13期〜17期 陸上部同窓会を開催! 

去る3月9日(日)午後4時からミナミの道頓堀ホテルで、13期生から17期生の陸上部員有志19名が集い旧交を温めました。11年前にもやはり陸上部同窓会を元教員としてご指導戴いた1期生の武田透先生を筆頭に、数十名の卒業生が集まる大同窓会が催されました。

元五輪選手や国体、高校総体で華々しい成績を残された諸先輩方の中にあって我々も委縮した記憶がありましたが、今回の同窓会は打って変わって文字通り「同じ釜の飯を喰った」濃密な時間を共有した仲間として大いに盛り上がりました。

お互い卒業以来五十数年振りに会う顔も多く、頭髪の色が変わっていたり、或いはそれすらも痕跡を止める程度であっても、顔を見た瞬間に名前と往時の姿が浮かぶのは、多感な時代の記憶が脳裏に鮮明に刻まれているからなのでしょうか。加えて漸く現住所が辿れた13期生M氏が、この同窓会の為にわざわざ東京から駆けつけられたのには、まさか参加される事を予想していなかっただけに、出席者一同再会に感激をしました.

開会に先立ち鬼籍に入られた先輩に黙祷をささげ、14期生N氏の乾杯の発声を機に一気に五十年前にタイムスリップをしました。話題は怖かった先輩や苦しかった練習、夏季合宿での珍事件など等、想い出は尽きることはなく、予定にはなかった二次会急遽15期生のT氏がセットして、「あっと」云う間の5時間が過ぎました。参加者の半数が古希を過ぎてはいますが、次回開催を約束して散会しました。

所在不明の部員も一部にはあり住所確認に難渋をしましたが、『緑友会』事務局にはご協力を戴き、またT副会長にはご尽力戴いたお陰で、全く手掛かりの無かったM氏が偶然にも大学同窓との機縁にも恵まれてご本人の参加が得られ、何とか開催にこぎつけました。本当に有難うございました。
                      15期生 鶴田

15期生 同窓会 開催のお知らせ

15期生の皆様、如何お過ごしでしょうか。
早いもので我々が卒業して、既に半世紀を越えました。
積る話や思い出話に花を咲かせながら楽しいひとときが過ごせたらと思っています。
お忙しいことと存じますが、多数のご参加を心よりお待ちしております。
尚、事務手続き簡素化の為に、現在グループラインへの参加を推奨致しております、

日時◆ 2024年12月1日(日) 13時より3時間程度
会場◆ 楓林閣 阿倍野店( 車椅子での参加OK )
場所◆ アベノ アポロビル 9階
会費◆ 男性 8000円  女性 7,000円 (当日、受付にて承ります)

幹事長 大木戸 豊 (9組)
世話役 吉井 敏郎 (9組)

お問い合わせは 15th.class.reunion@gmail.com まで。
尚、秋口には案内を郵送する予定です。

食堂改修費用ご支援・支援者リスト(2024年10月31日現在)

※2024年3月以降の数字には、以下の数字を含んでいます。
  • 在校生関係(主に新入生の保護者)の方々からの310,000円(75件、75人)
  • 後援会「みどり会」からの375,248円(1件、1団体)



クリック、タップでこれまで支援金をお送りいただいた皆様の氏名をご覧いただけます。
卒業期別に掲載。(掲載を希望されない方を除く)

5期生、傘寿同窓会報告

2023年9月13日、5期生の傘寿同期会が開催されました。
場所:あべのハルカスアサヒビアケラ
先生:岡本昇、室井勝弥
幹事:中西信之、井上美和子
天候にも恵まれ、岡本昇先生、室井勝弥先生にご出席いただき36名と少人数ながら
「傘寿」を祝い最後の同期会を開催いたしました。

この会の開催のきっかけを作って下さった西加津夫さんが令和6年3月30日に旅立たれました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
5期生傘寿同窓会

24期生 『還暦ちょっと過ぎたけど同窓会』のご報告

5月11日土曜日に、ホテルマイステイズ新大阪コンファレンスセンターで24期生の 『還暦ちょっと過ぎたけど同窓会』が、総勢87名で開催されました。
大阪に住まわれている皆さんは勿論、西からも東からも昔の仲間が集まって、あっという間の2時間でした。
恩師の兵庫先生にもご参加いただけ、お元気なご様子でご挨拶を頂きました。
さすがに還暦を超えて集まったメンバーですので、兵庫先生以上に貫禄を感じさせる方が居たり、
高校生の時の面影を色濃く残している方や、昔はトンガったイメージだったけれど凄く温厚な雰囲気に変身されている方等、会わなかった
数十年のそれぞれの年輪も感じられました。

今回特に楽しかったのは、3年生の時のクラス別のテーブルで始まり、2年生の時、1年生の時のクラス別の席と、幹事の屋良さんが席替えを仕切ってくれて、たくさんの方々と会話が楽しめた事でした。

みんな話し足りないのか、事前申し込みが数名であった同ホテルでの2次会も、当日参加メンバー大盛況でした。
途中、今回参加できなかった遠方の人ともスマホのビデオ通話で顔を見ながら話したり、「実はあの時、こうだった」というようなカミングアウトがあったり、本当に集まれて良かったと思います。

次回は、行方不明の人や、今回都合のつかなかった人にも輪を広げて、また元気にみんなで集まりましょう!!!
(24 期 杉江 弘行)
同窓会1

同窓会2

会長だより ㉕ つなげ伝統! 先生たちの「第4団」

(2024年5月18日=体育祭を終えて)

つなげ伝統! 先生たちの「第4団」

緑友会長 川本正人(普通科21期)

先生方に「大アッパレ!」です。18日に行われた母校体育祭。少子化の影響で今年度も団は3つ、伝統のスタンドとマスコットも3組……と思って訪れたら、なんと4組目がド~ンと構えていました。陽光に輝くマスコットは2匹のウサギ。15年前から第2の校訓になっている「二兎を追え」にちなんだもので、モデルは知る人ぞ知る「ヒガ君」と「スミちゃん」(ご説明は末尾に)。伝統の継承をと先生方約50人がマスコットとスタンドに分かれ、大型連休明けから計9日間をかけて立ち上げました。

実は昨年度から「先生方の中で『スタンドとマスコットをやめてはどうか』という意見が出ている」と伝え聞いていました。安全性の確保、先生方の働き方改革、タイトなスケジュール、そして何より、実務に通じたベテランの退職……といった事情からです。伝統のスタイルを代々の共通体験としてきた卒業生たちにとってはあまりに残念なので、緑友会から学校側に「必要なら卒業生たちに手伝いを呼び掛ける」と申し出てもいました。

けれど最後は、先生方が自分たちで「伝統を守る」方向に踏み出しました。「伝えるにも、安全を確かめるにも、まずは自分たちが経験しないと」という安達乃里子首席(生徒会部長)の呼び掛けで取り組んだのが「教員団」によるスタンドとマスコットです。

職員会議で決まった時は「ホンマかいな」と戸惑う向きもありましたが、そこは「やるときはやる」という学びのプロ。1コマ1時間半の作業時間を、平日は午後2回、土曜日は午前中を含め3回設定。要員を割り振ってはいたものの、熱中して連日3時間ぶっ通しで当たる人が何人もいたそうです。

マスコットは縦5㍍、横4㍍、顔は2つとも半径1㍍の半球形。数学教諭が大型連休中に設計しました。竹ヒゴを組んで曲線と厚みを出す本格的な作りです。皆さん、制作中は立ったりかがんだり木材のすき間をくぐったりで足腰や背中が痛くなったとか。けれど終わってみれば「立体感では生徒たちに負けていない」「大人が本気になったらこんなもんや」と、さわやかな〝ドヤ顔〟でした。

スタンド組はスピード感で勝っていたものの、支柱の高さがそろわずに座面の板が浮いたり、やぐらの丸太が飛び出ていてマスコットを立て掛けられなかったりと、仕上げの細部で苦戦。一方生徒たちは、コロナ中断から復活時の1年生が3年生になり、3度の経験が生きて安定の出来。それでも先生方は「失敗を経験したことで、来年はしっかり指導できる」と、プラス思考で自信を深めておられました。

この日は約10人の先生に感想をうかがいました。そろって笑顔でした。けれど授業の準備が帰宅後になるなど、見えない負担は大きかったはず。このことも私たちは知っておきたいと思います。

最後に、長年中心となって体育祭を支え、本部席の前で生徒たちを見守るのも今年がラストとなった富田年久教諭(65)(体育)のお話です。

「17年前に赴任して体育祭を見た時、すごい、こんな行事はほかにない、残すのが自分の務めだ、と強く感じました。願い通りに関われて本当に楽しかった。けれど伝統は一部の人たちでつないでいくものではない。今年は先生方が伝統を守ろうと一丸となりました。すばらしいことです。生徒たちも、コロナ禍から立ち直り始めた時の1年生が3年生になり、伝統をみんなで完全に継承しました。今、先生と生徒が同じ思いになっています。もう心配はありません」

富田教諭は来年度、念願の日本一周自転車の旅を計画しています。道中で行うのは、生徒たちと東住吉高校で取り組んできたネパール支援だそうです。

◇ ◇ ◇

【ヒガ君、スミちゃん】

2017年(平成29年)にPTAが制作したマスコットキャラクター。広報委員会が手描きし、広報誌やノボリ、タオルなどに活用しました。今回の体育祭デビューは、あのころ電子黒板などICT(情報通信技術)機器の寄付でPTAとご縁のあった安達首席が覚えていてくださったおかげです。当時PTA会長だった私としては、こんなところでもご縁が生きていて、とてもうれしく思いました。

2017年(平成29年)10月のPTA広報誌でデビューしたヒガ君とスミちゃん

会長だより ㉔ 未来への、あと一押し

(2024年5月9日)

未来への、あと一押し

緑友会長 川本正人(普通科21期)

母校では今、18日(土)に開かれる体育祭の準備が本格化しています。大型連休明けには、コロナ禍で中止が続いていた結団式が久々に行われました。昨年度は必要だった一般入場券も今年度は不要。かつて6つを数えた団は、少子化で昨年度に続き3団ですが、これはやむを得ません。まずは伝統行事の完全復活を喜びたいと思います。

新1年生にとっては初めての全校行事。普通科生は「70期」です。彼らが参加する体育祭は、母校創立70周年の祝祭でもあります。

緑友会が手掛ける創立70周年記念事業も正念場を迎えています。学校食堂の改修です。築61年、いまだに空調設備さえなく、老朽化する一方の施設を、多目的に活用できるにぎわい空間に一新する計画。この1年間、「(仮称)緑友ホールプロジェクト」と銘打ち、卒業生をはじめ各方面にご支援をお願いしてきました。思えば昨年度の体育祭でパネルを掲げ、チラシを配布したのが広報活動の始まりでした(会長だより⑫「支援の礎」)。

結果を申します。寄付金の目標額2000万円のうち、1600万円までメドが立ちました。会員の皆様からの浄財に加え、後援会「みどり会」とPTAから合わせて約1100万円のご協力を得られる見通しとなったからです。おかげさまでもう少しで目標額に届きます。あと一押しです。

体育祭の団が半分になるほどの少子化に加え、今年度から段階的に始まった私学の授業料無償化の影響で、公立高校の生徒数維持は急激に困難になっています。母校の末永い発展には、魅力ある教育環境づくりが欠かせません。

明るく楽しく積極的な高校生活が、人生をどれだけ彩り、生きる力を与えてくれるかを、私たちは知っています。「体育祭が近い」と聞いただけで母校に思いをはせる人が多いのも、あの時間と空間のかけがえのなさの証です。こういう全人的な学びのある高校こそ地球の未来のために残したい。そう思うのは私だけでしょうか。

皆様のお手元にお送りする6月1日発行の緑友会報に、昨年度同様、振込用紙を同封します。厚かましくて本当に申し訳ありませんが、事業の実現に向け、あと一押しのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

※この間の経緯は、近日中にこのホームページの「創立70周年記念事業」のコーナーでお伝えします。

改修後の学校食堂予想図

会長だより ㉖ 創立70周年ごあいさつ――人気の理由

(2024年6月1日=創立70周年の会報発行に寄せて)

人気の理由
――ぶっ飛び経験で、開け新未来――

緑友会長 川本正人(普通科21期)

今年度の公立高校一般入試(全日制)で、府内145校の半分近い70校が定員割れになったそうです。授業料無償化が段階的に始まり、公立離れが一気に進みました。府内東南部の旧第7学区は特に厳しく、定員を上回ったのは募集のあった14校のうち3校だけ。

そのひとつが私たちの東住吉高校です。

授業料に差がなければ、施設や難関大進学率の差で私立が有利といわれます。にもかかわらず母校の人気が不変だったのはなぜでしょう。私はそれを、「ぶっ飛んだ経験」ができる伝統と、それを共通体験としている卒業生や保護者、先生方の存在だと考えています。

体育祭や卒業公演などで、クラスや学年の枠を越えて協力したりぶつかったりする。何事かを成し遂げた結果、思ってもみなかった感動が生まれ、新しい景色が見える。東住吉高校にはそういう経験の場が、生徒全員に、いくつも用意されています。

発想がモノを言う時代です。スマホの発明のような斬新な未来を描く意志、AIの裏をかくような独創性が要ります。その礎を築くのは、夢中でのめり込むナマの経験。大学の予備校と化し、既存の知識だけで「わかったつもり」になったり、すでにある解答を速く出すことだけを競ったりする環境からは、規格外の“人財”は育ちにくいのではないでしょうか。

東住吉高校で得られるナマの経験は、卒業生たちの多くも共有しています。「あの行事で何をしたか」を披露しあうだけで、卒期を越えて話が進むのです。

また保護者の支援は、東住吉高校のルーツでもあります。先の敗戦から10年。厳しい時代の中で、「東住吉区(当時)に高校を」と地元の保護者たちが土地や資金を用意して誘致したのがわが母校です。緑友会館や図書館棟も保護者によって寄贈されました。

志は今も引き継がれています。コロナ禍で威力を発揮した電子黒板などのICT(情報通信技術)機器は、その数年前の2017年に卒業生と保護者らが協力して全教室に寄贈したものです。さらに今年度は、学校食堂を多目的ホールに改装する70周年記念事業を、卒業生、保護者、そして保護者のOB・OGが一体となって進めています。

先生方が伝統を大切にされていることは、先日の体育祭で「教員団」がマスコットやスタンドを立ち上げたことが物語っています。ノウハウを伝承し、教員の世代交代に備えたからです(会長だより㉕参照)。

かつて20年余りにわたって他校をうならせた霧ケ峰キャンプは修学旅行に変わり、長居公園を何周も回るマラソン大会もコロナ中断を機になくなりました。その一方、様々な国際交流やチャリティー100㎞リレーマラソンなど新たな伝統も育っています。コロナ禍が落ち着いた今、新装される多目的ホールは、子どもたちのリアルな出会い、語らい、表現の場となることでしょう。

私たちの母校は、昭和から平成、そして令和へと、激動の時代に2万8000人以上を送り出してきました。豊かな経験を胸と体に刻み込んだ人財ばかりです。経験が幸福度を高めることは、学術的な研究結果を見るまでもなく、多くの卒業生の実感でもあります。

これからも子どもたちがいろいろな経験を重ね、「ホンマ、楽しかった」と巣立っていく母校であるよう、100周年を難なく迎える不滅の母校であるよう、卒業生の皆様、お力添えをどうぞよろしくお願いいたします。

25期生還暦同窓会のご報告

3月30日土曜日に都シティ大阪天王寺におきまして、25期生還暦同窓会が開催されました。
当日は晴天にも恵まれ大阪の最高気温も21℃まで上がり、過ごしやすい気候の中、同窓生142名、
恩師9名の合計151名の方々が参加されました。
先生方
15時より緑友会事務局の渡真利さんより開宴の挨拶が行われ、恩師を代表して1期生でもあります
吉田先生より乾杯のご挨拶をいただきました。150名を越える参加者の方々は限られた時間の中で
懐かしい人たちと旧交を温めました。

今回の同窓会ではミュージシャンとして活躍されている、同期のベーシストの西川サトシさんに
JAZZの演奏を行っていただき、盛り上がりすぎた場の雰囲気の中で少し落ち着いた時間を
作っていただきました。また、恩師9名の先生方にもお言葉をいただき、校歌斉唱、全員での集合写真を
撮って1次会は終了となりました。
ベーシスト
全員集合

2次会も都シティ大阪天王寺の別フロアにて開催し、話し足りない約100名の同窓生と恩師2名は、
大いに盛り上がりました。その後、隣の新宿ビル「春夏秋冬」で開催された3次会でも老体をものともせず、
38名(恩師1名含む)のつわもの達が参加して夜の10時頃に楽しい1日を無事終了することができました。

冒頭のごあいさつで「次回開催は古希を目指して」という話もありましたが、恩師先生方より
「もう少し早く」というお言葉もあり、いずれにせよ次回開催を楽しみにしたいと思います。
(25期 井上 群雄)