9月の文化祭。生徒の皆さんがいろいろな催しを繰り広げてくれました。最初に行われたのは漫才コンテスト「ヒガスミM1グランプリ」。約200人でいっぱいの会場が爆笑で揺れました(下の写真)。

漫才グランプリ

その中にいた私は、登場した3組の生徒について、3つのことで感動しました。
1つは、芸のレベルの高さ。泣かせるより難しい笑いをあれだけ取れるのはスゴい。
2つ目は、彼らの進化の鮮やかさ。私はたまたま前日にリハーサルも観ていました。その時は1組の完成度が図抜けていて、あとの2組は少々荒削りな印象。ところが一夜明けると3組とも格段にレベルアップし、しかも横一線。結局、荒削りだった1組の優勝でした。
彼らに聴くと、リハのあと演技の時間を1分余り延ばし、ネタを2つ新しく入れて、夜中12時まで公園で練習したといいます。この修正力、集中力はアッパレです。

3つ目。それは登場した3組全員が3年生だったことです。受験生がこの時期にこん身の漫才をやっている。審査員から「オチは決まった。大学は大丈夫」と激励が飛ぶ。こうした光景に私は、「これが東住吉高校や」とうれしくなりました。
いつも何かにのめり込んでいる。それが開校以来の伝統だからです。

私たちの頃は、体育祭も秋でした。また、やたらと体を使う学校で、山の高原で何日もキャンプをするのが修学旅行代わり。長居公園5周15㌔のマラソン大会も長く伝統行事でした。「二兎を追え」は15年前からの第2校訓ですが、当時の言い方では「勉強だけなら誰でもできる」。おかげで全国大会に出る運動部や、後にオリンピック選手になる人もいました。

では勉強はどうだったのか。例として国公立大学の合格者数を同窓会報から拾ってみました。ちなみに昨年度は現役15人、浪人11人の26人。
では10期生の時は……現役25人、浪人27人の計52人。30期生では計90人。70年周年の真ん中35期生では計79人。阪大にはほぼ毎年、京大にもぼつぼつ合格していました。
もちろん今と単純比較はできませんが、子どもの数がずっと多く、当時も簡単に入れるわけではありませんでした。

ではなぜ年中走り回っていながら進学でも一定の成果が出たのか。それは本校が、人間のあらゆる可能性を育む「全人教育」を行っていたからだと、私は考えています。
全ての生徒に、年間を通じて様々な体験の機会を用意する。生徒たちがそれらに自由にのめり込む。こうした環境が、M1の生徒が見せたような自主性、集中力、突破力、コミュニケーション能力、人の気持ちがわかる共感力、そしてギリギリのところで耐え抜く体力や精神力などを様々養い、様々な成果に表われたのではないか。

これからの時代、不透明さが増しそうです。AIの裏をかかなければならない場面もあるかもしれません。しかし様々な体験を通して地力・地頭を養った人間なら、どんな事態にも対応できる、そう思うのです。

500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチという人がいました。画家として知られますが、彼が極めた分野は、天文、物理、建築土木など数十に及びます。
例えば彼の代表作で、聖書に題材を取った「最後の晩餐」という大壁画。そこでは最先端数学だった遠近法が駆使されています。また題材にはキリスト教の造詣が要ります。十数人の人物の心の内をポーズや表情で描き分けるために、解剖学や心理学の要素も加わっています。

「絵」だけ勉強しても、あの作品は描けないのです。

彼は、イタリアの片田舎・ヴィンチ村で、父親のいない私生児として生まれました。ヴィンチ村の、ただのレオナルド。まともな教育も受けていません。それがどのようにして「万能の天才」になったのか。

彼は膨大なノートを残しており、一部は岩波文庫に入っています。それをひもとくと、答えは割と前の方にありました。
彼は自分のことを、「経験の弟子レオナルド」、そう呼んでいるのです。
ノートを読むと、彼はとにかく観察し、触り、実験し、デッサンし、文章に落とし込んで考え抜く、そんなことを営々と繰り返しています。
五感の全てで対象にのめり込む。その体験が彼の経験方法なのだと、私は理解しました。

ひるがえって本校。今も昔も様々な経験の場が用意されています。皆さんも私たちも、その弟子です。
コロナでマラソン大会や合唱コンクールは中断しました。しかし一方で卒業公演やチャリティーマラソンなどなど、困難を乗り越えて定着した催しもあります。
みどりホールができ、M1も新たな恒例になるかもしれません。
国際交流も格段に充実しました。本日も台湾の姉妹校からわざわざ8人がここにご登壇です。
「歓迎来到(フアン・イン・ライ・ダオ=ようこそ)東住吉!」
台湾語

70周年の時の流れをどこで輪切りにしても、一生懸命な経験の弟子たちが詰まっています。その最先端にいるのが皆さんです。現在は過去の積み重ねの上にあり、未来はその先に広がっています。

生徒の皆さんは今、学校が楽しいですか? 好きですか?
ご来場の卒業生の皆さんはいかがでしたか?(歓声、拍手)
学校が楽しくて、好きで、一生懸命。そんな若者が集う限り、本校は不滅です。

30年後、皆さんは働き盛りの40代、私もまだ95歳です。
これからもたくさんの体験を重ね、100周年でまたお会いしましょう。
ありがとうございました。

2024年11月、チャリティーマラソン開催<緑友会報告>

緑友会報告 続いて体育科  富田 年久先生よりの報告があります

11月9日(土)雲ひとつない快晴の下、チャリティ100kmリレーマラソンが開催されました。
緑友会は例年参加者支援のためエイドステ-ションを運営していて、その日を文化祭とともにホームカミングデイと位置付け、OB・OGの参加を呼び掛けてきました。
<マラソン、スタートの様子:動画>

100Kマラソン

今年は、いなりずしと豚汁を提供しました。準備に協力いただいたみなさんには朝早くから参加いただき、いなりの小分け作業や豚汁づくりに携わっていただきました。
食材についてはチャリティマラソン参加者+関係者を考慮して560人分として発注しました(ただし、豚汁については水が多かったのか、結果700杯分(お代わり含む)の提供となりました)。
昨年の経験をふまえ、豚汁の具材となる野菜は前日に下準備をして、鍋ごと具材別に分けて袋詰めして持ち込みました。
肉といなりは当日スーパーに予約したものを緑友会事務局で手分けして搬入してもらいました。
いなりについては、2 個ずつのパック詰め直し作業に3人かかりで取り組んでいただきました。
豚汁については3つの鍋で平行して炊き始めました。
<動画はこちら>

鍋3

当日は、このチャリティ100kmリレーマラソンのほか、中学生向けの学校説明会、学校の取り組みを検討する学校協議会が行われるなど盛りだくさんのスケジュールで、校長先生がスタートラインに着いたのが予定時間の1分前という忙しさでした。

川本会長の話では、チャリティ100kmリレーマラソンは当初から担当されていた先生が今年で退任されるそうで、来年からの開催や支援はどうなるのかと思っていたところ、その先生に若い先生お二人を紹介され、その方々から「私たちが受け継ぎます。引き続きご支援ください」とごあいさつをいただいたそうです。

チャリティマラソンがはじまると、それぞれ走り終えた現役生がやってきました。生徒の取次の整理は吉川先生にお願いしました。ゴマ油のとショウガの香りが効いた豚汁は、生徒には好評でした。

次々

消費ペースが思いのほか進まず、豚汁の鍋は2廻りが精いっぱいでした。そのため、最後の2鍋は残りの具材を全部投入したため、超特盛鍋になってしましましたが、参加者配布後の「おかわりタイム」には50人以上の列ができ、ネギ1つ、汁の一滴まで残さず平らげてくれました(高校生の食欲恐るべし)。

今回はスタッフ以外に、21期生が5人来ていただき、うち1人は調理師免許をお持ちでした。
昨年のキッチンカー21期生もそうでしたが、この資格のある人がいると、保健所対策の負担がゼロになります。
来年度のご参加も川本会長からお願いして了解をいただいたようです。

皆様のご協力のもと、無事に終わらせていただき感謝いたします。

最後の最後までおかわりを待つ列が続きましたこと、そして「美味しかった❗️ごちそうさま❗️」と顔をほころばせる様子にこちらも嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
学校、生徒とともにこの様に交流が持てます機会がこれからも続き、支援の輪が広がりますことを願っています。

フェイスブックにリアルタイムで投稿して、拡散もしていたようで、支援の輪が広がるように広報活動にも力を入れてまいります。

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Facebookのコメントを引用

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富田先生からのコメントでは、生徒さんたちはランチをとても楽しみにしていたそうです。

お世辞でもチャリティーマラソンが毎年大成功しているのは緑友会のおかげと言われるとうれしいですね。

スタッフ

<体育科 富田 年久先生からの報告です>
今年も第19回チャリティーリレーマラソンが、大盛況で無事に終えることができました。毎年のことですが、ヒガスミ生たちのエネルギーを感じることができました。
私が、チャリティーリレーマラソンを始めたのは、1995年(阪神淡路大震災が切っ掛けです)からです。前任校である長吉高校で始め、ネパールに4校の学校を建てることができました。子どもたちのお礼の手紙がたくさん届きました。その中で「学校ができても、お金が無く学校に行けない」と言う声がたくさんあったので、学校に行くための奨学金制度を作ろうと思いました。
東住吉高校には、2007年に転勤してきました。その年の秋から、学校に行けないネパールの子どもたちを助ける、チャリティーリレーマラソンを始めました。現在JASSラルパテというNGOを通して、ネパールの6校の学校100人に奨学金を贈っています。
我々は、ネパールだけでなく、東日本大震災の時は陸前高田市にあった高田高校を支援するために、震災後3週間春休みに高田高校支援のチャリティーリレーマラソンを行いました。その時義援金は200万円集まり無事届けることができました。(この年は、2回実施)
18年間続けられたのは、ヒガスミ生たちの心の優しさだと思います。困っている子どもたちがいるなら、手を貸そうと思ってくれます。また、子どもたちは緑友さんの作ってくれる昼食も大きな楽しみの一つになっています。体育祭に並ぶ伝統行事になりつつあると思います。現役生や緑友さんが一体となって、これからも続いていくものと思っています。

会長だより ㉝ 不易流行の支援

(2024年9月24日)

不易流行の支援

緑友会長 川本正人(普通科21期)

(※不易流行=変わらないものを残しながら、変化を取り入れること)

母校の支援団体は3つ。PTA、みどり会(元PTA役員らによる後援組織)、緑友会です。いずれも開校間もなくから活動してきました。けれど、PTAはコロナ禍による活動制約がまだ尾を引いている様子。みどり会もあおりでOB・OG不足に陥り、今年度から活動を休止しました。

創立70周年記念事業実行委員会は、この3団体と学校で組織されています。といっても実際に集まるのは学校と緑友会だけ。2大事業の「食堂の多目的ホール化」は緑友会、「記念式典・記念公演」は学校という役割分担です。差し出がましくて落ち着かないのですが、全国で広がるPTA離れを考えると、緑友会が前面で対応する場面は増えそうに思います。

24日、その実行委の第6回会議が開かれました。これからは11月16日(土)の「式典・公演」に向かいます。そこで今回は、一段落した「ホール」について、これまで触れていなかった点をご報告します。

<命名>

みどり会は活動休止に当たり、蓄えのほぼ全額750万円を実行委に寄付されました。食堂改修はこのご決断なしには不可能でした。「みどりホール」は、同会の事実上最後の、そして最大のご支援だったのです。

みどり会の今後を話し合った昨年4月の同会役員会。お招きいただいた私は、創立以来の大事な方々にお約束しました。「歴史とご功績のある会のお名前をどこかに残したい。私案ですが、みなさまのご協力で完成がかなったら、『みどりホール』の命名を関係団体にお示しします」

その後、各団体ともこの命名に賛同してくださいました。同会の母校支援事業も、昨年度から緑友会が引き継いでいます。

<工費>

資金と時間に最後まで追われた工事でした。お金がなくて発注をためらっていた銘板を緑友会館の門柱に取り付けたのはこけら落としの前日、9月6日の午後。デザインを緑友会スタッフに頼んで費用を抑え、堂々とした真ちゅう製にしました。

工事一式の費用は計1877万9300円。予算の1650万円を227万9300円、14%超過しました。相次いで見つかった老朽危険個所の修理、脚部再塗装だけの予定だった丸イスの座面交換が主な理由です。

このため緑友会から実行委への寄付を、当初の500万円から730万円に増額。役員9人から異論は出ませんでした。

これにより周年事業全体の予算は、PTAから500万円、みどり会から750万円、卒業生からの寄付1万円と合わせ、1981万円になっています。

<梁の亀裂>(だより㉘「『安全第一』の覚悟」参照)

ホール中央の梁で7月の着工早々に見つかった「構造クラック」。その対応を8月29日に府教委と直接話し合いました。台風が近づく中お越しになった担当3人は「当時の図面もなく、危険性の判断は困難」「耐震対策はどれだけやっても『それで安全』とは言えない」と率直でした。

こちらからは「ご判断が難しいなら、改修工事を監理した一級建築士らの『大地震が来たら危険』という指摘を信じるしかない」「耐震対策に限りはないが、『だから何もしない』ではなく、『どこまでできるか』をご検討いただきたい」と訴えました。

50分後、先方がおっしゃいました。「対策案を示してもらえれば、こちらも検討しやすい」

発見当初の「補強したいならやっていただいてもいい」という回答からは大前進。ここまでくれば、あとのやり取りは学校にお任せです。緑友会は対策案の支援に回り、24日の実行委では梁を柱で支える補強図面をお示ししました。

<運用>

構想実現に動くに際し、昨年3月、学校側と大枠で合意しました。「緑友会やPTAの活動にも活用する。ただし禁酒・禁煙」「ランニングコストは学校が負担」といった内容です。

ホール完成後、生徒たちや緑友会員から「どうやったら使えるの?」という問い合わせが早速ありました。学校がルールを設定されることになっています。

……こう書き連ねると、なんだか緑友会だけ安泰なように見えます。けれど内情は火の車。固定収入は新卒時の入会金だけ(昨年度は132万5000円)。対する支出は、会報の印刷・発送だけでも240万円(次の課題です)。ご寄付がなければとっくに財政破綻しています。

ありがたいことに、この2か年度のご寄付は、1587の個人・団体から2207件、996万円余り。一昨年度の3倍以上のペースです。名簿電子化によるコンビニ決済とホームページの改修でご支援のすそ野も広がりました。

せやけど周年事業に730万円も投じたら……。まあ、しんどいでしょうが、どうにかなります。みなさまから息の長いご支援をいただけるよう、スタッフ一同、あらためて奮闘努力するばかりです。

一昨日、私の21期のミニ同期会があり、30人が集いました。実現に懐疑的なムードが漂っていたホール構想を、当初から応援してくれた人たちです(1年前のだより⑲でご紹介)。ようやく訪れたお礼の機会に、私はごあいさつをしました。

「この歳になると、『いいもの』を残す責任を感じます。これだけ大勢の同期が2年続けて集まるのは、50年近く前のあの時間・空間が、やっぱり『いいもの』だったからだと思うのです。この絆とそれを育んでくれた母校は誰かが守らないと、いけない」

気負いすぎかもしれません。独りよがりにも聞こえます。けれど本心です。

緑友会はこれからもホールを活用していきます。自分の来し方をふと確かめたくなったらお立ち寄りください。「あの日々」が、ひょっとしたらこれからの人生を照らす一灯になるかもしれませんから。

※「記念式典・記念公演」のご案内は、ホームページのバナーから。

会長だより ㉜ 続・祝祭の人模様

(2024年9月10日)

続・祝祭の人模様

緑友会長 川本正人(普通科21期)

みなさまのご支援で完成した創立70周年記念の「みどりホール」。そのこけら落としから3日が過ぎました。あの日、同じ時間と空間をすごし、それぞれに母校への思いを深めておられた方々を、改めて振り返っています。

生徒たちの公演とともに、緑友会は、卒業生らとの交流の集い「ホームカミングデイ」を催しました。「街角ピアノ」「飛び込みライブ」「限定ホールランチの提供」「ヒガスミ応援ハンディータオルの販売」が主な取り組みです。

前回の「だより」は、公演する生徒たちにスポットを当てました。今回は訪れた卒業生について、いくつか書き残します。

 

「街角ピアノ」でエールを送った普通科18期生、内本由美子さん

この日はホールを半分に分けてありました。入って右手は公演会場、左手は食堂とミニ舞台。後者には小さめの電子ピアノを置き、誰でも使えるようにしていました。

「弾いてもいいですか」。ミニ舞台の真ん前でホールランチを召し上がっていた女性が声をかけてこられました。内本さんでした。「芸能文化科もあって上手な方が多いでしょうに、出しゃばりでは?」という思いが少しあったそうですが、弾き始めるといつものように心身とも「異次元」入り。

1曲目は中島みゆきの「ひまわり〝SUNWARD〟」。激動の時代を生きる人々へのエールです。2曲目はパッヘルベルの「カノン」。日常を離れ、母校で校舎を眺めたり、旧友との再会を喜んだりする光景をイメージした選曲でした。

病院や施設の子どもたち、お年寄りたちに寄り添おうと、訪問演奏を続けて20年近く。コロナで施設に入れなくなった間も、京都駅ビルの街角ピアノを朝から奏で、不登校の中高生らを慰めていたといいます。

その時、その場所で伝えたい思いが、いつもありました。

「ひまわり」の途中でふと目を上げると、若い女性が小さく拍手をしていました。「応援、届いたみたい」、そう感じた瞬間でした。

街角ピアノ

 

こけら落とし最初の演奏者となった26期生、長谷川喜也さん

スピーカー、ミキサー、イコライザーなどを寄贈してくださった25期生、高山愛二さんの高校時代のフォークサークル仲間です。「飛び入りライブ」OKと聞いてギター持参で早々に来場されました。

生徒たちの公演まで約1時間。見るとマイクがまだ未セットです。会社員の傍ら、週末にライブカフェで音響を手伝っているだけに放ってはおけません。「ちょっと触ったことあるから」と、前回のだよりで紹介した3年生ビートボクサーらとセッティングに乗り出しました。

奥行きの狭い舞台に合うようマイクスタンドの位置や高さを工夫。前日のリハで聞こえなかったリードギターの音をボーカルマイクで拾えるよう改善。ハウリングを避けるためスピーカーはやや外向きに。機器への音の「出」と「入り」のバランスも調整……。

これまでは「音響機器がなかったらどうなっていたことか」と、ハード面のご寄贈だけを喜んでいた私ですが、この日は「この人が来ていなかったら」と、ソフト面の助太刀にも大感謝。ここは本当に人に恵まれたホールです。

長谷川さんは、マイクテストを兼ねてそのまま「飛び入りライブ」。1曲目はシンガーソングライターあいみょんの「双葉」。別れや成長、未来への希望を高校世代に向けて歌った作品です。2曲目はバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」のテーマ「ハートスランプ二人ぼっち」。選曲理由は「昨夜、放送してたから」。レパートリーはなかなか広そうです。

ところで今日は何曲ご用意?「せやねえ、30から40かな」。この人、心底本気でやらはるつもりやったんや!

2曲では足りなかったのでしょうか。長谷川さんは食堂エリアのミニ舞台わきに移ると、今度は緑友会スタッフの三線(さんしん)を手に、なんと校歌を演奏。「この曲、初めて弾いた」なんて、うそでしょ? 味わい深く風情のある音色に、食事客らも拍手でした。

長谷川さん

 

ホール関係はすべて真っ先に参加の11期生、寺崎信さん

「公演とランチの集い」の告知が緑友会ホームページにアップされた直後、ホールランチを一番乗りで予約。こけら落としにも開場直後にお越しになりました。「LINEで同期を誘ったのですが、みな70代半ばですし、住む所も離れてしまって。私は大阪市内なんで、まだ自転車でも来られそうなんですが」と一人かくしゃく。

そういえば11期会のみなさん、支援を募り始めた昨年6月の会報発行直後にご厚志をお寄せくださいましたね。「卒業40周年から何度か同期会を開いてきましたが、コロナで中断。手作りの催しは年齢的にも難しくなりまして、昨年、会議を開いて会の解散を決めました。会則も作ってありましてね、解散時は(余剰金を)緑友会に寄付すると決めていたんです」

高校時代は理化学研究部。気象予報士などいない時代。気象を担当し、文化祭では天気図などを展示しました。校内を巡ると、今は展示より模擬店。それはそれで生徒たちを応援しなければと、ベビーカステラの店で2000円を渡し、「手が空いたらホールに」と、緑友会への差し入れを手配。間もなく数個ずつ入った紙コップが20ほど2回に分けて届けられ、スタッフを感激させました。

寺崎さんは、生徒たちの公演を最後まで見届けてホールを出られました。「一生懸命なら何事も無駄になりません。若いときは何をやりたいのかわからないかもしれないが、道は一つじゃないですから」。夏嵐のような生徒たちと過ごしたあとの言葉でした。

 

母校出身の著名人でサイン帳をいっぱいにしたい普通科31期生、萩原泰之さん(緑友会書記)

緑友会ホームページのトップに据えてある「祝70周年 繁昌亭からのメッセージ」。ページ初の動画です。登場4人のうち、芸能文化科12期生(普通科では50期)の桂團治郎さんと同科22期生(同60期)の笑福亭呂翔さんにホールでお会いしました。3月に動画出演をお願いした際もそうでしたが、実に気さく。「ええのできましたねえ」とホールを見渡し、大勢の一般客に混じってホールランチを召し上がってくださいました。

萩原さんは、あの動画をタブレットで撮影した人です。当時はどちらも真剣で余裕がありませんでしたが、この日はお互いにくつろいだ雰囲気。食事中の二人にその節のお礼を申し上げつつ差し出したのは、大判のサイン帳。以前から著名卒業生で埋めようと用意し、この日も持参していました。サインはもちろん、千社札シールまで張ってもらってご満悦です。

見せてもらうと、あて名はどちらも「はぎはらさん江」。ン?役員やったら「緑友会さん江」としてもらわなアカンのとちゃうん? 「あっ、次は色紙用意してちゃんともらうようにします」

けれど、「サイン帳いっぱいの著名卒業生」という彼の言葉にはひかれました。ホールは人財のインキュベーター(支援施設)。80枚つづりのサイン帳には今3人。全ページ埋まる日が楽しみになりました。

サイン

 

会長だより ㉛ 祝祭の人模様

(2024年9月7日=「みどりホール」こけら落とし)

祝祭の人模様

緑友会長 川本正人(普通科21期)

言葉が浮かばないもどかしさをいつも以上に感じています。文化祭に合わせた7日の「みどりホール」こけら落とし。その模様と事業ご支援への感謝をどうやってお伝えするか。どうも「自分の言葉」では難しいようです。

催しは、生徒たちによる5つの公演(足かけ4時間)と、緑友会が企画したホームカミングデイ(卒業生らの交流イベント)で構成。一時は約200人が縦12㍍、横18㍍の空間を埋め、ホールはさながらライブハウス。築62年で初めて備えた空調機が威力を発揮しました。

まず開演直後の写真をご覧ください。公演者らはここで何を感じ、どう臨んだか。このあと生徒たちの「言葉」で公演順にお伝えします。

 

漫才頂上決戦「ヒガスミM-1グランプリ」(出場3組)の司会、3年西川瑠奈さん

「ウワァーッて、メッチャすごい歓声がブワッときた。『楽しく笑ってくれたら』とは思っていたけど、想像以上のライブ感でした」

(一言)漫画「DEATH NOTEに登場するアイドルの衣装。どのネタにも一番よく笑っていました。

 

優勝した「マツアンドヤマ」の3年松岡啓太さん、山地祥生さん

「気持ちよかったぁ。受けすぎて続きのセリフを出すのに戸惑った」「前日のリハーサルよりネタを2つ増やして、昨夜は公園で12時まで練習」「修学旅行(前年、石垣島)の時に初めてやった漫才は受けなかった。リベンジ成功」「これからは受験勉強。優勝を弾みに国立大を狙います」

(一言)リハでは練習の差が見られましたが、3組ともたった一日で急成長。会場をうならせるハイレベルの接戦になりました。この集中力にも拍手です。

 

審査員(校長、教員、卒業生、在校生の5人)

「出場者全員が3年生。この時期に受験よりネタが命?」「ネタは落ちた。大学は受かります」「校長ネタ、全力でイジってください」「先生も面白い話ができるように頑張らんと」

(一言)審査員のコメントにも爆笑。さすがです。

 

マジックの3年小屋畑遼(こやはた・はる)さん

(先に一言)前日のリハでは「長い風船を飲み込むとき、オオッ!とどよめきがわいたら成功」と話していましたが、当日は風船ナシ。はて?

「風船、割れちゃったんです。夕べの練習で。今日は最初のハンカチ伸ばしもミス。修学旅行で初めてマジックをやったときは受けたんですけど、今日は……」

(一言)登壇前は声もかけづらいほど緊張気味でしたが、本番は黒サングラスをかけて堂々。合間にポーズを決め、余った時間にハンカチやペットボトルを使った同じネタを繰り返して失敗を穴埋め。タフな一面を見せてくれました。

 

アコースティックギターの1年宮城虎侍(とらじ)さん、中川唱平さん

(汗だくのギターボーカル宮城さん)「頭がパニック。歌詞は飛ぶし声も出ない。知らん人がおるとこんなに緊張するんや。こいつ(リードギターの中川さん)は天才やのに、申し訳ない。絶対リベンジや。けど緊張するから、今度はもうちょっとこぢんまりと」、(落ち着いた中川さんが肩を組んで)「そんなことないって。よかったよ」

(一言)軽音仲間で、初舞台のこの日はビートルズや尾崎豊など和洋6曲。始まる前は「失敗もライブ。楽しければ成功」と豪快だった宮城さん。リズムを刻んでいた上履きのサンダル、昔より上等になりましたが、卒業生には懐かしかったです。

 

口を使って音楽を創り出すビートボクサー、3年林奏芽(かなめ)さん

「文化祭は、部とかクラスとかでないと参加できないでしょ。個人や有志では難しい。だからこんな舞台を作ってくださって、本当にありがとうございます。来てくれた人に跳んで叫んでもらいたかったけど、今日はそこまで行かなかったなあ」

(一言)聴衆は演奏がスゴすぎて動けなかったのだと思います。なんせ「ドゥオーン」という重低音に打楽器が重なって、さらに管楽器まで加わるのです。ホンマに一人の口? ホンマにボクサー3年目? 私には衝撃でした。

(もう一言)彼は出演全組の「音」も担当してくれました。普通科25期の高山愛二さんからミキサーやイコライザーを寄贈されたのですが、扱える人がいません。そこで3日前、仕事中の高山さんに来てもらい、説明を受けたのが彼。その日のリハの際、音圧に耐えるダイナミックマイクを持参していたので、音作りに詳しいのだろうと思ったのですが、実は機器を触ったことがなかったとか。動じず、柔軟で、責任感の強い人柄を感じました。

 

来場親子の年齢を考えて平成を意識したアニメソングを2曲、アンコールで「め組のひと」を演奏した吹奏楽部の部長、2年内山瑠華さん

「体育館でも演奏したんですが、こっちの方がいいなと思います。部員8人で体育館は広すぎるし、みんなに見られる正式行事の感じだし。ここはご飯食べている人までいて、くつろいだ気分。体育館では出なかった『アンコール』の声も上がって、楽しく、うれしく演奏できました」

(一言)来場者によると、たしかに体育館よりホールでの演奏の方が良かったそう。吹奏楽部は毎年、OB・OG(=緑友会員)と定期演奏会を開いており、みどりホールを使うことも検討中です。

 

公演に浸りながら、考えたことがあります。「わからないから興味がない」に流れがちな自分への反省もその一つ。「わからないけど、なんかすごい」、そう受け止める感性が、考えを深め、知性を高めることは確かです。両者の違いは、その時間や空間を体感したかどうかで生じることを、「なんかすごい」後輩たちに教わりました。

私たちの母校の強みは、こうした「体感」の機会を伝統にしていることです。

みどりホールは「きれいな食堂」ではありません。「多目的なにぎわい空間」へと改修しました。型破りな行事がやりにくい時代にあって、「体感の伝統」を守る新たな砦になる、そう確信した催し第一弾でした。

※ ご支援者へのお礼とご報告は、改めて掲載させていただきます。