会長だより ㉞ 「経験の弟子」たちへ

(2024年11月16日=記念式典を終えて)

「経験の弟子」たちへ

緑友会長 川本正人(普通科21期)

16日に行われた母校創立70周年の記念式典・公演・ホールお披露目会。在校生はもちろん、関東からのお運びを含め卒業生ら約100人も一緒に祝ってくださいました。本当にありがとうございました。
70周年式典
以下は、70周年記念事業実行委員長として私が式典で述べたごあいさつです。母校や卒業生への誇り、在校生へのエールを10分間でどこまでお伝えできたか疑問ですが、再録してことほぎとお礼の言葉とさせていただきます。

◇ ◇ ◇

お集まりいただき、ありがとうございます。普通科21期生で同窓会長の川本です。今の校歌、1番だけは50年前からくちずさんでいます。
会長

さて、70周年を記念し、同窓会、後援会、PTAで食堂を「みどりホール」に改修しました。単に「きれいな食堂」にしたのではありません。様々な体験ができる空間として整備しました。
今日はその「体験」についてお話しします。

ホールのこけら落としは9月の文化祭。生徒の皆さんがいろいろな催しを繰り広げてくれました。最初に行われたのは漫才コンテスト「ヒガスミM1グランプリ」。約200人でいっぱいの会場が爆笑で揺れました(下の写真)。

漫才グランプリ

その中にいた私は、登場した3組の生徒について、3つのことで感動しました。
1つは、芸のレベルの高さ。泣かせるより難しい笑いをあれだけ取れるのはスゴい。
2つ目は、彼らの進化の鮮やかさ。私はたまたま前日にリハーサルも観ていました。その時は1組の完成度が図抜けていて、あとの2組は少々荒削りな印象。ところが一夜明けると3組とも格段にレベルアップし、しかも横一線。結局、荒削りだった1組の優勝でした。
彼らに聴くと、リハのあと演技の時間を1分余り延ばし、ネタを2つ新しく入れて、夜中12時まで公園で練習したといいます。この修正力、集中力はアッパレです。

3つ目。それは登場した3組全員が3年生だったことです。受験生がこの時期にこん身の漫才をやっている。審査員から「オチは決まった。大学は大丈夫」と激励が飛ぶ。こうした光景に私は、「これが東住吉高校や」とうれしくなりました。
いつも何かにのめり込んでいる。それが開校以来の伝統だからです。

私たちの頃は、体育祭も秋でした。また、やたらと体を使う学校で、山の高原で何日もキャンプをするのが修学旅行代わり。長居公園5周15㌔のマラソン大会も長く伝統行事でした。「二兎を追え」は15年前からの第2校訓ですが、当時の言い方では「勉強だけなら誰でもできる」。おかげで全国大会に出る運動部や、後にオリンピック選手になる人もいました。

では勉強はどうだったのか。例として国公立大学の合格者数を同窓会報から拾ってみました。ちなみに昨年度は現役15人、浪人11人の26人。
では10期生の時は……現役25人、浪人27人の計52人。30期生では計90人。70年周年の真ん中35期生では計79人。阪大にはほぼ毎年、京大にもぼつぼつ合格していました。
もちろん今と単純比較はできませんが、子どもの数がずっと多く、当時も簡単に入れるわけではありませんでした。

ではなぜ年中走り回っていながら進学でも一定の成果が出たのか。それは本校が、人間のあらゆる可能性を育む「全人教育」を行っていたからだと、私は考えています。
全ての生徒に、年間を通じて様々な体験の機会を用意する。生徒たちがそれらに自由にのめり込む。こうした環境が、M1の生徒が見せたような自主性、集中力、突破力、コミュニケーション能力、人の気持ちがわかる共感力、そしてギリギリのところで耐え抜く体力や精神力などを様々養い、様々な成果に表われたのではないか。

これからの時代、不透明さが増しそうです。AIの裏をかかなければならない場面もあるかもしれません。しかし様々な体験を通して地力・地頭を養った人間なら、どんな事態にも対応できる、そう思うのです。

500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチという人がいました。画家として知られますが、彼が極めた分野は、天文、物理、建築土木など数十に及びます。
例えば彼の代表作で、聖書に題材を取った「最後の晩餐」という大壁画。そこでは最先端数学だった遠近法が駆使されています。また題材にはキリスト教の造詣が要ります。十数人の人物の心の内をポーズや表情で描き分けるために、解剖学や心理学の要素も加わっています。

「絵」だけ勉強しても、あの作品は描けないのです。

彼は、イタリアの片田舎・ヴィンチ村で、父親のいない私生児として生まれました。ヴィンチ村の、ただのレオナルド。まともな教育も受けていません。それがどのようにして「万能の天才」になったのか。

彼は膨大なノートを残しており、一部は岩波文庫に入っています。それをひもとくと、答えは割と前の方にありました。
彼は自分のことを、「経験の弟子レオナルド」、そう呼んでいるのです。
ノートを読むと、彼はとにかく観察し、触り、実験し、デッサンし、文章に落とし込んで考え抜く、そんなことを営々と繰り返しています。
五感の全てで対象にのめり込む。その体験が彼の経験方法なのだと、私は理解しました。

ひるがえって本校。今も昔も様々な経験の場が用意されています。皆さんも私たちも、その弟子です。
コロナでマラソン大会や合唱コンクールは中断しました。しかし一方で卒業公演やチャリティーマラソンなどなど、困難を乗り越えて定着した催しもあります。
みどりホールができ、M1も新たな恒例になるかもしれません。
国際交流も格段に充実しました。本日も台湾の姉妹校からわざわざ8人がここにご登壇です。
「歓迎来到(フアン・イン・ライ・ダオ=ようこそ)東住吉!」
台湾語

70周年の時の流れをどこで輪切りにしても、一生懸命な経験の弟子たちが詰まっています。その最先端にいるのが皆さんです。現在は過去の積み重ねの上にあり、未来はその先に広がっています。

生徒の皆さんは今、学校が楽しいですか? 好きですか?
ご来場の卒業生の皆さんはいかがでしたか?(歓声、拍手)
学校が楽しくて、好きで、一生懸命。そんな若者が集う限り、本校は不滅です。

30年後、皆さんは働き盛りの40代、私もまだ95歳です。
これからもたくさんの体験を重ね、100周年でまたお会いしましょう。
ありがとうございました。

2024年11月、チャリティーマラソン開催<緑友会報告>

緑友会報告 続いて体育科  富田 年久先生よりの報告があります

11月9日(土)雲ひとつない快晴の下、チャリティ100kmリレーマラソンが開催されました。
緑友会は例年参加者支援のためエイドステ-ションを運営していて、その日を文化祭とともにホームカミングデイと位置付け、OB・OGの参加を呼び掛けてきました。
<マラソン、スタートの様子:動画>

100Kマラソン

今年は、いなりずしと豚汁を提供しました。準備に協力いただいたみなさんには朝早くから参加いただき、いなりの小分け作業や豚汁づくりに携わっていただきました。
食材についてはチャリティマラソン参加者+関係者を考慮して560人分として発注しました(ただし、豚汁については水が多かったのか、結果700杯分(お代わり含む)の提供となりました)。
昨年の経験をふまえ、豚汁の具材となる野菜は前日に下準備をして、鍋ごと具材別に分けて袋詰めして持ち込みました。
肉といなりは当日スーパーに予約したものを緑友会事務局で手分けして搬入してもらいました。
いなりについては、2 個ずつのパック詰め直し作業に3人かかりで取り組んでいただきました。
豚汁については3つの鍋で平行して炊き始めました。
<動画はこちら>

鍋3

当日は、このチャリティ100kmリレーマラソンのほか、中学生向けの学校説明会、学校の取り組みを検討する学校協議会が行われるなど盛りだくさんのスケジュールで、校長先生がスタートラインに着いたのが予定時間の1分前という忙しさでした。

川本会長の話では、チャリティ100kmリレーマラソンは当初から担当されていた先生が今年で退任されるそうで、来年からの開催や支援はどうなるのかと思っていたところ、その先生に若い先生お二人を紹介され、その方々から「私たちが受け継ぎます。引き続きご支援ください」とごあいさつをいただいたそうです。

チャリティマラソンがはじまると、それぞれ走り終えた現役生がやってきました。生徒の取次の整理は吉川先生にお願いしました。ゴマ油のとショウガの香りが効いた豚汁は、生徒には好評でした。

次々

消費ペースが思いのほか進まず、豚汁の鍋は2廻りが精いっぱいでした。そのため、最後の2鍋は残りの具材を全部投入したため、超特盛鍋になってしましましたが、参加者配布後の「おかわりタイム」には50人以上の列ができ、ネギ1つ、汁の一滴まで残さず平らげてくれました(高校生の食欲恐るべし)。

今回はスタッフ以外に、21期生が5人来ていただき、うち1人は調理師免許をお持ちでした。
昨年のキッチンカー21期生もそうでしたが、この資格のある人がいると、保健所対策の負担がゼロになります。
来年度のご参加も川本会長からお願いして了解をいただいたようです。

皆様のご協力のもと、無事に終わらせていただき感謝いたします。

最後の最後までおかわりを待つ列が続きましたこと、そして「美味しかった❗️ごちそうさま❗️」と顔をほころばせる様子にこちらも嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
学校、生徒とともにこの様に交流が持てます機会がこれからも続き、支援の輪が広がりますことを願っています。

フェイスブックにリアルタイムで投稿して、拡散もしていたようで、支援の輪が広がるように広報活動にも力を入れてまいります。

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Facebookのコメントを引用

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富田先生からのコメントでは、生徒さんたちはランチをとても楽しみにしていたそうです。

お世辞でもチャリティーマラソンが毎年大成功しているのは緑友会のおかげと言われるとうれしいですね。

スタッフ

<体育科 富田 年久先生からの報告です>
今年も第19回チャリティーリレーマラソンが、大盛況で無事に終えることができました。毎年のことですが、ヒガスミ生たちのエネルギーを感じることができました。
私が、チャリティーリレーマラソンを始めたのは、1995年(阪神淡路大震災が切っ掛けです)からです。前任校である長吉高校で始め、ネパールに4校の学校を建てることができました。子どもたちのお礼の手紙がたくさん届きました。その中で「学校ができても、お金が無く学校に行けない」と言う声がたくさんあったので、学校に行くための奨学金制度を作ろうと思いました。
東住吉高校には、2007年に転勤してきました。その年の秋から、学校に行けないネパールの子どもたちを助ける、チャリティーリレーマラソンを始めました。現在JASSラルパテというNGOを通して、ネパールの6校の学校100人に奨学金を贈っています。
我々は、ネパールだけでなく、東日本大震災の時は陸前高田市にあった高田高校を支援するために、震災後3週間春休みに高田高校支援のチャリティーリレーマラソンを行いました。その時義援金は200万円集まり無事届けることができました。(この年は、2回実施)
18年間続けられたのは、ヒガスミ生たちの心の優しさだと思います。困っている子どもたちがいるなら、手を貸そうと思ってくれます。また、子どもたちは緑友さんの作ってくれる昼食も大きな楽しみの一つになっています。体育祭に並ぶ伝統行事になりつつあると思います。現役生や緑友さんが一体となって、これからも続いていくものと思っています。

15〜24期サッカー部OB会にお邪魔しました

10月13日(日)、サッカー部OB会が開催されました。取材:(緑友会副会長 渡真利 )
11年前、15期の還暦祝うサッカー大会を開催され、その後、毎年東住吉高校のグラウンドで24期まで、還暦サッカーとして繋がれていました。残念ながら、昨年、私の同期の25期にも声がけしましたが、参加叶わず。

今年還暦の26期のサッカー部とは、緑友会も直接の繋がりがもてず、こちらも参加が叶わず。

というわけで、今年は、天下茶屋のフットサル場でOB会として開催されました。
当日は、関東方面からも来られ、14期から24期まで、合計35名のOBが集まられました。

毎月開催のフットサルに参加されてるOBもたくさんおられるとのこと。10月とは思えない暑さの中、約2時間余り、何回も入れ替わり試合を行われました。お元気な姿に、私も、参加したくなりました。
その日の夜は、心斎橋大成閣において懇親会も開催されたようです。

毎月一回、フットサル(JR久宝寺駅前フットサルステージノア)を開催されています
見学、参加ご希望の方は、緑友会へお問い合わせください。

来年、還暦を迎える27期のサッカー部OBの方、是非、参加いただきますよう、お願い申し上げます。
そして、来年は、また、東住吉高校のグランウンドで開催されるよう、緑友会もお手伝いしたいと思います。   

14期生、一年生の時のクラス同窓会報告(開催日:令和6年10月13日)

令和5年に14期生の古希同窓会があり、その二次会で一年生の時のクラスメイトが集まりました。
三年生の時に男子のみのクラスの者は、クラス同窓会を今迄ほとんどしていなかったみたいです。
(そら、男ばっかりやったら集まらんやろな)三年生の時に男子のみのクラスの人に朗報です。
一・二年生の仲の良かったクラスで同窓会をすれば楽しめますよ
私も三年生のクラス同窓会は、何度も出席しているのですが、
一年生のクラス同窓会は今迄あまり会っていない友が多くいたので新鮮でした。
来年、令和7年の10月に同窓会を開催する予定ですので、14期 1年9組
船津先生のクラスだった人は、よかったら参加して下さい。

特に女子の参加を待ってます。(私の希望 女子が少ないので)

五百蔵  成夫  14期生
14期生写真

創立70周年記念式典・記念公演 ご案内

東住吉高等学校 創立70周年を祝して開催される式典と公演のご案内です。
公演には、本校出身の落語家7人にお囃子、講談師が加わり、計9人がそろいぶみ。
事前申し込みはご不要です。
是非ご来場ください。

開催日時2024年11月16日(土曜日)11時30分より受付

場所:東住吉高等学校 体育館

第一部 記念式典 12時〜13時
・開会の辞、校歌斉唱、校長式辞、緑友会会長挨拶、ご来賓祝辞、生徒会会長挨拶 等

第二部 記念公演 13時20分〜14時55分
・芸能文化科3年生による長唄
・口上
・旭堂南龍さん 「平野の街を題材にした講談」
・スライドショー 「ヒガスミ生の今昔」
・ヒガスミ生と落語家合同2チームによるクイズ大会

ご出演の落語家は、ホームページに動画メッセージをいただいた林家染二さん、桂しん吉さん、桂團治郎さん、笑福亭呂翔さんをはじめ、桂佐ん吉さん、桂吉坊さん、桂九寿玉さんです。お囃子(三味線)の岡野鏡さんも登場されます。

受付の都合上、できるだけ第一部からご入場ください。
ご入退場は各部の合間にお願いします。
300席をご用意しています。満席になりましたら立ち見でご了承ください。

事前申し込みは不要です。
体育館1階にて受付手続きをされ、備え付けのスリッパに履き替えの上ご入場ください。<スリッパは用意しております>

みどりホールお披露目会 15時15分~
ブラスバンド部の祝賀公演も予定
(式典の都合により開催時間が多少前後します。)

緑友会館1階の食堂は、みなさまからの多大なご支援により、8月末に多目的ホール「みどりホール」へと生まれ変わりました。食堂はもとより、さまざまな催し物に活用できます。
この機会に是非お立ち寄りいただき、その姿をご覧ください。
みなさまのご来場をお待ち申し上げます。

会長だより ㉝ 不易流行の支援

(2024年9月24日)

不易流行の支援

緑友会長 川本正人(普通科21期)

(※不易流行=変わらないものを残しながら、変化を取り入れること)

母校の支援団体は3つ。PTA、みどり会(元PTA役員らによる後援組織)、緑友会です。いずれも開校間もなくから活動してきました。けれど、PTAはコロナ禍による活動制約がまだ尾を引いている様子。みどり会もあおりでOB・OG不足に陥り、今年度から活動を休止しました。

創立70周年記念事業実行委員会は、この3団体と学校で組織されています。といっても実際に集まるのは学校と緑友会だけ。2大事業の「食堂の多目的ホール化」は緑友会、「記念式典・記念公演」は学校という役割分担です。差し出がましくて落ち着かないのですが、全国で広がるPTA離れを考えると、緑友会が前面で対応する場面は増えそうに思います。

24日、その実行委の第6回会議が開かれました。これからは11月16日(土)の「式典・公演」に向かいます。そこで今回は、一段落した「ホール」について、これまで触れていなかった点をご報告します。

<命名>

みどり会は活動休止に当たり、蓄えのほぼ全額750万円を実行委に寄付されました。食堂改修はこのご決断なしには不可能でした。「みどりホール」は、同会の事実上最後の、そして最大のご支援だったのです。

みどり会の今後を話し合った昨年4月の同会役員会。お招きいただいた私は、創立以来の大事な方々にお約束しました。「歴史とご功績のある会のお名前をどこかに残したい。私案ですが、みなさまのご協力で完成がかなったら、『みどりホール』の命名を関係団体にお示しします」

その後、各団体ともこの命名に賛同してくださいました。同会の母校支援事業も、昨年度から緑友会が引き継いでいます。

<工費>

資金と時間に最後まで追われた工事でした。お金がなくて発注をためらっていた銘板を緑友会館の門柱に取り付けたのはこけら落としの前日、9月6日の午後。デザインを緑友会スタッフに頼んで費用を抑え、堂々とした真ちゅう製にしました。

工事一式の費用は計1877万9300円。予算の1650万円を227万9300円、14%超過しました。相次いで見つかった老朽危険個所の修理、脚部再塗装だけの予定だった丸イスの座面交換が主な理由です。

このため緑友会から実行委への寄付を、当初の500万円から730万円に増額。役員9人から異論は出ませんでした。

これにより周年事業全体の予算は、PTAから500万円、みどり会から750万円、卒業生からの寄付1万円と合わせ、1981万円になっています。

<梁の亀裂>(だより㉘「『安全第一』の覚悟」参照)

ホール中央の梁で7月の着工早々に見つかった「構造クラック」。その対応を8月29日に府教委と直接話し合いました。台風が近づく中お越しになった担当3人は「当時の図面もなく、危険性の判断は困難」「耐震対策はどれだけやっても『それで安全』とは言えない」と率直でした。

こちらからは「ご判断が難しいなら、改修工事を監理した一級建築士らの『大地震が来たら危険』という指摘を信じるしかない」「耐震対策に限りはないが、『だから何もしない』ではなく、『どこまでできるか』をご検討いただきたい」と訴えました。

50分後、先方がおっしゃいました。「対策案を示してもらえれば、こちらも検討しやすい」

発見当初の「補強したいならやっていただいてもいい」という回答からは大前進。ここまでくれば、あとのやり取りは学校にお任せです。緑友会は対策案の支援に回り、24日の実行委では梁を柱で支える補強図面をお示ししました。

<運用>

構想実現に動くに際し、昨年3月、学校側と大枠で合意しました。「緑友会やPTAの活動にも活用する。ただし禁酒・禁煙」「ランニングコストは学校が負担」といった内容です。

ホール完成後、生徒たちや緑友会員から「どうやったら使えるの?」という問い合わせが早速ありました。学校がルールを設定されることになっています。

……こう書き連ねると、なんだか緑友会だけ安泰なように見えます。けれど内情は火の車。固定収入は新卒時の入会金だけ(昨年度は132万5000円)。対する支出は、会報の印刷・発送だけでも240万円(次の課題です)。ご寄付がなければとっくに財政破綻しています。

ありがたいことに、この2か年度のご寄付は、1587の個人・団体から2207件、996万円余り。一昨年度の3倍以上のペースです。名簿電子化によるコンビニ決済とホームページの改修でご支援のすそ野も広がりました。

せやけど周年事業に730万円も投じたら……。まあ、しんどいでしょうが、どうにかなります。みなさまから息の長いご支援をいただけるよう、スタッフ一同、あらためて奮闘努力するばかりです。

一昨日、私の21期のミニ同期会があり、30人が集いました。実現に懐疑的なムードが漂っていたホール構想を、当初から応援してくれた人たちです(1年前のだより⑲でご紹介)。ようやく訪れたお礼の機会に、私はごあいさつをしました。

「この歳になると、『いいもの』を残す責任を感じます。これだけ大勢の同期が2年続けて集まるのは、50年近く前のあの時間・空間が、やっぱり『いいもの』だったからだと思うのです。この絆とそれを育んでくれた母校は誰かが守らないと、いけない」

気負いすぎかもしれません。独りよがりにも聞こえます。けれど本心です。

緑友会はこれからもホールを活用していきます。自分の来し方をふと確かめたくなったらお立ち寄りください。「あの日々」が、ひょっとしたらこれからの人生を照らす一灯になるかもしれませんから。

※「記念式典・記念公演」のご案内は、ホームページのバナーから。

書道部同窓会「墨友社」が書展を開催

2024年9月21日(土)と22日(日)の両日、あべのベルタ3階の大阪市立阿倍野市民学習センターにおいて、第53回となる書の作品展「墨友社書展」が開催されました。
2021年、節目となる「第50回」の開催を期にピリオドを打ってはという声もありましたが、もはや伝統とも言える貴重な催しを次の世代に引き継ぐことこそ墨友社の役割であるとの熱い思いから、会員の力を結集し今回まで開催が続けられてきたとのこと。
今回は8期から59期まで20人と元顧問の先生方5人、さらに現役部員5人から寄せられた個性溢れる計30作品が会場を彩りました。
会員が次々と会場を訪れ「お久しぶり」「元気ですか」などまさに書を介して卒業生が繋がっていることを実感しつつ、次回からは「緑友会館」の食堂から「みどりホール」へと生まれ変わった多目的ホールでの開催をおすすめし、賑やかな会場を後にしました。
(取材:文/緑友会広報 25期 渡真利 由香)
書道部
集合写真

「みどりホール」こけら落とし 緑友会活動報告

「みどりホール」こけら落とし

緑友会「公演とランチの集い」開催

――ホールいっぱいに笑顔の花――

 

みなさまのご支援で完成した母校創立70周年記念「みどりホール」のこけら落としが9月7日(土)に行われました。この日は文化祭の一般公開日。生徒たちがホールの舞台で熱演を繰り広げる傍ら、緑友会も「ホームカミングデイ」を開催。ランチや舞台、応援ハンディータオルなどを用意し、大勢の卒業生らでにぎわいました。緑友会スタッフも、来場者をご接待したり、生徒たちの出し物に見入ったり。同窓生、生徒、家族、友達……、いっぱいの笑顔に包まれ、「人と人とのつながりを大切にする。これもヒガスミ精神」と確信した一日でした。

(緑友会副会長 津地嘉代子、普通科21期)

(※当日の模様は、緑友会ホームページ「会長だより」でも2回にわたってご報告しています。)

限定ホールランチ

生徒たちに人気の唐揚げをメインにした彩りとボリュームたっぷりの500円弁当を45食限定で提供。緑友会からペットボトルのお茶も添えました。事前予約の方々は11時の開始直後から足早に来場。スタッフが厨房に取り次ぎ、揚げたてを「お待たせしました」と配膳。厨房で用意できる最大数が早々になくなりました。

この日の厨房は、一般営業もあって普段の2倍の7人で対応。今年度から食堂を請け負っている「双八屋」の八代常孝専務(39)は「このホールランチで500円は安い、と社長に怒られました。けれどほとんどの方が完食。喜んでいただけて良かったです」。

応援ハンディータオル

第二の校訓「二兎を追え」にちなみ、今や母校の〝公式キャラクター〟となっている「ヒガ君、スミちゃん」。その最新図案を学校からお借りし、ヒガスミ応援グッズのハンディータオル150枚を制作、1枚500円で販売しました。

発注から10日足らずで届くというスピードに驚き、受け取ったスタッフから「いい出来栄えです」とすぐに報告もあってホッ。当日はヒガ君、スミちゃんの可愛いPOPと並べて販売。多くの人にヒガスミエールが広がりますようにという願い通り、手に取ってにっこりされる方、お友達、知り合いにもとまとめて購入してくださる方がおられ、校長先生も早速お買い上げ。計72枚の売り上げとなりました。

「思いをかたちに」と全面協力してくれたスタッフに感謝です。

飛び込みライブ・街角ピアノ

生徒、一般来場者を通じ、こけら落とし最初の演奏が26期生のアコースティックギターだったことは、会長だより㉜「続・祝祭の人模様」で触れていた通りです。

ではトリは? 実はこれ、緑友会副会長、渡真利由香さん(普通科25期)の三線(さんしん)でした。生徒たちの公演が終わったメイン舞台。後片付けまでのわずかな時間に、沖縄民謡「安里屋ユンタ」から始まって「涙そうそう」「満月の夕べ」の3曲を歌付きで披露しました。どこか懐かしさを感じる音色。三線のおけいこを始めて2年ほどだそうです。
左:トップ演奏の長谷川喜也さん 上:街角ピアノを奏でる内本由美子さん(以上、会長だより㉜ご参照) 下:渡真利由香さん

ご厚志

緑友会や学校にお祝い金を持参された卒業生が複数。2㍑入りのお茶を紙コップ付きで差し入れてくださった方などもおられました。本当にありがとうございました。

ホールは一応完成しましたが、老朽危険個所の修理に費用を要し、可動舞台は予定の半数、丸イス修理も一部先送りとなるなど、やり残しがまだあります。引き続きのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

会長だより ㉜ 続・祝祭の人模様

(2024年9月10日)

続・祝祭の人模様

緑友会長 川本正人(普通科21期)

みなさまのご支援で完成した創立70周年記念の「みどりホール」。そのこけら落としから3日が過ぎました。あの日、同じ時間と空間をすごし、それぞれに母校への思いを深めておられた方々を、改めて振り返っています。

生徒たちの公演とともに、緑友会は、卒業生らとの交流の集い「ホームカミングデイ」を催しました。「街角ピアノ」「飛び込みライブ」「限定ホールランチの提供」「ヒガスミ応援ハンディータオルの販売」が主な取り組みです。

前回の「だより」は、公演する生徒たちにスポットを当てました。今回は訪れた卒業生について、いくつか書き残します。

 

「街角ピアノ」でエールを送った普通科18期生、内本由美子さん

この日はホールを半分に分けてありました。入って右手は公演会場、左手は食堂とミニ舞台。後者には小さめの電子ピアノを置き、誰でも使えるようにしていました。

「弾いてもいいですか」。ミニ舞台の真ん前でホールランチを召し上がっていた女性が声をかけてこられました。内本さんでした。「芸能文化科もあって上手な方が多いでしょうに、出しゃばりでは?」という思いが少しあったそうですが、弾き始めるといつものように心身とも「異次元」入り。

1曲目は中島みゆきの「ひまわり〝SUNWARD〟」。激動の時代を生きる人々へのエールです。2曲目はパッヘルベルの「カノン」。日常を離れ、母校で校舎を眺めたり、旧友との再会を喜んだりする光景をイメージした選曲でした。

病院や施設の子どもたち、お年寄りたちに寄り添おうと、訪問演奏を続けて20年近く。コロナで施設に入れなくなった間も、京都駅ビルの街角ピアノを朝から奏で、不登校の中高生らを慰めていたといいます。

その時、その場所で伝えたい思いが、いつもありました。

「ひまわり」の途中でふと目を上げると、若い女性が小さく拍手をしていました。「応援、届いたみたい」、そう感じた瞬間でした。

街角ピアノ

 

こけら落とし最初の演奏者となった26期生、長谷川喜也さん

スピーカー、ミキサー、イコライザーなどを寄贈してくださった25期生、高山愛二さんの高校時代のフォークサークル仲間です。「飛び入りライブ」OKと聞いてギター持参で早々に来場されました。

生徒たちの公演まで約1時間。見るとマイクがまだ未セットです。会社員の傍ら、週末にライブカフェで音響を手伝っているだけに放ってはおけません。「ちょっと触ったことあるから」と、前回のだよりで紹介した3年生ビートボクサーらとセッティングに乗り出しました。

奥行きの狭い舞台に合うようマイクスタンドの位置や高さを工夫。前日のリハで聞こえなかったリードギターの音をボーカルマイクで拾えるよう改善。ハウリングを避けるためスピーカーはやや外向きに。機器への音の「出」と「入り」のバランスも調整……。

これまでは「音響機器がなかったらどうなっていたことか」と、ハード面のご寄贈だけを喜んでいた私ですが、この日は「この人が来ていなかったら」と、ソフト面の助太刀にも大感謝。ここは本当に人に恵まれたホールです。

長谷川さんは、マイクテストを兼ねてそのまま「飛び入りライブ」。1曲目はシンガーソングライターあいみょんの「双葉」。別れや成長、未来への希望を高校世代に向けて歌った作品です。2曲目はバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」のテーマ「ハートスランプ二人ぼっち」。選曲理由は「昨夜、放送してたから」。レパートリーはなかなか広そうです。

ところで今日は何曲ご用意?「せやねえ、30から40かな」。この人、心底本気でやらはるつもりやったんや!

2曲では足りなかったのでしょうか。長谷川さんは食堂エリアのミニ舞台わきに移ると、今度は緑友会スタッフの三線(さんしん)を手に、なんと校歌を演奏。「この曲、初めて弾いた」なんて、うそでしょ? 味わい深く風情のある音色に、食事客らも拍手でした。

長谷川さん

 

ホール関係はすべて真っ先に参加の11期生、寺崎信さん

「公演とランチの集い」の告知が緑友会ホームページにアップされた直後、ホールランチを一番乗りで予約。こけら落としにも開場直後にお越しになりました。「LINEで同期を誘ったのですが、みな70代半ばですし、住む所も離れてしまって。私は大阪市内なんで、まだ自転車でも来られそうなんですが」と一人かくしゃく。

そういえば11期会のみなさん、支援を募り始めた昨年6月の会報発行直後にご厚志をお寄せくださいましたね。「卒業40周年から何度か同期会を開いてきましたが、コロナで中断。手作りの催しは年齢的にも難しくなりまして、昨年、会議を開いて会の解散を決めました。会則も作ってありましてね、解散時は(余剰金を)緑友会に寄付すると決めていたんです」

高校時代は理化学研究部。気象予報士などいない時代。気象を担当し、文化祭では天気図などを展示しました。校内を巡ると、今は展示より模擬店。それはそれで生徒たちを応援しなければと、ベビーカステラの店で2000円を渡し、「手が空いたらホールに」と、緑友会への差し入れを手配。間もなく数個ずつ入った紙コップが20ほど2回に分けて届けられ、スタッフを感激させました。

寺崎さんは、生徒たちの公演を最後まで見届けてホールを出られました。「一生懸命なら何事も無駄になりません。若いときは何をやりたいのかわからないかもしれないが、道は一つじゃないですから」。夏嵐のような生徒たちと過ごしたあとの言葉でした。

 

母校出身の著名人でサイン帳をいっぱいにしたい普通科31期生、萩原泰之さん(緑友会書記)

緑友会ホームページのトップに据えてある「祝70周年 繁昌亭からのメッセージ」。ページ初の動画です。登場4人のうち、芸能文化科12期生(普通科では50期)の桂團治郎さんと同科22期生(同60期)の笑福亭呂翔さんにホールでお会いしました。3月に動画出演をお願いした際もそうでしたが、実に気さく。「ええのできましたねえ」とホールを見渡し、大勢の一般客に混じってホールランチを召し上がってくださいました。

萩原さんは、あの動画をタブレットで撮影した人です。当時はどちらも真剣で余裕がありませんでしたが、この日はお互いにくつろいだ雰囲気。食事中の二人にその節のお礼を申し上げつつ差し出したのは、大判のサイン帳。以前から著名卒業生で埋めようと用意し、この日も持参していました。サインはもちろん、千社札シールまで張ってもらってご満悦です。

見せてもらうと、あて名はどちらも「はぎはらさん江」。ン?役員やったら「緑友会さん江」としてもらわなアカンのとちゃうん? 「あっ、次は色紙用意してちゃんともらうようにします」

けれど、「サイン帳いっぱいの著名卒業生」という彼の言葉にはひかれました。ホールは人財のインキュベーター(支援施設)。80枚つづりのサイン帳には今3人。全ページ埋まる日が楽しみになりました。

サイン

 

会長だより ㉛ 祝祭の人模様

(2024年9月7日=「みどりホール」こけら落とし)

祝祭の人模様

緑友会長 川本正人(普通科21期)

言葉が浮かばないもどかしさをいつも以上に感じています。文化祭に合わせた7日の「みどりホール」こけら落とし。その模様と事業ご支援への感謝をどうやってお伝えするか。どうも「自分の言葉」では難しいようです。

催しは、生徒たちによる5つの公演(足かけ4時間)と、緑友会が企画したホームカミングデイ(卒業生らの交流イベント)で構成。一時は約200人が縦12㍍、横18㍍の空間を埋め、ホールはさながらライブハウス。築62年で初めて備えた空調機が威力を発揮しました。

まず開演直後の写真をご覧ください。公演者らはここで何を感じ、どう臨んだか。このあと生徒たちの「言葉」で公演順にお伝えします。

 

漫才頂上決戦「ヒガスミM-1グランプリ」(出場3組)の司会、3年西川瑠奈さん

「ウワァーッて、メッチャすごい歓声がブワッときた。『楽しく笑ってくれたら』とは思っていたけど、想像以上のライブ感でした」

(一言)漫画「DEATH NOTEに登場するアイドルの衣装。どのネタにも一番よく笑っていました。

 

優勝した「マツアンドヤマ」の3年松岡啓太さん、山地祥生さん

「気持ちよかったぁ。受けすぎて続きのセリフを出すのに戸惑った」「前日のリハーサルよりネタを2つ増やして、昨夜は公園で12時まで練習」「修学旅行(前年、石垣島)の時に初めてやった漫才は受けなかった。リベンジ成功」「これからは受験勉強。優勝を弾みに国立大を狙います」

(一言)リハでは練習の差が見られましたが、3組ともたった一日で急成長。会場をうならせるハイレベルの接戦になりました。この集中力にも拍手です。

 

審査員(校長、教員、卒業生、在校生の5人)

「出場者全員が3年生。この時期に受験よりネタが命?」「ネタは落ちた。大学は受かります」「校長ネタ、全力でイジってください」「先生も面白い話ができるように頑張らんと」

(一言)審査員のコメントにも爆笑。さすがです。

 

マジックの3年小屋畑遼(こやはた・はる)さん

(先に一言)前日のリハでは「長い風船を飲み込むとき、オオッ!とどよめきがわいたら成功」と話していましたが、当日は風船ナシ。はて?

「風船、割れちゃったんです。夕べの練習で。今日は最初のハンカチ伸ばしもミス。修学旅行で初めてマジックをやったときは受けたんですけど、今日は……」

(一言)登壇前は声もかけづらいほど緊張気味でしたが、本番は黒サングラスをかけて堂々。合間にポーズを決め、余った時間にハンカチやペットボトルを使った同じネタを繰り返して失敗を穴埋め。タフな一面を見せてくれました。

 

アコースティックギターの1年宮城虎侍(とらじ)さん、中川唱平さん

(汗だくのギターボーカル宮城さん)「頭がパニック。歌詞は飛ぶし声も出ない。知らん人がおるとこんなに緊張するんや。こいつ(リードギターの中川さん)は天才やのに、申し訳ない。絶対リベンジや。けど緊張するから、今度はもうちょっとこぢんまりと」、(落ち着いた中川さんが肩を組んで)「そんなことないって。よかったよ」

(一言)軽音仲間で、初舞台のこの日はビートルズや尾崎豊など和洋6曲。始まる前は「失敗もライブ。楽しければ成功」と豪快だった宮城さん。リズムを刻んでいた上履きのサンダル、昔より上等になりましたが、卒業生には懐かしかったです。

 

口を使って音楽を創り出すビートボクサー、3年林奏芽(かなめ)さん

「文化祭は、部とかクラスとかでないと参加できないでしょ。個人や有志では難しい。だからこんな舞台を作ってくださって、本当にありがとうございます。来てくれた人に跳んで叫んでもらいたかったけど、今日はそこまで行かなかったなあ」

(一言)聴衆は演奏がスゴすぎて動けなかったのだと思います。なんせ「ドゥオーン」という重低音に打楽器が重なって、さらに管楽器まで加わるのです。ホンマに一人の口? ホンマにボクサー3年目? 私には衝撃でした。

(もう一言)彼は出演全組の「音」も担当してくれました。普通科25期の高山愛二さんからミキサーやイコライザーを寄贈されたのですが、扱える人がいません。そこで3日前、仕事中の高山さんに来てもらい、説明を受けたのが彼。その日のリハの際、音圧に耐えるダイナミックマイクを持参していたので、音作りに詳しいのだろうと思ったのですが、実は機器を触ったことがなかったとか。動じず、柔軟で、責任感の強い人柄を感じました。

 

来場親子の年齢を考えて平成を意識したアニメソングを2曲、アンコールで「め組のひと」を演奏した吹奏楽部の部長、2年内山瑠華さん

「体育館でも演奏したんですが、こっちの方がいいなと思います。部員8人で体育館は広すぎるし、みんなに見られる正式行事の感じだし。ここはご飯食べている人までいて、くつろいだ気分。体育館では出なかった『アンコール』の声も上がって、楽しく、うれしく演奏できました」

(一言)来場者によると、たしかに体育館よりホールでの演奏の方が良かったそう。吹奏楽部は毎年、OB・OG(=緑友会員)と定期演奏会を開いており、みどりホールを使うことも検討中です。

 

公演に浸りながら、考えたことがあります。「わからないから興味がない」に流れがちな自分への反省もその一つ。「わからないけど、なんかすごい」、そう受け止める感性が、考えを深め、知性を高めることは確かです。両者の違いは、その時間や空間を体感したかどうかで生じることを、「なんかすごい」後輩たちに教わりました。

私たちの母校の強みは、こうした「体感」の機会を伝統にしていることです。

みどりホールは「きれいな食堂」ではありません。「多目的なにぎわい空間」へと改修しました。型破りな行事がやりにくい時代にあって、「体感の伝統」を守る新たな砦になる、そう確信した催し第一弾でした。

※ ご支援者へのお礼とご報告は、改めて掲載させていただきます。