(2023年4月24日)
「緑友会」、その名のルーツは学校食堂
緑友会長 川本正人(21期)
「緑友会館」という名の学校食堂が開業したのは1963年(昭和38年)1月です。創立から約8年。待ちわびたかいあって、その規模や設備は「府内公立高校随一」とされ、他府県からの見学者まで驚嘆させた、と記録にあります。建物は当初1階食堂だけでしたが、間もなく2階、3階の増築に着手。同窓会館や部活の合宿所に使う構想もあり、ついに会館名が同窓会名になりました。今回はそんな「ホンマかいな」のお話です。
にぎわう学校食堂(1964年発行の創立10周年誌から)
緑友会の名を誰がいつ付けたのかわからない。1期生を含む周囲のスタッフも知らない。スクールカラーの緑にちなんだとは想像できるけれど。会長のくせに情けない。う~っ……。
そのモヤッとが少しスッキリし始めたのは、学校食堂大改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」を構想し始めた最近のことです。食堂入り口外の柱に埋め込まれた銘板に、「緑友会館」「寄贈 東住吉高等学校PTA」とあったのが糸口でした。「ン?『緑友』会館やのに、同窓会やなくてPTA寄贈?」
学校事務室で借りた古いつづりをめくると、確かにPTA寄贈。しかし、「緑友会館落成」の式典招待者一覧に「緑友会」という団体は見当たりません。代わりに「同窓会役員」が6人並んでいました。つまり完成時点では、「緑友」は会館名であって、同窓会名ではなかったのです。
続いて目に留まったのは、創立25周年記念誌(1979年)に収録された座談会。元国語の先生竹内清さんが「建物の名称は公募した。『オアシス』『若草会館』といった案があり、最終的にスクールカラーにちなんで緑友会館になった」と証言なさっていました。
「会館名→同窓会名」の決定打は、会報第3号(1967年)の中にありました。着工直前に赴任し、すべてを見てきた第2代校長葭原康夫さんの一文に「(食堂を)緑友会館と命名し、同窓会も緑友会と称せられるに至った」と記されていたのです。
では、同窓会はいつ「緑友会」になったのか。会報を並べると、落成式4か月後の1963年5月に発行された第1号の題字は「同窓会会誌」。その1年後の第2号は「緑友会会誌」。この間に何があったのでしょう。
ここからは、「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場」のノリで行きます。
「食堂、いつ見ても立派やなあ」「この春入ってきた9期生は550人もおるんや。食堂かてデカないと」「1期生は150人やったのになあ」「まだまだ立派になるで。2年経ったら3階建てや。同窓会も使えるらしい」「緑友会館にある同窓会かあ。ほんなら会の名前も『緑友会』でどやろ」「ええやん、ええやん」「そうしよ、そうしよ」……。
今では完成時の興奮が伝わりにくくなった学校食堂。60年を経た今、ここをもう一度にぎわいの空間にしたい。見学者まで訪れる施設にしたい。その思いを一層強くした数日でした。