卒業生101名と先生2名の103名が出席。
71才になってもなお、100名を超える出席者があり、
みんな高校生時代に戻った様に大盛況でした。
3年1組担任の 田中 譲 先生と3年5組担任の
角森 雍次郎 先生の2名です。
会員の皆様、いつもご支援ご協力ありがとうございます。
毎週水曜日には開設している緑友会館の緑友会事務局は12月25日(水)、2025年1月1日(水)の2日、お休みをいただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
<広報 寺田>
<レポート:広報 寺田正秀 10期>
来賓をお招きし粛々とすすめられた式典に続き、公演では落語や講談の世界で活躍している9人の卒業生による多彩な演目が会場を埋めた生徒やOB、OGを大いに楽しませてくれました。
その模様を順にご紹介します。簡単なYouTube動画も後日配信する予定です。
卒業生を招き式典に花を添えようという企画は萩原前校長のアイデア、それを受け落語家の林家染二さんが卒業生の芸人さんたちに声がけしていただき、皆さんが「喜んで!」と快諾のもと、芸能文化科の久下先生、染二さん、桂團次郎さんらにより演目構成などを考えいただいて実現したものです。
出演いただいた卒業生。左から落語家、桂 佐ん吉さん(芸能文化科7期生)、桂 久寿玉さん(同、25期生)、講談師、旭堂南龍さん(同4期)、囃子方 岡野 鏡さん(同19期)落語家、林家染二さん(普通科23期)、桂 團次郎さん(芸能文化科12期)、桂 しん吉さん(同2期)、笑福亭呂翔さん(同22期)、桂 吉坊さん(同5期)の揃い踏みです。
上の写真は開演前、緑友会から次号の会報へ公演記事を掲載するためアンケートをお願いしているところ。
長唄を演奏する芸能文化科生徒3年生のご挨拶の一コマです。
華やかな幕開けは「長唄」、芸能文化科3年生とプロの囃子方の皆さんと息のあった合奏です。
続いて「トザイ、トーザーァイ」染二さんら9人お一人お一人から、お祝いの言葉、自己紹介がありました。
続いて桂 佐ん吉さんの司会進行で登場した講談師 旭堂 南龍さん。本校がある平野地区が大阪夏の陣、冬の陣の戦場であり、真田幸村の攻撃に徳川家康が九死に一生を得た話、そこから杭全(くまた)の地名が生まれた話を、まるで見てきたような調子で語り、一同感心するやら、本当?と疑うやらの中、拍手で終演。
次の演目は、桂 しん吉さんらによって卒業アルバムから厳選した写真をプロジェクターで映し出しながら、写真にまつわる話、当時の校舎のこと、その後の発展など、染二さん、呂翔さんも加わり生徒には興味深い思い出話が次々披露されました。
染二さんから「私がいたころの体育祭で4つの団の他“おにぎり団”なるものがあり、お米を渡すと放課後の体育祭準備でお腹が空いたときに、おにぎりがもらえるというような団がありました、ご来場の卒業生で憶えておられる方、おられますか?」に憶えているよと、多くの声が返ってきました。
続いては5人の生徒が登壇し團次郎さんの進行で「ヒガスミクイズ大会」。久寿玉さん、吉坊さんも加わり「今はあって昔はなかったクラブは何でしょう?」「染二兄さんがいた頃の食堂で、きつねうどんの値段はいくら?」、また「通学で多くの在校生が使った近鉄針中野駅、針中野の由来は?」という質問には壇上の5人からではなく着席している生徒が手をあげ、すらすらと正解し拍手喝采を受けるシーンも。
最初は緊張からか、なかなか手を上げられなかった生徒たちも落語家さんたちの絶妙な進行の中、名回答、迷回答でポイントをゲット。クイズの答えは後日公開する動画でお確かめください。
落語家対生徒の大喜利コーナー、進行は佐ん吉さん。まずは「なぞ掛け」です。お題の「ヒガスミと掛けまして何と解く」に「洞窟と解きます、その心は、共に奥が深いでしょう」と生徒。これに落語家チームからは「審判員だらけの相撲と解く、その心は、行事が多いでしょう」などとやりとりが続きました。
続く「あいうえお作文」、5人が順に「あ」のつく話、「い」のつく話とつないでいき最後の人が「お」がつく話でまとめるというもの。謎かけや作文の出来はどっちが良かった?の判断を委ねられた観客は何とプロの落語家チームへの拍手はゼロ、
対する生徒チームへは万雷の拍手、圧倒的な勝利をあげた生徒たちは意気揚々、落語家たちからの「ぜひあなたの弟子にしてください!」に起きた爆笑と共に幕となりました。
いよいよ最後の演目はお芝居で上演される「御家騒動」を題材にその名場面を5つの踊りで表す「五段返し」。踊りは桂 吉坊さん、後ろで三味線と謡の岡野 鏡さん、その他のメンバーが笛、太鼓、銅鑼、拍子木などで盛り上げました。軽妙かつ日本の芸能文化の多彩さを感じさせる芸は「さすが」の感あり。
拍手で全ての演目が打ち止めとなりました。
この日のために万障繰り合わせて来校し、公演いただいた染二さん他、皆様へ感謝の花束が贈呈されました。本日は誠にありがとうございました。
本公演の締めとして観客ともども大阪ならではの手締め「大阪締め」、発声は西田校長です。
拍手で出演者をお送りし全ての記念式典が滞りなく終了しました。
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しばらくの後、改修なった食堂では「みどりホールお披露目会」が催され多くのOB、OGが集いました。寛いだ雰囲気の中、ブラスバンド部によるファンファーレでスタートです。続いての演奏、少人数ながら迫力ある演奏は日頃の熱心な練習の成果であることを思わせるものがありました。演奏後は一期生で85歳の辻さんから当時を振り返り3年間のエピソードをユーモアたっぷりにお話しされました。「5分でお願いと言われていますが、とてもそれでは短い!」と言われ長いお話しかと皆さん覚悟をしていましたが、結果的には15分を越えるお話にも関わらず、その当時のお話しに引き込まれ、聞き応えのあるお話しでした。
校舎はまだなく、天王寺高校で入試、合格後の授業も隣の摂陽中学のトタン屋根のバラック校舎での授業、針中野駅からその校舎までの通学時、建物はなく大和川の堤防が見えたものでした。2年次になりようやくこの地に完成した校舎で学べるようになった時には本当に感激したものです。
水泳の授業はわざわざ難波プールまで出かけました。3年次受験準備のための当麻寺合宿では1日10時間も勉強を続けたにも関わらず結果は大したものではなかった、やはり短時間集中では無理だったのでしょう。
修学旅行は霧ヶ峰でのキャンプでした、テントと宿泊施設「ヒュッテジャベル」とを男子、女子1日置きに交代、外でのご飯炊きには苦労した思い出があります。
迎えた卒業式もやはり大テントのもとでの挙行でした。卒業後、同窓会組織である緑友会の会長を何と50年も務める結果となりましたが、こんなに長いのは日本で私だけではなかろうか、自負しています、とのお言葉で笑いを取るなどその話ぶりにはかくしゃくとしたものがありました。最後に辻さんのご要望のもと全員で万歳三唱をし、再びブラスバンドの校歌演奏で唱和しお披露目会は無事終了です。
余興として23期、糸井利則さんのサックス、曲は「仰げば尊し」。締めくくりは20期、平井吟雪(勢津子)さんの詩吟。
12時より始まった創立70周年記念式典はこれにて滞りなくお開きを迎えました。ご来場、ご参加いただきました緑友会会員の皆様には共に創立記念を祝っていただき感謝申し上げます。
11月16日大阪府立東住吉高等学校 創立70周年記念式典が校内の体育館で執り行われました。式典は2部構成、続いて9月に食堂の改修を終え新たに「みどりホール」と名付けられた多目的ホールでのお披露目イベントがありました。
その模様を2回に分けお伝えします。
今回第1部、式典の部を式次第に添いご紹介します。
1、2年全員、3年生の一部の生徒と卒業生である緑友会会員約100名が来場され12時に開式となりました。
順に写真と共にご紹介しましょう。
・校長、教頭をはじめ御来賓、創立70周年記念事業実行委員たちが壇上に揃い、開式を待つ会場。
・開式の辞に引き続き国歌、校歌を全員で斉唱。♪風きよし 銀杏の木陰〜
① 記念事業実行委員長、緑友会の川本会長よりの挨拶。
改修なった「みどりホール」の「柿おとし」イベントで開催された漫才コンテスト「ヒガスミM1グランプリ」を見て感動した3つのポイント、そこから見えてきた開校以来の伝統とは…かのレオナルド・ダ・ヴィンチを引き合いにしながら、本校が今も昔も様々な経験の場が用意されていること、また学校が楽しく、好きで、一生懸命な若者が集う限り本校は不滅であること、最後に30年後、創立100周年のお祝いの場で、そのとき働き盛りになっている皆さんと、何と95歳の私とが再会しましょう!と締めくくりました。
詳しくは「会長だより」でご覧いただけます。ここからどうぞ
② 続いて西田校長より式辞がありました。お祝いの言葉に続き、昭和30年開校以来の教育の精神が今も受け継がれており今日それは文武両道を目指す理念「二兎を獲る」に表されていること、また現代社会のキーワードである将来にわたる持続的な幸せ、心の豊かさ表す「ウェルビーイング」という考えがあるが、本校が掲げる3つのスクールポリシーの根底にはその考えが流れていること、それらを踏まえ更なる発展へ向け歩み続けるといったお言葉がありました。
③ 来賓として本校と姉妹校提携を結んでいる台湾育成高等中学校の御代表から、勉学やスポーツを通して続けてきた親密な交流が今後ますます盛んになることを願っていることを通訳の方を通し伝えられました。
④ 祝電の披露に続き、創立70周年記念事業実行委員会を代表し「みどり会」の御代表より校長へ記念品贈呈、その目録が手渡されました。記念品は食堂の空調、照明工事、内装整備工事一式です。
⑤ 最後の登壇は生徒会会長、松浦広人さんからの挨拶。このような盛大な記念式典が開かれたことへの喜びと御礼、本校の特長の一つに豊かなボランティア精神があること、その精神を大切にすると共に先輩たちが築いてきた70年の歴史と伝統を理解し直し、未来へ向け新たな時代を切り拓いていくという力強い言葉が印象的でした。
最後に閉式の辞があり、約1時間の式典は終了しました。
引き続き「卒業生による公演の部」をレポートしますのでご覧ください。
ここから公演のページへ
(2024年11月16日=記念式典を終えて)
緑友会長 川本正人(普通科21期)
16日に行われた母校創立70周年の記念式典・公演・ホールお披露目会。在校生はもちろん、関東からのお運びを含め卒業生ら約100人も一緒に祝ってくださいました。本当にありがとうございました。
以下は、70周年記念事業実行委員長として私が式典で述べたごあいさつです。母校や卒業生への誇り、在校生へのエールを10分間でどこまでお伝えできたか疑問ですが、再録してことほぎとお礼の言葉とさせていただきます。
◇ ◇ ◇
お集まりいただき、ありがとうございます。普通科21期生で同窓会長の川本です。今の校歌、1番だけは50年前からくちずさんでいます。
さて、70周年を記念し、同窓会、後援会、PTAで食堂を「みどりホール」に改修しました。単に「きれいな食堂」にしたのではありません。様々な体験ができる空間として整備しました。
今日はその「体験」についてお話しします。
ホールのこけら落としは9月の文化祭。生徒の皆さんがいろいろな催しを繰り広げてくれました。最初に行われたのは漫才コンテスト「ヒガスミM1グランプリ」。約200人でいっぱいの会場が爆笑で揺れました(下の写真)。
その中にいた私は、登場した3組の生徒について、3つのことで感動しました。
1つは、芸のレベルの高さ。泣かせるより難しい笑いをあれだけ取れるのはスゴい。
2つ目は、彼らの進化の鮮やかさ。私はたまたま前日にリハーサルも観ていました。その時は1組の完成度が図抜けていて、あとの2組は少々荒削りな印象。ところが一夜明けると3組とも格段にレベルアップし、しかも横一線。結局、荒削りだった1組の優勝でした。
彼らに聴くと、リハのあと演技の時間を1分余り延ばし、ネタを2つ新しく入れて、夜中12時まで公園で練習したといいます。この修正力、集中力はアッパレです。
3つ目。それは登場した3組全員が3年生だったことです。受験生がこの時期にこん身の漫才をやっている。審査員から「オチは決まった。大学は大丈夫」と激励が飛ぶ。こうした光景に私は、「これが東住吉高校や」とうれしくなりました。
いつも何かにのめり込んでいる。それが開校以来の伝統だからです。
私たちの頃は、体育祭も秋でした。また、やたらと体を使う学校で、山の高原で何日もキャンプをするのが修学旅行代わり。長居公園5周15㌔のマラソン大会も長く伝統行事でした。「二兎を追え」は15年前からの第2校訓ですが、当時の言い方では「勉強だけなら誰でもできる」。おかげで全国大会に出る運動部や、後にオリンピック選手になる人もいました。
では勉強はどうだったのか。例として国公立大学の合格者数を同窓会報から拾ってみました。ちなみに昨年度は現役15人、浪人11人の26人。
では10期生の時は……現役25人、浪人27人の計52人。30期生では計90人。70年周年の真ん中35期生では計79人。阪大にはほぼ毎年、京大にもぼつぼつ合格していました。
もちろん今と単純比較はできませんが、子どもの数がずっと多く、当時も簡単に入れるわけではありませんでした。
ではなぜ年中走り回っていながら進学でも一定の成果が出たのか。それは本校が、人間のあらゆる可能性を育む「全人教育」を行っていたからだと、私は考えています。
全ての生徒に、年間を通じて様々な体験の機会を用意する。生徒たちがそれらに自由にのめり込む。こうした環境が、M1の生徒が見せたような自主性、集中力、突破力、コミュニケーション能力、人の気持ちがわかる共感力、そしてギリギリのところで耐え抜く体力や精神力などを様々養い、様々な成果に表われたのではないか。
これからの時代、不透明さが増しそうです。AIの裏をかかなければならない場面もあるかもしれません。しかし様々な体験を通して地力・地頭を養った人間なら、どんな事態にも対応できる、そう思うのです。
500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチという人がいました。画家として知られますが、彼が極めた分野は、天文、物理、建築土木など数十に及びます。
例えば彼の代表作で、聖書に題材を取った「最後の晩餐」という大壁画。そこでは最先端数学だった遠近法が駆使されています。また題材にはキリスト教の造詣が要ります。十数人の人物の心の内をポーズや表情で描き分けるために、解剖学や心理学の要素も加わっています。
「絵」だけ勉強しても、あの作品は描けないのです。
彼は、イタリアの片田舎・ヴィンチ村で、父親のいない私生児として生まれました。ヴィンチ村の、ただのレオナルド。まともな教育も受けていません。それがどのようにして「万能の天才」になったのか。
彼は膨大なノートを残しており、一部は岩波文庫に入っています。それをひもとくと、答えは割と前の方にありました。
彼は自分のことを、「経験の弟子レオナルド」、そう呼んでいるのです。
ノートを読むと、彼はとにかく観察し、触り、実験し、デッサンし、文章に落とし込んで考え抜く、そんなことを営々と繰り返しています。
五感の全てで対象にのめり込む。その体験が彼の経験方法なのだと、私は理解しました。
ひるがえって本校。今も昔も様々な経験の場が用意されています。皆さんも私たちも、その弟子です。
コロナでマラソン大会や合唱コンクールは中断しました。しかし一方で卒業公演やチャリティーマラソンなどなど、困難を乗り越えて定着した催しもあります。
みどりホールができ、M1も新たな恒例になるかもしれません。
国際交流も格段に充実しました。本日も台湾の姉妹校からわざわざ8人がここにご登壇です。
「歓迎来到(フアン・イン・ライ・ダオ=ようこそ)東住吉!」
70周年の時の流れをどこで輪切りにしても、一生懸命な経験の弟子たちが詰まっています。その最先端にいるのが皆さんです。現在は過去の積み重ねの上にあり、未来はその先に広がっています。
生徒の皆さんは今、学校が楽しいですか? 好きですか?
ご来場の卒業生の皆さんはいかがでしたか?(歓声、拍手)
学校が楽しくて、好きで、一生懸命。そんな若者が集う限り、本校は不滅です。
30年後、皆さんは働き盛りの40代、私もまだ95歳です。
これからもたくさんの体験を重ね、100周年でまたお会いしましょう。
ありがとうございました。
緑友会報告 続いて体育科 富田 年久先生よりの報告があります
11月9日(土)雲ひとつない快晴の下、チャリティ100kmリレーマラソンが開催されました。
緑友会は例年参加者支援のためエイドステ-ションを運営していて、その日を文化祭とともにホームカミングデイと位置付け、OB・OGの参加を呼び掛けてきました。
<マラソン、スタートの様子:動画>
今年は、いなりずしと豚汁を提供しました。準備に協力いただいたみなさんには朝早くから参加いただき、いなりの小分け作業や豚汁づくりに携わっていただきました。
食材についてはチャリティマラソン参加者+関係者を考慮して560人分として発注しました(ただし、豚汁については水が多かったのか、結果700杯分(お代わり含む)の提供となりました)。
昨年の経験をふまえ、豚汁の具材となる野菜は前日に下準備をして、鍋ごと具材別に分けて袋詰めして持ち込みました。
肉といなりは当日スーパーに予約したものを緑友会事務局で手分けして搬入してもらいました。
いなりについては、2 個ずつのパック詰め直し作業に3人かかりで取り組んでいただきました。
豚汁については3つの鍋で平行して炊き始めました。
<動画はこちら>
当日は、このチャリティ100kmリレーマラソンのほか、中学生向けの学校説明会、学校の取り組みを検討する学校協議会が行われるなど盛りだくさんのスケジュールで、校長先生がスタートラインに着いたのが予定時間の1分前という忙しさでした。
川本会長の話では、チャリティ100kmリレーマラソンは当初から担当されていた先生が今年で退任されるそうで、来年からの開催や支援はどうなるのかと思っていたところ、その先生に若い先生お二人を紹介され、その方々から「私たちが受け継ぎます。引き続きご支援ください」とごあいさつをいただいたそうです。
チャリティマラソンがはじまると、それぞれ走り終えた現役生がやってきました。生徒の取次の整理は吉川先生にお願いしました。ゴマ油のとショウガの香りが効いた豚汁は、生徒には好評でした。
消費ペースが思いのほか進まず、豚汁の鍋は2廻りが精いっぱいでした。そのため、最後の2鍋は残りの具材を全部投入したため、超特盛鍋になってしましましたが、参加者配布後の「おかわりタイム」には50人以上の列ができ、ネギ1つ、汁の一滴まで残さず平らげてくれました(高校生の食欲恐るべし)。
今回はスタッフ以外に、21期生が5人来ていただき、うち1人は調理師免許をお持ちでした。
昨年のキッチンカー21期生もそうでしたが、この資格のある人がいると、保健所対策の負担がゼロになります。
来年度のご参加も川本会長からお願いして了解をいただいたようです。
皆様のご協力のもと、無事に終わらせていただき感謝いたします。
最後の最後までおかわりを待つ列が続きましたこと、そして「美味しかった❗️ごちそうさま❗️」と顔をほころばせる様子にこちらも嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
学校、生徒とともにこの様に交流が持てます機会がこれからも続き、支援の輪が広がりますことを願っています。
フェイスブックにリアルタイムで投稿して、拡散もしていたようで、支援の輪が広がるように広報活動にも力を入れてまいります。
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Facebookのコメントを引用
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富田先生からのコメントでは、生徒さんたちはランチをとても楽しみにしていたそうです。
お世辞でもチャリティーマラソンが毎年大成功しているのは緑友会のおかげと言われるとうれしいですね。
<体育科 富田 年久先生からの報告です>
今年も第19回チャリティーリレーマラソンが、大盛況で無事に終えることができました。毎年のことですが、ヒガスミ生たちのエネルギーを感じることができました。
私が、チャリティーリレーマラソンを始めたのは、1995年(阪神淡路大震災が切っ掛けです)からです。前任校である長吉高校で始め、ネパールに4校の学校を建てることができました。子どもたちのお礼の手紙がたくさん届きました。その中で「学校ができても、お金が無く学校に行けない」と言う声がたくさんあったので、学校に行くための奨学金制度を作ろうと思いました。
東住吉高校には、2007年に転勤してきました。その年の秋から、学校に行けないネパールの子どもたちを助ける、チャリティーリレーマラソンを始めました。現在JASSラルパテというNGOを通して、ネパールの6校の学校100人に奨学金を贈っています。
我々は、ネパールだけでなく、東日本大震災の時は陸前高田市にあった高田高校を支援するために、震災後3週間春休みに高田高校支援のチャリティーリレーマラソンを行いました。その時義援金は200万円集まり無事届けることができました。(この年は、2回実施)
18年間続けられたのは、ヒガスミ生たちの心の優しさだと思います。困っている子どもたちがいるなら、手を貸そうと思ってくれます。また、子どもたちは緑友さんの作ってくれる昼食も大きな楽しみの一つになっています。体育祭に並ぶ伝統行事になりつつあると思います。現役生や緑友さんが一体となって、これからも続いていくものと思っています。
10月13日(日)、サッカー部OB会が開催されました。取材:(緑友会副会長 渡真利 )
11年前、15期の還暦祝うサッカー大会を開催され、その後、毎年東住吉高校のグラウンドで24期まで、還暦サッカーとして繋がれていました。残念ながら、昨年、私の同期の25期にも声がけしましたが、参加叶わず。
今年還暦の26期のサッカー部とは、緑友会も直接の繋がりがもてず、こちらも参加が叶わず。
というわけで、今年は、天下茶屋のフットサル場でOB会として開催されました。
当日は、関東方面からも来られ、14期から24期まで、合計35名のOBが集まられました。
毎月開催のフットサルに参加されてるOBもたくさんおられるとのこと。10月とは思えない暑さの中、約2時間余り、何回も入れ替わり試合を行われました。お元気な姿に、私も、参加したくなりました。
その日の夜は、心斎橋大成閣において懇親会も開催されたようです。
毎月一回、フットサル(JR久宝寺駅前フットサルステージノア)を開催されています
見学、参加ご希望の方は、緑友会へお問い合わせください。
来年、還暦を迎える27期のサッカー部OBの方、是非、参加いただきますよう、お願い申し上げます。
そして、来年は、また、東住吉高校のグランウンドで開催されるよう、緑友会もお手伝いしたいと思います。
特に女子の参加を待ってます。(私の希望 女子が少ないので)
五百蔵 成夫 14期生
東住吉高等学校 創立70周年を祝して開催される式典と公演のご案内です。
公演には、本校出身の落語家7人にお囃子、講談師が加わり、計9人がそろいぶみ。
事前申し込みはご不要です。
是非ご来場ください。
開催日時:2024年11月16日(土曜日)11時30分より受付
場所:東住吉高等学校 体育館
第一部 記念式典 12時〜13時
・開会の辞、校歌斉唱、校長式辞、緑友会会長挨拶、ご来賓祝辞、生徒会会長挨拶 等
第二部 記念公演 13時20分〜14時55分
・芸能文化科3年生による長唄
・口上
・旭堂南龍さん 「平野の街を題材にした講談」
・スライドショー 「ヒガスミ生の今昔」
・ヒガスミ生と落語家合同2チームによるクイズ大会
ご出演の落語家は、ホームページに動画メッセージをいただいた林家染二さん、桂しん吉さん、桂團治郎さん、笑福亭呂翔さんをはじめ、桂佐ん吉さん、桂吉坊さん、桂九寿玉さんです。お囃子(三味線)の岡野鏡さんも登場されます。
受付の都合上、できるだけ第一部からご入場ください。
ご入退場は各部の合間にお願いします。
300席をご用意しています。満席になりましたら立ち見でご了承ください。
事前申し込みは不要です。
体育館1階にて受付手続きをされ、備え付けのスリッパに履き替えの上ご入場ください。<スリッパは用意しております>
みどりホールお披露目会 15時15分~
ブラスバンド部の祝賀公演も予定
(式典の都合により開催時間が多少前後します。)
緑友会館1階の食堂は、みなさまからの多大なご支援により、8月末に多目的ホール「みどりホール」へと生まれ変わりました。食堂はもとより、さまざまな催し物に活用できます。
この機会に是非お立ち寄りいただき、その姿をご覧ください。
みなさまのご来場をお待ち申し上げます。
(2024年9月24日)
緑友会長 川本正人(普通科21期)
(※不易流行=変わらないものを残しながら、変化を取り入れること)
母校の支援団体は3つ。PTA、みどり会(元PTA役員らによる後援組織)、緑友会です。いずれも開校間もなくから活動してきました。けれど、PTAはコロナ禍による活動制約がまだ尾を引いている様子。みどり会もあおりでOB・OG不足に陥り、今年度から活動を休止しました。
創立70周年記念事業実行委員会は、この3団体と学校で組織されています。といっても実際に集まるのは学校と緑友会だけ。2大事業の「食堂の多目的ホール化」は緑友会、「記念式典・記念公演」は学校という役割分担です。差し出がましくて落ち着かないのですが、全国で広がるPTA離れを考えると、緑友会が前面で対応する場面は増えそうに思います。
24日、その実行委の第6回会議が開かれました。これからは11月16日(土)の「式典・公演」に向かいます。そこで今回は、一段落した「ホール」について、これまで触れていなかった点をご報告します。
<命名>
みどり会は活動休止に当たり、蓄えのほぼ全額750万円を実行委に寄付されました。食堂改修はこのご決断なしには不可能でした。「みどりホール」は、同会の事実上最後の、そして最大のご支援だったのです。
みどり会の今後を話し合った昨年4月の同会役員会。お招きいただいた私は、創立以来の大事な方々にお約束しました。「歴史とご功績のある会のお名前をどこかに残したい。私案ですが、みなさまのご協力で完成がかなったら、『みどりホール』の命名を関係団体にお示しします」
その後、各団体ともこの命名に賛同してくださいました。同会の母校支援事業も、昨年度から緑友会が引き継いでいます。
<工費>
資金と時間に最後まで追われた工事でした。お金がなくて発注をためらっていた銘板を緑友会館の門柱に取り付けたのはこけら落としの前日、9月6日の午後。デザインを緑友会スタッフに頼んで費用を抑え、堂々とした真ちゅう製にしました。
工事一式の費用は計1877万9300円。予算の1650万円を227万9300円、14%超過しました。相次いで見つかった老朽危険個所の修理、脚部再塗装だけの予定だった丸イスの座面交換が主な理由です。
このため緑友会から実行委への寄付を、当初の500万円から730万円に増額。役員9人から異論は出ませんでした。
これにより周年事業全体の予算は、PTAから500万円、みどり会から750万円、卒業生からの寄付1万円と合わせ、1981万円になっています。
<梁の亀裂>(だより㉘「『安全第一』の覚悟」参照)
ホール中央の梁で7月の着工早々に見つかった「構造クラック」。その対応を8月29日に府教委と直接話し合いました。台風が近づく中お越しになった担当3人は「当時の図面もなく、危険性の判断は困難」「耐震対策はどれだけやっても『それで安全』とは言えない」と率直でした。
こちらからは「ご判断が難しいなら、改修工事を監理した一級建築士らの『大地震が来たら危険』という指摘を信じるしかない」「耐震対策に限りはないが、『だから何もしない』ではなく、『どこまでできるか』をご検討いただきたい」と訴えました。
50分後、先方がおっしゃいました。「対策案を示してもらえれば、こちらも検討しやすい」
発見当初の「補強したいならやっていただいてもいい」という回答からは大前進。ここまでくれば、あとのやり取りは学校にお任せです。緑友会は対策案の支援に回り、24日の実行委では梁を柱で支える補強図面をお示ししました。
<運用>
構想実現に動くに際し、昨年3月、学校側と大枠で合意しました。「緑友会やPTAの活動にも活用する。ただし禁酒・禁煙」「ランニングコストは学校が負担」といった内容です。
ホール完成後、生徒たちや緑友会員から「どうやったら使えるの?」という問い合わせが早速ありました。学校がルールを設定されることになっています。
……こう書き連ねると、なんだか緑友会だけ安泰なように見えます。けれど内情は火の車。固定収入は新卒時の入会金だけ(昨年度は132万5000円)。対する支出は、会報の印刷・発送だけでも240万円(次の課題です)。ご寄付がなければとっくに財政破綻しています。
ありがたいことに、この2か年度のご寄付は、1587の個人・団体から2207件、996万円余り。一昨年度の3倍以上のペースです。名簿電子化によるコンビニ決済とホームページの改修でご支援のすそ野も広がりました。
せやけど周年事業に730万円も投じたら……。まあ、しんどいでしょうが、どうにかなります。みなさまから息の長いご支援をいただけるよう、スタッフ一同、あらためて奮闘努力するばかりです。
一昨日、私の21期のミニ同期会があり、30人が集いました。実現に懐疑的なムードが漂っていたホール構想を、当初から応援してくれた人たちです(1年前のだより⑲でご紹介)。ようやく訪れたお礼の機会に、私はごあいさつをしました。
「この歳になると、『いいもの』を残す責任を感じます。これだけ大勢の同期が2年続けて集まるのは、50年近く前のあの時間・空間が、やっぱり『いいもの』だったからだと思うのです。この絆とそれを育んでくれた母校は誰かが守らないと、いけない」
気負いすぎかもしれません。独りよがりにも聞こえます。けれど本心です。
緑友会はこれからもホールを活用していきます。自分の来し方をふと確かめたくなったらお立ち寄りください。「あの日々」が、ひょっとしたらこれからの人生を照らす一灯になるかもしれませんから。
※「記念式典・記念公演」のご案内は、ホームページのバナーから。