(2023年6月7日=会報最新号が届いて)
続・支援の礎
緑友会長 川本正人(21期)
前回は、様々な経験によって育まれた母校への愛着心と、卒業生2万8000人の心に息づく思い出こそが私たちの力だ、という「ハート」のお話をしました。今回は「ハード」の面から母校の成り立ちを振り返ります。
今から70年余り前、公立高校のなかった東住吉区(現在の平野区を含む)で誘致の動きが出始めました。中心となったのは区内の小中16校の保護者たち。取り組んだのは、学校用地の一部を自分たちで買収することでした。「府を動かすにはその方が早い」と考えたからです。田んぼの真ん中、約300坪(990平方㍍)といいますから、現在の敷地の40分の1程度。集めたお金は今の物価で約800万円相当(消費者物価指数をもとに計算)。もちろん広さは足りず、保護者たちは、その後も約1500万円相当の借金までして用地確保などに努めたそうです。
3年後、願いはかないました。大阪府立東住吉高校の開校です。終戦から10年の1955年(昭和30年)。焦土からの復興途上にあって、未来を見据え、教育に希望を託した保護者たち。私たちの母校は、そうした地元の人々のおかげで生まれたのでした。
さらに1962年(昭和37年)、府立高校随一の規模と設備を誇った学校食堂「緑友会館」がPTAから寄贈されました。3階建てに増築される前の1階部分です。工事費1165万円。開業時はうどん1杯20円で、現在は300円ですから、工事費を〝うどん換算〟すると約1億7500万円。消費者物価指数からだと約5800万円。えらく開きがありますが、大きな額だったことは間違いありません。
続いて1971年(昭和46年)、正門わきの西館(図書室、視聴覚教室)が完成。このうち図書室のある2階部分はPTAの寄贈です。工事費1160万円。今の物価で約3500万円になります。建物を相次いで2つも贈るなんて、ホントにすごい! 資金はどうやって集めたんやろ? 数年がかりで会費に上乗せしたり、PTAの所有地(そんなのがあったんや)を売ったりしたようですが、そのノウハウ、現在進めている食堂改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」にも活かしたいものです。
それから約半世紀。母校支援は続きます。2017年(平成29年)、電子黒板などの情報通信機器を、緑友会やPTAなど4団体が全教室に寄贈しました。最先端のデジタル技術を活かした「ICT教育」の始まりです。1000万円余りかかりましたが、これが授業の工夫につながり、のちのコロナ禍でも全授業ライブ配信などの形で威力を発揮しました。
「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである」。私の好きな言葉です。借金までして誘致に奔走した保護者たち。伝統をゼロから築き上げ、伝え続けた生徒たち。支援を惜しまなかった大勢の人々と、導いた先生方。思えば私たちの母校は、その時その場所で精いっぱいに取り組んだ群像の上にあります。
創立当時の航空写真。整地された学校用地に白線で校章が描かれ、1期生150人による「H」の人文字が浮き上がっています。周りは田畑。校舎はまだありません。当時は摂陽中学校内のバラックが学び舎でした。
私たちの母校は、この何もないところから始まったのです。
写真を収めた10周年記念誌の中で、1期生の一人が訴えています。「卒業しても学校を愛せる人間を育ててほしい」。創立70周年を前に、答えははっきり出ています。母校に心を寄せる卒業生は、絶えたことも、絶えることもありません。
支援された人々が次の人々を支援する。そうやって群像を連ね、母校の歴史を紡いでいく。創立の胎動のころから組み込まれた、それが私たちの遺伝子なのですから。
(本稿は、創立10周年と25周年の各記念誌、学校事務室保管資料などを参考にしました。)