会長だより ⑬ (続)支援の礎 

(2023年6月7日=会報最新号が届いて)

(続)支援の礎

緑友会長 川本正人(21期)

 

前回は、様々な経験によって育まれた母校への愛着心と、卒業生2万8000人の心に息づく思い出こそが私たちの力だ、という「ハート」のお話をしました。今回は「ハード」の面から母校の成り立ちを振り返ります。

今から70年余り前、公立高校のなかった東住吉区(現在の平野区を含む)で誘致の動きが出始めました。中心となったのは区内の小中16校の保護者たち。取り組んだのは、学校用地の一部を自分たちで買収することでした。「府を動かすにはその方が早い」と考えたからです。田んぼの真ん中、約300坪(990平方㍍)といいますから、現在の敷地の40分の1程度。集めたお金は今の物価で約800万円相当(消費者物価指数をもとに計算)。もちろん広さは足りず、保護者たちは、その後も約1500万円相当の借金までして用地確保などに努めたそうです。

3年後、願いはかないました。大阪府立東住吉高校の開校です。終戦から10年の1955年(昭和30年)。焦土からの復興途上にあって、未来を見据え、教育に希望を託した保護者たち。私たちの母校は、そうした地元の人々のおかげで生まれたのでした。

さらに1962年(昭和37年)、府立高校随一の規模と設備を誇った学校食堂「緑友会館」がPTAから寄贈されました。3階建てに増築される前の1階部分です。工事費1165万円。開業時はうどん1杯20円で、現在は300円ですから、工事費を〝うどん換算〟すると約1億7500万円。消費者物価指数からだと約5800万円。えらく開きがありますが、大きな額だったことは間違いありません。

続いて1971年(昭和46年)、正門わきの西館(図書室、視聴覚教室)が完成。このうち図書室のある2階部分はPTAの寄贈です。工事費1160万円。今の物価で約3500万円になります。建物を相次いで2つも贈るなんて、ホントにすごい! 資金はどうやって集めたんやろ? 数年がかりで会費に上乗せしたり、PTAの所有地(そんなのがあったんや)を売ったりしたようですが、そのノウハウ、現在進めている食堂改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」にも活かしたいものです。

それから約半世紀。母校支援は続きます。2017年(平成29年)、電子黒板などの情報通信機器を、緑友会やPTAなど4団体が全教室に寄贈しました。最先端のデジタル技術を活かした「ICT教育」の始まりです。1000万円余りかかりましたが、これが授業の工夫につながり、のちのコロナ禍でも全授業ライブ配信などの形で威力を発揮しました。

「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである」。私の好きな言葉です。借金までして誘致に奔走した保護者たち。伝統をゼロから築き上げ、伝え続けた生徒たち。支援を惜しまなかった大勢の人々と、導いた先生方。思えば私たちの母校は、その時その場所で精いっぱいに取り組んだ群像の上にあります。

創立当時の航空写真。整地された学校用地に白線で校章が描かれ、1期生150人による「H」の人文字が浮き上がっています。周りは田畑。校舎はまだありません。当時は摂陽中学校内のバラックが学び舎でした。

私たちの母校は、この何もないところから始まったのです。

写真を収めた10周年記念誌の中で、1期生の一人が訴えています。「卒業しても学校を愛せる人間を育ててほしい」。創立70周年を前に、答えははっきり出ています。母校に心を寄せる卒業生は、絶えたことも、絶えることもありません。

支援された人々が次の人々を支援する。そうやって群像を連ね、母校の歴史を紡いでいく。創立の胎動のころから組み込まれた、それが私たちの遺伝子なのですから。

 

(本稿は、創立10周年と25周年の各記念誌、学校事務室保管資料などを参考にしました。)

会長だより ⑫ 支援の礎

(2023年5月21日=体育祭を終えて)

支援の礎

緑友会長 川本正人(21期)

 

コロナ禍の3年間で2度の中止に見舞われ、復活した昨年度も入場が大幅に制限された母校の体育祭が、21日、4年ぶりに平時の状態で開催されました。生徒数の減少で、団は1つ減って3つ(現在1学年7~8クラス)。6団時代の半分になりましたが、それでもマスコットが立ち、応援・アトラクション、騎馬戦、リレーなどの恒例種目がフルバージョンで繰り広げられて、伝統はしっかり継承。最高気温28度。雨で1日遅れたのが幸いと言えるほどの好天のもと、生徒も観客も、マスクなしの笑顔がひときわ輝いて見えました。

「高校時代の思い出」を問われて、この体育祭を挙げる人は多いと思います。ある期間、学年を超えて大勢の生徒が集まり、一つの作品や空間を創造する。その経験は、今考えてもかなり刺激的です。青春時代に味わったその新鮮さ、高揚感、達成感、あるいは独特な雰囲気への反発心などが、「今」の自分のどこかを形成しているという感覚、どなたにも多少はおありじゃないでしょうか。

東住吉高校の場合、こうした経験の場が、体育祭や卒業公演などの「行事」、盛んな「クラブ活動」、それらとの両立を目指す「学業」と、多面的にあります。ある教育研究機関の調査によると、母校への愛着度に影響を与えるのは、在校時の「積極的な取り組み」と「密な人間関係」だそうです。熱中する機会がいろいろあり、その分、友人や先輩・後輩、教師とのつながりが生まれやすい東住吉は、母校への愛着度を高める条件がそろっている、と言えそうです。

もう一つ、「ピーク・エンドの法則」にも触れておきます。全体的な印象は、最も感情が動いたとき(ピーク)と、一連の出来事が終わったとき(エンド)の記憶〝だけ〟で決まる、というものです。ノーベル賞を受けた心理・行動経済学者によって提唱されました。体育祭など最も印象深い出来事が「ピーク」。それら行事の打ち上げや、志望大学合格、母校からの巣立ちなどの思い出が「エンド」。この「ピーク」と「エンド」という2点の記憶が、高校生活全体の印象に大きな影響を与える、ということになります。

来年の創立70周年記念に計画している食堂改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」。間もなくお届けする会報に、みなさまのご協力を仰ぐ記事を載せています。100年を超える伝統校で耳にするような大口のご支援も、大勢でコツコツ寄せていただく小口のご支援も、どちらも誇れる浄財です。大事なのは、その礎となる母校への愛着心。積極的な「取り組み」と深い「人間関係」、さまざまな「ピーク」と「エンド」を経験した私たちは、母校への愛着で決してひけはとらない。2万8000人の卒業生の心に息づく思い出が、私たちの力だ。そう思うのです。

「母校応援の一つのカタチ」。緑友会活動を手伝ってくださる10期生が、体育祭直前にパパッと制作したプロジェクトパネルのフレーズです。グラウンドからわき上がる歓声を聞きながら、パネルの前でお願いチラシを配っていた私たちに、何人かが声をかけてくださいました。「私の卒業までに間に合うん?」と在校生。「もっと早くしてくれればよかったのにぃ」と卒業生。「頑張って下さいね」と年配の女性。

声に押され、「こういう日は、ホールを開放して『ホームカミングデイ』やな」などと、いずれ目にする「カタチ」に思いを馳せていたら、顔も腕も真赤に日焼け。「今の食堂、空調設備もないんやもんなあ。これから暑うなるのに」

卒業から45年たっての体育祭。今度は大人の心が揺さぶられました。

会長だより ⑪ 「目いっぱい」の手づくり発信

(2023年5月8日=ゴールデンウィークが明けて)

「目いっぱい」の手づくり発信

緑友会長 川本正人(21期)

「母校」って不思議です。同じ出身校というだけで、見ず知らずの人にも親近感がわきます。在校生や卒業生の活躍を聞くだけで、こちらまでドヤ顔になります。ふだんは意識しないけれど、母校が今もあり、そこが輝いていると気づいた時は、ちょっといい気分。緑友会が母校支援に積極的なのも、それが使命であるからだけでなく、自分たちの誇りや喜びになってかえってくるからなのだ、と思うようになりました。

こうした活動の基盤となるのは、卒業生2万8000人と元職員の方々などで組織する当会の、会と会員、あるいは会員同士のつながりです。つながりにはコミュニケーションが必要となります。主な手段は、年1回の会報と日常的につながれるホームページ、LINEなどのSNS。緑友会ではこれらを専門業者に任せず、会員がボランティアで制作しています。

このゴールデンウィークは、これらの制作の佳境でした。

会報は毎年6月初めに発行。半年前までに特集やページ建て、原稿の執筆者を決め、2月末が一応の締め切り。3月に磨きをかけ、4月に版下制作、5月前半に印刷に回します。現在の編集委員は1~42期の10人です。

来月発行の41号は、「(仮称)緑友ホールプロジェクトご支援願い」「同窓会システム導入」「ホームページ改修」など盛りだくさんなので、通常の12㌻を16㌻に増やした特別編成。しかも「緑友ホール」が4月の役員会で正式に動き始めたり、ホームページが刻々と修正されたりして差し替えが相次ぎました。伊原徹委員長(17期)はもちろん、1ページに半日かかることもあるという版下制作を担当して下さったベテランの10期生と新メンバーの42期生は、相当の時間と労力をつぎ込まれたに違いありません。(この稿に添えた会報のカットも、10期生が実に手際よく作ってくださいました。)

4月30日の日曜日、全ページのゲラを委員6人で2時間余りかけて回し読みしました。終盤の校正作業です。本来なら表記や用語の統一、似た記事の統合なども必要でしょうが、そこは執筆者の意向を大事にし、間違いや問題表現などに視点を置いてチェック。翌日には先生方の記事を学校側に確認していただき、ほぼ最終の版ができたのは5月4日、母校カラーの「みどりの日」でした。

ホームページは、今年になって〝再起動〟。以前のは曲折あって自分たちで編集できず、「接続は安全ではありません」という警告まで出る状態でした。そこで別のサーバーを引っ越し、自力で徐々に改修。ご覧になるたびにトップ画面が変わっていたり、バナーがやたらと増えたりしていたのは、ホームページを稼働させたまま試行錯誤を重ねていたせいです。

にもかかわらず、6日まで30日間のアクセス数は「764人が、30日間に平均2.3回開き、計9.3本の記事を見た」という成績。3か月余り前まではほとんどゼロでしたから、おかげさまで少しずつ知られ始めているようです。

使いにくい、見にくい、デザインが素朴すぎるなどの指摘は内部からもあります。でも、この画面は近々いったん固定します。会報に掲載するトップ画面と同じに保ち、読者が戸惑わないようにするためです。「こどもの日」に担当4人で今後の体制と進め方を話し合い、本格改修は固定の解除後としました。みなさまに何度も訪ねていただけるホームページに必ずします。当面のご不便、なにとぞご容赦ください。

さて私は、会の活動を支えて下さる方々に、無理なく、長くご協力いただきたいと思っています。「やれることを、やれるときに、やれるだけ」の姿勢です。けれど実際は、みなさん、この3つに次の一言を付けて行動されているように思えます。

「やれることを『目いっぱい』、やれるときに『目いっぱい』、やれるだけ『目いっぱい』」

ゴールデンウィーク中に私が受信・送信した緑友会関係のメールは100通超。出向いた打ち合わせは4件。「ボランティア精神」×「母校愛」が放つ熱波のような輝きに、めまいがしそうな〝黄金週間〟でした。

会長だより ⑩ 「緑友会」、その名のルーツは学校食堂

(2023年4月24日)

「緑友会」、その名のルーツは学校食堂

緑友会長 川本正人(21期)

「緑友会館」という名の学校食堂が開業したのは1963年(昭和38年)1月です。創立から約8年。待ちわびたかいあって、その規模や設備は「府内公立高校随一」とされ、他府県からの見学者まで驚嘆させた、と記録にあります。建物は当初1階食堂だけでしたが、間もなく2階、3階の増築に着手。同窓会館や部活の合宿所に使う構想もあり、ついに会館名が同窓会名になりました。今回はそんな「ホンマかいな」のお話です。

にぎわう学校食堂(1964年発行の創立10周年誌から)

緑友会の名を誰がいつ付けたのかわからない。1期生を含む周囲のスタッフも知らない。スクールカラーの緑にちなんだとは想像できるけれど。会長のくせに情けない。う~っ……。

そのモヤッとが少しスッキリし始めたのは、学校食堂大改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」を構想し始めた最近のことです。食堂入り口外の柱に埋め込まれた銘板に、「緑友会館」「寄贈 東住吉高等学校PTA」とあったのが糸口でした。「ン?『緑友』会館やのに、同窓会やなくてPTA寄贈?」

学校事務室で借りた古いつづりをめくると、確かにPTA寄贈。しかし、「緑友会館落成」の式典招待者一覧に「緑友会」という団体は見当たりません。代わりに「同窓会役員」が6人並んでいました。つまり完成時点では、「緑友」は会館名であって、同窓会名ではなかったのです。

続いて目に留まったのは、創立25周年記念誌(1979年)に収録された座談会。元国語の先生竹内清さんが「建物の名称は公募した。『オアシス』『若草会館』といった案があり、最終的にスクールカラーにちなんで緑友会館になった」と証言なさっていました。

「会館名→同窓会名」の決定打は、会報第3号(1967年)の中にありました。着工直前に赴任し、すべてを見てきた第2代校長葭原康夫さんの一文に「(食堂を)緑友会館と命名し、同窓会も緑友会と称せられるに至った」と記されていたのです。

では、同窓会はいつ「緑友会」になったのか。会報を並べると、落成式4か月後の1963年5月に発行された第1号の題字は「同窓会会誌」。その1年後の第2号は「緑友会会誌」。この間に何があったのでしょう。

ここからは、「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場」のノリで行きます。

「食堂、いつ見ても立派やなあ」「この春入ってきた9期生は550人もおるんや。食堂かてデカないと」「1期生は150人やったのになあ」「まだまだ立派になるで。2年経ったら3階建てや。同窓会も使えるらしい」「緑友会館にある同窓会かあ。ほんなら会の名前も『緑友会』でどやろ」「ええやん、ええやん」「そうしよ、そうしよ」……。

今では完成時の興奮が伝わりにくくなった学校食堂。60年を経た今、ここをもう一度にぎわいの空間にしたい。見学者まで訪れる施設にしたい。その思いを一層強くした数日でした。

会長だより ⑨ 創立70周年 〝緑友ホール〟 構想

(2023年4月7日=入学式を終えて)

創立70周年 〝緑友ホール〟 構想

緑友会長 川本正人(21期)

1か月前の卒業式は、ほとんどの生徒がマスク着用。2回の体育祭中止をはじめ、コロナ禍で行事も授業も大変な制約を受けた後輩たちの、それが当たり前となった姿でした。

ひるがえって本日の第69回入学式。着用の指導はなく、体育館に整列した8クラス320人の3分の1は、マスクなしでした。新入生たちの高校生活は、日常の「素顔」に一歩近づいて始まったのです。その笑顔でたくさんの友だちと語り合ってほしい。何があっても学校だけは歓声が絶えない場所であってほしい。そう祈らずにはいられませんでした。

こうした生徒たちが集う「にぎわい空間」づくりを、緑友会が進めることになりました。来年の創立70周年を記念した学校食堂大改修。名付けて「(仮称)緑友ホールプロジェクト」です。

食堂を「食事&多目的スペース」に改修した場合のイメージ

教室棟と道路を隔てた緑友会館は1962年度にPTAが寄贈。1階にある食堂はいまだに空調設備がなく、蛍光灯は古くて薄暗く、昼食時以外は施錠され……と、十分活用できる状態ではありません。200平方㍍以上ある広々空間で耐震補強まで施されているのに、これではもったいない。少子化で高校の統廃合が続く中、母校の末永い発展のためにも環境面の魅力アップが必要です。

そこでここを、食事にとどまらず、談話や自習、寄席やライブ演奏、さらには学校行事や20歳の集い、緑友会総会といったイベントにも活用できる多目的ホールにできないか、という構想が生まれました。昨年11月、学校側との周年行事検討委員会で話題になり、緑友会が1月と4月の役員会で話し合って、本格的に取り組むことにした次第です。順調に行けば来年夏休みに工事を行うことになります。

どこまでやれるかは、みなさまのご支援次第。6月発行の会報に寄付や会費(年間2,000円、任意)の振込用紙を同封するほか、郵便書留や金融機関からの送金も随時受け付けます。発注先はコンペ(設計競技)で選ぶ予定です。

いずれも会報でご案内。ホームページなどでも随時公開していきます。同期のみなさまをはじめ会員の方々への周知を、なにとぞよろしくお願いします。

 

 

 

会長だより ⑧ 怪、快、会則(発展編)

(2023年3月31日)

怪、快、会則(発展編)

緑友会長 川本正人(21期)

 

コロナ禍から日常へ。緑友会の第一歩は、久々に開かれたその小さな集いだったのかもしれません。昨秋、放課後の教室であった「新クラス幹事」説明会です。今春卒業の66期生8クラスから選ばれた男女16人が、1期生の吉田正博さんから会の取り組みを聞きました。

吉田さんの「1期生」という自己紹介に、生徒たちから笑いが起きたそうです。そりゃ1つ2つ上の先輩でも緊張するのに、創立と同時入学の超大先輩を目の前にすれば「ええっ!」という驚きや感動で笑顔の声を上げたのもわかります。おかげで和やかに進行し、互選する学年幹事2人はジャンケンで決まりました。

10分余りの集いを終えた後、男子生徒の一人が「20歳の集いはどうやって開くんですか」と吉田さんにたずねてきたそうです。66期生の「かなめ役」が始動した瞬間でした。

今の会則では、幹事は役員に入っています。しかし歳月を重ね、人数が増えていくうちに役員としての活動は途絶え、同期生を代表する大切なポジションでありながら、今では何となく中途半端な存在です。そこで幹事を独立機関とし、自らの意思で活動しながら緑友会と連携していく仕組みにできないかと考えています。

こうした幹事の規定に限らず、今の会則は時代や実情に合わなくなった所が多々あります。デジタル技術の進展やコロナ禍での経験も反映させなければなりません。そこで今年6月の総会に、初の全面改正案をお示しします。昨年の総会直後に組織した会則委員会でたたき台を作り、役員会で審議してきたものです。会則委員長は会報委員長の伊原徹さん(17期)。会報編集と同様、手堅く緻密な作業ぶりで、私としては苦笑するしかない会長の“暴走”阻止規定など、新たな視点の改正が随所に盛り込まれています。

ホームページなどによるデジタル広報も、会の事業として明文化します。コミュニケーションコストが劇的に下がったネット時代にありながら、会のホームページは近年、曲折あって自分たちで編集することができず、ネットで検索して入ると「このサイトへの接続は安全ではありません」という警告まで出る状態でした。そこで会で契約したサーバーに切り替え、今年に入って自力で改修作業を進めているところです。おかげで私のごあいさつも、就任から7か月たってようやく1月に載せることができました。

改修ホームページは、会員のみなさまも参加できる双方向性がウリ。形が整ってきたらご紹介させてください。

 

※ 今年6月の総会でお示しする会則改正案の全文は、4月初めにホームページで公開予定です。

会長だより ⑦ 怪、快、会則(名簿編)

(2023年3月20日)

怪、快、会則(名簿編)

緑友会長 川本正人(21期)

 

兵庫県尼崎市で、全市民46万人余りの個人情報が入ったUSBメモリーを紛失する事件があったのは昨年6月。委託業者がかばんに入れて持ち運んでいたときのことです。「怖いなあ」と他人事のように思っていましたが、その直後、会長に就任したばかりの私にも、緑友会事務局から1本のUSBが手渡されました。全会員約2万8,000人のデータが入った「名簿」です。私が保管して、時々上書きする際に持ってきてほしいとのことでした。

聞けば事務局スタッフも、もう1本あるUSBをヒヤヒヤしながら持ち帰り、自宅で事務処理の続きをしてきたとか。特に大変なのは、新卒会員のデータ入力。「紙」の申込書の内容をエクセル化していく作業です。定数が減ったとはいえ今も毎年300人分以上。それを長年、営々と……。ご労苦の詰まったUSBを手に、頭が下がりました。

とはいえ、このままではもちません。コロナ禍で電子化が一気に進んだ学校側に協力をお願いし、さっそく今春の卒業生から電子データによる申し込みに切り替えました。同時に「脱USB」を強く決意した次第です。

同じころ、衝撃の光景を事務局で目にしました。宛先不明で返ってきた大量の会報です。最近は年に約300通、以前は700通以上。毎年苦労して入力した数とほぼ同じだけの住所がこの時点で消去され、卒業生の3分の1が所在不明になっているそうです。

かつては会則で5年に1回の名簿作成が定められ、専門業者が冊子にしていました。しかし1997年の第9号(40期生まで収録)で中断。個人情報保護のためです。ハガキによる追跡調査もなくなりました。そして2013年、会則改正で「電磁的なデータとして作成し、事務局が保管する」となり、今に至っています。

でも、人の手による「電磁的」な作成・保管はもう限界。名簿の劣化は止められず、メールアドレスも集められません。そこで私たちは昨夏、様々な会員管理で使われている電子システムを調べました。対象は大阪、東京、兵庫の5社5製品。直接やオンラインの面談を繰り返し、確かめた機能は5点。「正確で判明率の高い名簿にする仕組み」「電子決済」「WEB総会」「ホームページとの連動」「電子名簿の閲覧と制限」です。すべてを満たしたのは1つだけ。しかも同窓会用に特化していて使いやすいうえ、最も安価でした。

9月の臨時役員会で導入を決め、すでに業者とシステムを構築中。でも費用は払っていません。総会での予算承認を得ていないからです。業者には「請求は、新年度6月の総会が終わってからに」と窮余のお願いを聞き入れてもらいました。

あとはみなさまから、「予算」と脱USBに必要な「会則改正」のご承認を得られれば本格スタートです。ご理解、なにとぞよろしくお願いします。m(_ _)m

 

※ 「同窓会システム」の概要は、6月お届けの会報でお伝えします。「マイページ」に関する大切なお知らせも同封しますので、必ずご確認ください。

会長だより ⑥ 怪、快、会則(会費編)

(2023年3月16日)

怪、快、会則(会費編)

緑友会長 川本正人(21期)

 

「会長、寄付と特別会費のお礼状、書いてください」。就任直後、緑友会事務局長の堅固政斗志さん(33期)から受けた初仕事。いきなり「ン?」です。特別会費って何? 卒業時の終身会費で終わりとちゃうかった? なんで「特別」なん?……。思えばこれが、その後も次々とわいてくる「ン?」の始まりでした。

確かに今の会則には、寄付、終身会費とならんで特別会費があります。しかも「卒業後10年」から「年間2,000円を納付することができる」という遠慮に遠慮を重ねた条文。ムムッ、何かある。でも、ベテラン事務局長には何も聞けない、こちらも遠慮がちな新米会長なのでした。

あれから半年余り。調べる糸口を提供してくれたのは、その堅固さんです。年明けから改修中のホームページに、せっせとアップしてくれた過去の会報。画面を開くと記事はすぐ見つかりました。2008年度総会前の26号に「寄付的要素の強い会費を」との会則改正案とその説明。続いて承認後の翌年27号には、生徒定数減(=会員減)であろうとも母校支援を続けるのが「緑友会の役割、使命」とする2代目会長塩谷俊雄さん(2期)の決意表明。

支援にはおカネが要る。でも寄付は心もとなく、終身会費をもらったのに「年会費」とも言えない。そこで任意の「寄付」と義務感を伴う「年会費」の間に「年間定額寄付」を設け、特別会費として毎年のご協力を広く期待したのではないでしょうか。

当時の役員方の心中、すごくわかります。私たちも財政基盤の確立が急務。しかも1年後に創立70周年を控え、何とか母校支援をと思案しているさなかなのです。

特別会費から15年。ご支援いただきやすいよう、記入も手数料もいらないコンビニ振込を6月に導入予定です。特別会費の名称も「応援会費」に改めようと考えています。「年会費」だと任意とはいえ納付させられる印象をぬぐえませんが、「応援会費」なら「よっしゃ、応援したろ」というお気持ちになっていただけるのでは、と誠に勝手な期待で胸をパンパンに膨らませているのです。もちろん金額はそのまま。終身会費の5,000円も据え置きで、こちらはシンプルに「入会金」です。

これらの命名者は、会報委員長の伊原徹さん(17期)。母校の新聞部員から生徒会役員、さらに体育祭実行委員長まで務めた人です。言葉選びのセンス、さすがやなあ。いっそ会長になって、「だより」も書いてくれはらへんやろか(はいっ、ここで拍手!)。

伊原さんは今、6月発行の会報第41号の編集作業真っただ中。私たちが新たに取り組もうとしている事業は、すべてこの号に盛り込んでいます。大事なお知らせとともにお届けしますので、ぜひお目通しください。

会長だより ⑤ 怪、快、会則(役員編)

(2023年3月13日)

怪、快、会則(役員編)

緑友会長 川本正人(21期)

転勤族で緑友会と縁の薄かった会長です。会のルールをよく知りません。というわけで読みました、緑友会会則。いやあ、面白かった。この手の硬い文章で笑いがこみ上げ、長い歴史まで垣間見られるなんて。今回はその中から「役員」についてのご紹介です。

まず構成メンバー。会長、副会長、書記、会計、ここまではわかります。ところが次に「常任幹事」「幹事」とあって「ン?」。卒業時にクラスで2人ずつ選んだあの幹事? もう1,000人を超えとるやん。役員会にはどなたを呼ぶの?

ここで毎週会の事務局に通ってくださる吉田正博さんの登場です。なんと1期生。しかも母校の元教諭(生物)で緑友会の元役員。私にとっては生き神さまです。そのお答えは「せやねえ、以前は7、80人に会議の案内を出してましたねえ」。やっぱり招集してたんや! で、今は? 「来る人が少なくて役員としては有名無実。役員会にも呼ばなくなってます」……。よかった! いや会則上はよくない。けどよかった!

かつては各期の幹事も一緒にワイワイ活動していたのでしょうか。草創期の若いメンバーの熱気や勢いが伝わってくる気がしました。

続きです。幹事の次に「会計監査」とありました。ここでまた「ン?」。おカネの使い方をチェックする役が、おカネを使う「役員」側におるんや。これもみんなでワイワイ、硬いこと抜きでやっていた名残かな?

でもけじめはつけてきたのでしょう。実際、今の会計監査は、言いにくい意見もビシッ。「会長、ちゃんとせなあきませんよ!」と3期下の私にもバシッ。この存在、貴重です。これからもビシバシお願いします。

さらに読み進むと「役員会」の規定がありました。「半年に1回開き、事務処理に当たる」って、事務処理なん? 全員そろってハンコ押したり発送作業したり? もはや「ン?」がエンドレス。けれどこれも、普段から顔を合わせているし特に問題もないしで、集まるのは作業日やったんかも、と想像すると楽しくなります。

その役員会が近くなり、事務局長の堅固政斗志さん(33期)から声がかかりました。「会長、招集通知、出しといてください」。えっ?会則では「書記は会議の通知を発送する」ってなってるで。

う~ん、会則もわかってなかったけれど、不文律はもっとわからん。

 

※ 今年6月の総会で会則の改正をおはかりします。案の全文は4月初めにホームページで公開予定です。

会長だより ④

(2023年3月2日=卒業式を終えて)

「どうする芸文卒業生」

緑友会長 川本正人(21期)

「よっしゃー!」と雄叫びを上げたのは、暮れのサッカーW杯以来。緑友会副会長の末浪芫樹さん(芸文2期)から先月、「芸能文化科の志願者数が定員に達しました」とLINEが入ったときです。簡潔な文面から歓喜をグッと抑える様子が伝わってきて、こちらもグッ。

かつて競争率2倍以上だった同科が、ここ2年は1993年の創設以来初の定員割れ(一昨年0.85倍、昨年0.53倍)。大阪府が「定員割れが3年連続し、改善見込みがなければ再編対象」と条例で定めているためハラハラしましたが、3年目の志願者は定員ぴったりの40人でした。

この間、同科は卒業公演のライブ配信、外部行事への出演など、認知度を上げる施策をいくつも講じていました。中でも特筆したいのは、同科全学年の全生徒による中学校訪問です。生徒たちが自分で連絡を取って母校に赴き、かつての担任や部活顧問らに近況や活動をプレゼン。その結果、中学校から「生徒が見違えるほど立派になっていた」「同科のことがよくわかった」といった感想が寄せられ、出前授業を依頼してくるところまであったといいます。

学科長の久下英孝さん(28期)が、数年前の緑友会報に「行事や芸を頑張るだけでなく、普通科以上に普通の生活をするスーパー高校生であれ」という旨の一文を寄せておられました。その願い、しっかり通じましたね、久下先生。

人類の財産である芸能文化。でもその担い手は、世界中いつの時代でも、必ずしも経済的に恵まれていたわけではありません。定員割れの背景には、コロナ禍で暮らしが不安定になる担い手の姿もあったのでしょう。だからこそ、志願者が少数でも、いや少数だからこそ、その道を志した子どもたちを大事にしたい。人気や経済効率で「教育仕分け」をしてほしくない。そう思うのです。

とは言っても危機は続いています。どうすればいいか。元関西大特任教授の竹内啓三さん(教育行政学、10期)に「実(じつ)を示すことだ」と教わりました。巣立ってからの姿や成果を伝える、ということです。これができるのは卒業生。改修中の緑友会ホームページに会員のSNSリンクを張り始めたのも、みなさんの活躍を広く知ってほしいからです。

在校生は「実」を伝えました。次は卒業生の番。語れることはたくさんあると思います。みなさん一人ひとりが自分の「大河ドラマ」の主人公なのですから。