(2023年9月2日)
「がきデカ」文化祭
緑友会長 川本正人(21期)
あんな模擬店がよく許されたものです。1975年9月の東住吉高校文化祭。私たち1年4組が開いたのは「ゲイ喫茶」。呼び物は「ゲテモノショー」、目的は「変態を楽しんでもらうこと」でした。
「今さら書かんでもええやないか」「母校の品位を考えろ」と早くも聞こえる制止の叫びは、空耳ではないでしょう。確かにあの企画は、学習活動の成果発表とはほど遠いものでした。悪ふざけだとマユをひそめた大人もいたはず。ダメ出しの理由はいくらでも挙げられたと思います。
けれど私は、それを明るく真面目に平然とやった生徒たちと、何も言わずにやらせてくれた母校に、半端ではない「自主の精神」を感じるのです。
ゲイ喫茶で女装男子(私)と記念撮影をする1年生たち
入学半年近くのクラス会議。出し物はすんなり喫茶店に決まりました。お手軽で楽しそうだったからです。ところがここから弾けます。「普通の店では面白くない」「どうしたらみんなに来てもらえるか」と差別化に話が進んだのです。その時、陸上で筋トレばかりやっていた水泳部の男子が案を出しました。「『がきデカ』の変態、やらへんか」。
「がきデカ」は、前年から週刊少年チャンピオンに連載されていた人気ギャグ漫画。2頭身の自称少年警察官が変態行動で騒動を巻き起こす1話完結ものです。「死刑!」などの一発ギャグと下ネタでインパクトを与えるとともに、劇画調の表現、ボケとツッコミの導入といった手法で現代ギャグ漫画の基礎を作ったとされます。
とはいえ当時は評価が定まっていたわけでなく、むしろ有害コミック扱い。にもかかわらず「がきデカ」に熱中し、教室で読んではガハガハ笑い声を響かせていた水泳部員が、あろうことか文化祭の教室でその世界をリアルに表現しようと言い出したのです。作品を評価する彼の目が、世間より確かだったといえなくもありません。
ショーの具体化にも真剣でした。漫画では次のコマで突然ギャグが飛び出したり、主人公が象に変身したりします。その落差と場面転換の速さが生む笑いをどう再現するか。「パッと出て、ビシッと決めて、サッと消えるんや」「真剣にやらなあかん。ヘラヘラしてたらシラケてまう」。不真面目な世界を真面目に表現する打ち合わせが続きました。
「変態の面白さ、さっぱりわからん」と思っていた私も感化されたのでしょう。「ゲイの方は任せとけ。美人に化けたるで」とすっかり乗り気に。クラスの女子に「服貸して」と、ご両親が目をむきそうなことを真面目にお願いし、ビチビチのワンピースを調達したのでした。
当日の教室。前半分は机を並べた舞台。窓は赤色系のカーテンで覆われました。ゲイ喫茶と言っても女装男子が給仕するだけ。怪しげな雰囲気はなく、店内に満ちたのはギャグ漫画に通じる即興的な笑いでした。
そしてショー。海パン1枚の水泳部員が単身、「ウォ~ッ!」と奇声を上げて舞台を走り、ピタッと止まって筋肉ポーズ。次の瞬間、ワキ毛に見立てたモヤシをむしってほお張り、あっという間に走り去るーー。時間にして数秒だった気がします。満席の店内は一瞬あぜん、そして大爆笑。がきデカには全く笑えなかった私でしたが、リアルな熱演には腹筋崩壊。そして胸中で叫びました。「受けたぞぉ!」。
日常生活を共にする級友同士だから生み出せた非日常の世界。それは起業・興行体験でもあり、その日限りの異次元体験プログラムでもありました。
母校のスローガン「二兎を獲る」の二兎は、文武両道だけでなく、動と静、攻と守、奮起と抑制、自由と規律など、さまざまな二律で考えていいと思います。社会を維持する「静・守・抑制・規律」、時代を前に進める「動・攻・奮起・自由」。どちらも不可欠です。そして東住吉の強みは後者を生む素地。時にはリミッター(抑制装置)を外してぶっ飛び、思いもしなかった世界を体感させてくれる伝統にあるのではないでしょうか。
1週間後の9日(土)は母校文化祭の一般公開日。ぶっ飛んだ企画、あるかなあ?
※ 次の文化祭では、緑友会もテントを設営します。正門からのメイン通り、緑のノボリが目印です。(仮称)緑友ホールプロジェクトのご案内、母校絵はがきの販売のほか、談話スペースも設けます。気軽にお立ち寄りください。