<レポート:広報 寺田正秀 10期>
来賓をお招きし粛々とすすめられた式典に続き、公演では落語や講談の世界で活躍している9人の卒業生による多彩な演目が会場を埋めた生徒やOB、OGを大いに楽しませてくれました。
その模様を順にご紹介します。簡単なYouTube動画も後日配信する予定です。
卒業生を招き式典に花を添えようという企画は萩原前校長のアイデア、それを受け落語家の林家染二さんが卒業生の芸人さんたちに声がけしていただき、皆さんが「喜んで!」と快諾のもと、芸能文化科の久下先生、染二さん、桂團次郎さんらにより演目構成などを考えいただいて実現したものです。
出演いただいた卒業生。左から落語家、桂 佐ん吉さん(芸能文化科7期生)、桂 久寿玉さん(同、25期生)、講談師、旭堂南龍さん(同4期)、囃子方 岡野 鏡さん(同19期)落語家、林家染二さん(普通科23期)、桂 團次郎さん(芸能文化科12期)、桂 しん吉さん(同2期)、笑福亭呂翔さん(同22期)、桂 吉坊さん(同5期)の揃い踏みです。
上の写真は開演前、緑友会から次号の会報へ公演記事を掲載するためアンケートをお願いしているところ。
長唄を演奏する芸能文化科生徒3年生のご挨拶の一コマです。
華やかな幕開けは「長唄」、芸能文化科3年生とプロの囃子方の皆さんと息のあった合奏です。
続いて「トザイ、トーザーァイ」染二さんら9人お一人お一人から、お祝いの言葉、自己紹介がありました。
続いて桂 佐ん吉さんの司会進行で登場した講談師 旭堂 南龍さん。本校がある平野地区が大阪夏の陣、冬の陣の戦場であり、真田幸村の攻撃に徳川家康が九死に一生を得た話、そこから杭全(くまた)の地名が生まれた話を、まるで見てきたような調子で語り、一同感心するやら、本当?と疑うやらの中、拍手で終演。
次の演目は、桂 しん吉さんらによって卒業アルバムから厳選した写真をプロジェクターで映し出しながら、写真にまつわる話、当時の校舎のこと、その後の発展など、染二さん、呂翔さんも加わり生徒には興味深い思い出話が次々披露されました。
染二さんから「私がいたころの体育祭で4つの団の他“おにぎり団”なるものがあり、お米を渡すと放課後の体育祭準備でお腹が空いたときに、おにぎりがもらえるというような団がありました、ご来場の卒業生で憶えておられる方、おられますか?」に憶えているよと、多くの声が返ってきました。
続いては5人の生徒が登壇し團次郎さんの進行で「ヒガスミクイズ大会」。久寿玉さん、吉坊さんも加わり「今はあって昔はなかったクラブは何でしょう?」「染二兄さんがいた頃の食堂で、きつねうどんの値段はいくら?」、また「通学で多くの在校生が使った近鉄針中野駅、針中野の由来は?」という質問には壇上の5人からではなく着席している生徒が手をあげ、すらすらと正解し拍手喝采を受けるシーンも。
最初は緊張からか、なかなか手を上げられなかった生徒たちも落語家さんたちの絶妙な進行の中、名回答、迷回答でポイントをゲット。クイズの答えは後日公開する動画でお確かめください。
落語家対生徒の大喜利コーナー、進行は佐ん吉さん。まずは「なぞ掛け」です。お題の「ヒガスミと掛けまして何と解く」に「洞窟と解きます、その心は、共に奥が深いでしょう」と生徒。これに落語家チームからは「審判員だらけの相撲と解く、その心は、行事が多いでしょう」などとやりとりが続きました。
続く「あいうえお作文」、5人が順に「あ」のつく話、「い」のつく話とつないでいき最後の人が「お」がつく話でまとめるというもの。謎かけや作文の出来はどっちが良かった?の判断を委ねられた観客は何とプロの落語家チームへの拍手はゼロ、
対する生徒チームへは万雷の拍手、圧倒的な勝利をあげた生徒たちは意気揚々、落語家たちからの「ぜひあなたの弟子にしてください!」に起きた爆笑と共に幕となりました。
いよいよ最後の演目はお芝居で上演される「御家騒動」を題材にその名場面を5つの踊りで表す「五段返し」。踊りは桂 吉坊さん、後ろで三味線と謡の岡野 鏡さん、その他のメンバーが笛、太鼓、銅鑼、拍子木などで盛り上げました。軽妙かつ日本の芸能文化の多彩さを感じさせる芸は「さすが」の感あり。
拍手で全ての演目が打ち止めとなりました。
この日のために万障繰り合わせて来校し、公演いただいた染二さん他、皆様へ感謝の花束が贈呈されました。本日は誠にありがとうございました。
本公演の締めとして観客ともども大阪ならではの手締め「大阪締め」、発声は西田校長です。
拍手で出演者をお送りし全ての記念式典が滞りなく終了しました。
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しばらくの後、改修なった食堂では「みどりホールお披露目会」が催され多くのOB、OGが集いました。寛いだ雰囲気の中、ブラスバンド部によるファンファーレでスタートです。続いての演奏、少人数ながら迫力ある演奏は日頃の熱心な練習の成果であることを思わせるものがありました。演奏後は一期生で85歳の辻さんから当時を振り返り3年間のエピソードをユーモアたっぷりにお話しされました。「5分でお願いと言われていますが、とてもそれでは短い!」と言われ長いお話しかと皆さん覚悟をしていましたが、結果的には15分を越えるお話にも関わらず、その当時のお話しに引き込まれ、聞き応えのあるお話しでした。
校舎はまだなく、天王寺高校で入試、合格後の授業も隣の摂陽中学のトタン屋根のバラック校舎での授業、針中野駅からその校舎までの通学時、建物はなく大和川の堤防が見えたものでした。2年次になりようやくこの地に完成した校舎で学べるようになった時には本当に感激したものです。
水泳の授業はわざわざ難波プールまで出かけました。3年次受験準備のための当麻寺合宿では1日10時間も勉強を続けたにも関わらず結果は大したものではなかった、やはり短時間集中では無理だったのでしょう。
修学旅行は霧ヶ峰でのキャンプでした、テントと宿泊施設「ヒュッテジャベル」とを男子、女子1日置きに交代、外でのご飯炊きには苦労した思い出があります。
迎えた卒業式もやはり大テントのもとでの挙行でした。卒業後、同窓会組織である緑友会の会長を何と50年も務める結果となりましたが、こんなに長いのは日本で私だけではなかろうか、自負しています、とのお言葉で笑いを取るなどその話ぶりにはかくしゃくとしたものがありました。最後に辻さんのご要望のもと全員で万歳三唱をし、再びブラスバンドの校歌演奏で唱和しお披露目会は無事終了です。
余興として23期、糸井利則さんのサックス、曲は「仰げば尊し」。締めくくりは20期、平井吟雪(勢津子)さんの詩吟。
12時より始まった創立70周年記念式典はこれにて滞りなくお開きを迎えました。ご来場、ご参加いただきました緑友会会員の皆様には共に創立記念を祝っていただき感謝申し上げます。