会長だより ㉛ 祝祭の人模様

(2024年9月7日=「みどりホール」こけら落とし)

祝祭の人模様

緑友会長 川本正人(普通科21期)

言葉が浮かばないもどかしさをいつも以上に感じています。文化祭に合わせた7日の「みどりホール」こけら落とし。その模様と事業ご支援への感謝をどうやってお伝えするか。どうも「自分の言葉」では難しいようです。

催しは、生徒たちによる5つの公演(足かけ4時間)と、緑友会が企画したホームカミングデイ(卒業生らの交流イベント)で構成。一時は約200人が縦12㍍、横18㍍の空間を埋め、ホールはさながらライブハウス。築62年で初めて備えた空調機が威力を発揮しました。

まず開演直後の写真をご覧ください。公演者らはここで何を感じたか、どんな思いで臨んだか。このあと生徒たちの「言葉」で公演順にお伝えします。

 

漫才頂上決戦「ヒガスミM-1グランプリ」(出場3組)の司会、3年西川瑠奈さん

「ウワァーッというメッチャすごい歓声がブワッときた。『楽しく笑ってくれたら』とは思っていたけど、想像以上のライブ感でした」

(一言)漫画「DEATH NOTEに登場するアイドルの衣装。どのネタにも一番よく笑っていました。

 

優勝した「マツアンドヤマ」の3年松岡啓太さん、山地祥生さん

「気持ちよかったぁ。受けすぎて次のセリフがずれた」「前日のリハーサルよりネタを2つ増やして、昨夜は公園で12時まで練習」「修学旅行(前年、石垣島)の時に初めてやった漫才は受けなかった。リベンジ成功」「これからは受験勉強。優勝をネタに国立大を狙います」

(一言)リハでは練習の差が見られましたが、3組ともたった一日で急成長。会場をうならせるハイレベルの接戦になりました。この集中力にも拍手。

 

審査員(校長、教員、卒業生、在校生の5人)

「出場者全員が3年生。この時期に受験よりネタが命?」「ネタは落ちた。大学は受かります」「校長ネタ、全力でイジってください」「先生も面白い話ができるように頑張らんと」

(一言)審査員のコメントにも爆笑。さすがです。

 

マジックの3年小屋畑遼(こやはた・はる)さん

(先に一言)前日のリハでは「長い風船を飲み込むとき、オオッ!とどよめきがわいたら成功」と話していましたが、当日は風船ナシ。はて?

「風船、割れちゃったんです。夕べの練習で。今日は最初のハンカチ伸ばしもミス。修学旅行で初めてマジックをやったときは受けたんですけど、今日は……」

(一言)登壇前は声もかけづらいほど緊張気味でしたが、本番は黒サングラスをかけて堂々。合間にポーズを決め、余った時間にハンカチやペットボトルを使った同じネタを繰り返し、失敗をカバーするサービス精神を見せてくれました。

 

アコースティックギターの1年宮城虎侍(とらじ)さん、中川唱平さん

(汗だくのギターボーカル宮城さん)「頭がパニック。歌詞は飛ぶし声も出ない。知らん人がおるとこんなに緊張するんや。こいつ(リードギターの中川さん)は天才やのに、申し訳ない。絶対リベンジや。けど緊張するから、今度はもうちょっとこぢんまりと」、(落ち着いた中川さんが肩を組んで)「そんなことないって。よかったよ」

(一言)軽音仲間で、初舞台のこの日はビートルズから尾崎豊まで6曲。始まる前は「失敗もライブ。楽しければ成功」と豪快だった宮城さん。リズムを刻んでいた上履きのサンダル、卒業生には懐かしかったです。

 

口を使って音楽を創り出すビートボクサー、3年林奏芽(かなめ)さん

「文化祭は、部とかクラスとかでないと参加できないでしょ。個人や有志では難しい。だからこんな舞台を作ってくださって、本当にありがとうございます。来てくれた人に跳んで叫んでもらいたかったけど、今日はそこまで行かなかったなあ」

(一言)聴衆は演奏がスゴすぎて動けなかったのだと思います。なんせ「ドゥオーン」という重低音に打楽器が重なって、さらに管楽器まで加わるのです。ホンマに一人の口? ホンマにボクサー3年目? 私には衝撃でした。

(もう一言)彼は出演全組の「音」を担当してくれました。普通科25期の高山愛二さんからミキサーやイコライザーを寄贈されたのですが、扱える人がいません。そこで3日前、仕事中の高山さんに来てもらい、説明を受けたのが彼。その日のリハの際、音圧に耐えるダイナミックマイクを持参していたので、音作りに詳しいのだろうと思ったのですが、実は機器を触ったことがなかったとか。動じず、柔軟で、責任感の強い人柄を感じました。

 

来場親子の年齢を考えて平成を意識したアニメソングを2曲、アンコールで「め組のひと」を演奏した吹奏楽部の部長、2年内山瑠華さん

「体育館でも演奏したんですが、こっちの方がいいなと思います。部員8人で体育館は広すぎるし、みんなに見られる正式行事の感じだし。ここはご飯食べている人までいて楽な気分。楽しく演奏できました。体育館ではなかった『アンコール』の声も上がって、うれしかったです」

(一言)来場者によると、たしかに体育館よりホールでの演奏の方が良かったそう。吹奏楽部は毎年、OB・OG(=緑友会員)と定期演奏会を開いており、みどりホールを使うことも検討中です。

 

公演に浸りながら、考えたことがあります。「わからないから興味がない」に流れがちな自分への反省もその一つ。「わからないけど、なんかすごい」、そう受け止める感性が、考えを深め、知性を高めることは確かです。両者の違いは、その時間や空間を体感したかどうかで生じることを、「なんかすごい」後輩たちに教わりました。

私たちの母校の強みは、こうした「体感」の機会を伝統にしていることです。

みどりホールは「きれいな食堂」ではありません。「多目的なにぎわい空間」として改修しました。型破りな行事がやりにくい時代にあって、伝統を守る新たな砦ができた、そう確信した催し第一弾でした。

※ ご支援者へのお礼とご報告は、改めて掲載させていただきます。

会長だより ㉚ 自主独立

(2024年8月24日=みどりホール完成)

自主独立

緑友会長 川本正人(普通科21期)

皆さんはどう感じられたでしょう。入学して「自主独立」の校訓を知ったときです。私は「立派な〝お題目〟やなあ」と思いました。これが指針だと言われても、何をどうすればいいのかピンとこなかったからです。

けれど今はわかります。自主独立とは、他を頼らず自分の力で事を成すこと。私たちの母校は、様々な体験を通し、それができる人間をつくる場所だったのです。

今日、食堂を一新した「みどりホール」が完成しました。行政に頼らずに生まれた、母校の新たな体験の場です。この1年5か月の間、緑友会にコツコツと浄財を寄せて下さった卒業生や元教員らは、1542人と8団体。このホールは、そのおひとりお一人の「自主独立」の結実です。


写真左:「みどりホール」に掲げる校訓の書 右:高山愛二さん(25期)が音響機器を寄贈 (いずれも24日搬入)

現役当時の母校は、本当に体を動かすことばかりでした。半径2㌔以内の徒歩通学、長居公園周回15㌔マラソン、修学旅行代わりの霧ヶ峰キャンプ……。「勉強だけならアホでもできる」と発破をかける先生も真剣で、「そりゃ絶対違うやろ」と突っ込むスキもありません。

一方、部活や勉強はほとんど生徒任せ。私の場合、死ぬほど練習して臨んだ3年生夏の公式戦を最後にハンドボール部を引退。ようやく受験を意識し、暑い日中に寝だめして徹夜で机に向かう昼夜逆転・成績大逆転の奇策を敢行、当然ながら失敗し、夏休みが終わると頭は真っ白、顔は真っ青。やっぱりアホに勉強はできません。

さらに当時は、9月からが文化祭と体育祭の季節。怒とうの数週間が終わるとしばらくフヌケ、気がつくと歳末。それでも例えばハンドボール部のメンバーは、大阪府立大などの国公立をはじめ志望校に次々合格。みんな、ホンマのアホとちゃうかったんや。

振り返ってみると、「成績よりも人間をつくれ」という母校の意思を感じます。社会に出ると、学生レベルの知識では太刀打ちできない場面の連続。正解のない課題もたくさんあります。そんなとき試されるのは、にわか専門家になる集中力、選択肢を一つずつつぶしていく粘り強さ、ここぞというときの瞬発力や突破力です。これらは、やたらと体を動かし、行事や部活にのめり込み、多様な仲間にもまれて育つものだと私は思います。

福沢諭吉の「学問のすすめ」といえば「天は人の上に人を造らず」ですが、もう一つ、彼のメインテーマである言葉が記されています。「一身独立して一国独立す」です。ひとり一人が自分の力で立てるようになれば、周囲を立ち上がらせることもでき、国も強く豊かになれる。独立の気概のない人間は、周囲を思う気持ちも浅く、人に頼り、へつらうようになる。そう説いています。

今、「みどりホール」にご支援を寄せて下さった方々を、存じ上げている限り思い起こしています。決して斜に構えず、こびることをよしとせず、ちょっととがっていて、損だとわかっていても簡単には折れず、したがって世渡りはうまくなく、それでも黙々と働いて、ときに誰かのために血潮を熱くする……、そんな像が結ばれます。

ご支援を形にしていった緑友会のスタッフも同様です。一級建築士、企画制作マン、フィナンシャルプランナー、元&現教員、地域ボランティア、会社員、公務員、元銀行員、パート従業員、主婦……。社会や家庭で責任を果たしつつ、同窓というだけのご縁で時間と労力を割く人たち。

皆さん、「自主独立」の気概にあふれています。

諭吉の言葉にある「国」を「母校」に置き換えるとどうでしょう。「一身独立して母校独立す」。見知らぬ先輩たちの支援で後輩たちの地力が養われ、これからも強く豊かに人財を輩出していく母校の姿、思い浮かびませんか?

ホールの仕上げに「自主独立」の書を掲げることにしました。緑友会事務局の片隅で、あることさえ忘れられていた作品です。力強い筆致、うねる文字。それはしっかりと生き、汗と涙で自主独立を勝ち取った大勢の卒業生の姿そのものに見えました。

会長だより ㉙ やりくり賛歌

(2024年8月2日)

やりくり賛歌

緑友会長 川本正人(普通科21期)

 

母校食堂のホール化工事は8月25日までの46日間。本日が折り返し点です。「着工したのだから、もう安心でしょう」、よくそう声をかけられますが、実際は今も計画を修正中。理由は老朽建物のほころびと資金不足。問題が起きると優先順位を組み替え、他の部分から予算を回しているのです。構想が浮上した1年半前からその繰り返し。けれど不思議なことに、その都度ヒーローが現れて前に進んでいます。

創立70周年記念事業実行委への寄付額は、後援会「みどり会」750万円、PTA 500万円、緑友会500万円(追加を予定)の1750万円。このうち記念公演費などを除いた1650万円が現在の改修予算です。皆様からのご支援金で、どこまでできて、何ができないでいるか。今回はその辺りを整理します。
経費削減2

改修費の変遷をざっくり見ると、

①最初の見積もり6000万円(いきなりトドメかい!)

②施工範囲を絞った半年前のコンペ(設計競技)では2000万円(心が折れそう!)

③金額勝負とした今春の入札で1617万円(やっと契約できた!)

④事前調査で判明した危険個所の改修など追加工事の見積もり430万円(何でそうなるの?)

⑤着工後に梁の損傷が見つかり、補強した場合を見積もり中(……絶句)

これらの陰で様々な計画修正があるわけです。①は通路など外周りの美化やイス、テーブルの新調込みでしたが、②のコンペではカット。緑友会役員らの呼び掛けに応じた業者2グループが食堂内部の改修を中心に魅力ある提案をしてくれました。しかし目安に示した1400万円を大幅に超過。おまけに既存の電源では空調動力を賄えないと指摘され、電力引き込みに200万円近くかかることになって、コンペは予算不足で不成立。

けれど立ち止まる猶予はありません。関電による引き込み工事には申請から2か月半。前年から深刻化している電線ケーブル不足にもハラハラ。夏休み中の施工には「業者即決」が絶対条件でした。

急きょの入札。ここで救世主となったのは、ボランテイアで全体監理を申し出てくれた一級建築士の木本圭二さん(普通科24期)。最適な設計や資材、手順、各部工事の最低必要金額などを、あっという間に一覧表にし、おかげで計4業者による入札が実現。厨房空調や、通路・藤棚・手洗い場の化粧直しまでもが予算内で施工できることになりました。

ところが難は続きます。直面しているのは④の追加工事費430万円。皆様のご支援が継続されると信じても、賄えるのは半分です。

基本工事や危険個所改修は外せません。大きく削れるのは「多目的ホール化」に向けた機能面。4か所の壁付け型プロジェクターは全て断念しました。2017年に緑友会などが全教室に寄贈し、現在取り外されている機器を再利用する予定でしたが、壁の補強や遮光カーテンに100万円以上。いつの日か据え置き型で実現できるよう、今夏は電源整備や一部天井の補強までとします。

舞台の台数も削りました。壁際に設けるカウンターの下に、1畳程度、高さ15㌢の可動舞台を10台収納できるのですが、これを6台にとどめ、35万円分を減らします。

一方、ホンマかいなの朗報もありました。機能面を補おうと音響機器の見積もりを手配中、またも助っ人が現れたのです。緑友会事務局にひょっこり来られた高山愛二さん(普通科25期)。何のお話かと思ったら、

「家に100㍗のスピーカーがあるねん。高さ90㌢くらいのデカいやつ。キャスター付きで一対。どこかで使ってもらえんやろか」‼

あなた、私の心が読めるん?

「せやせや、ミキサーもあったな。あれもどやろ」‼

やっぱり読めるんや‼

さて、前回取り上げた「梁」問題。ホームページにアップして5日後の先月24日、府教委の一人が再度現地に来られました。複数の緑友会スタッフが働きかけてくれたのです。私から「安全性について府教委の見解を文書でいただきたい。工事を監理する一級建築士と府教委との認識に差がありすぎ、安全か危険か、対策が必要か不要か判断できない」と申し上げたところ、その場で承諾。その後、「上席にも伝え対応を検討中」とのメールも届きました。

あすはパリ五輪も折り返し日です。開会式を締めくくったセリーヌ・ディオンの鬼気迫る「愛の賛歌」の録画を再生し、闘病する彼女や、仲間との絆で活躍する日本選手団のキーワード「諦めない」を心に染みこませて、後半に臨みます。

会長だより ㉘ 「安全第一」の覚悟

(2024年7月19日)

「安全第一」の覚悟

緑友会長 川本正人(普通科21期)

わかっちゃいるけど悩ましい。そんな言葉に「安全第一」があります。もとは「品質第二」「生産第三」との3点セット。「迷ったら安全最優先」を徹底させる標語です。

けれど実際は、「安全といっても、予算がなあ」と悩む場面がしばしば。創立70周年記念の母校食堂改修事業もそう。建物完成から61年余り。老朽化による危険個所が次々と見つかり、そのつど追加費用が必要になっているのです。

これまでは工事方法の見直し、ホール化設備の先送りにより、皆様からの浄財の範囲内で「安全第一」を貫く見通しを立ててきました。最大200万円の追加支出についても、緑友会役員9人から反対意見はなく、むしろ「当然」と積極的。

原則からブレない役員やスタッフを、改めて誇りに思った次第です。

さて、食堂改修着工から3日目の12日、また危険個所の知らせがありました。「天井を撤去したら、メインの梁(はり)の下部が削られていた。亀裂も入っている。大地震に耐えられない可能性が高い」

建物を支える骨組みが人の手で損傷⁉ もはや内装改修のレベルを超えており、学校から府教委に相談。返ってきたのは「補強したいならやっていただいてもいい」と、こちらに対応を委ねる答えでした。

今回の食堂改修事業について「なんで公費でやらないの?」というご質問が時折寄せられます。全く同感です。けれどそれでは何も進まないのが現状。ではどうするか。今回はそれを考えるご報告です。

食堂中央の梁(上)。下部がかき取られ、鉄筋が浮き出ている。(2024年7月)


問題のコンクリート梁は、食堂中央に渡されている南北12㍍の重要構造物。下部が全面的にかき取られ、鉄筋がろっ骨のように浮き出ています。建設当時に天井の高さを確保しようと数㌢削ったらしく、今なら建て直しを命じられてもおかしくないケース。さらに、東西の梁と交差する1か所に割れ幅1㍉以上の亀裂もありました。強度を低下させ、安全性を損なう「構造クラック」です。

知らせてくれたのは、工事をボランティアで監理している一級建築士の木本圭二さん(普通科24期)。すぐには問題ありませんが、大地震に見舞われたら梁が亀裂から曲がり、2階の床が垂れ落ちそうとのことでした。

すぐ学校に報告。17日には現場で対応を協議し、翌夕(昨日)には建物を管理する府教委の担当3人が来校。そこで示されたのが「鉄筋にさび止め」「クラックにモルタル注入」という補修方法。まるで骨折に赤チンみたい。しかも費用はこちら持ちという「提案」でした。

危険個所の指摘は、これまでもコンペや入札で訪れた業者の皆さんからありました。主なものは3つ。①熱源と異なる位置にある落ちかけの厨房排気フード(空調導入で閉め切ると一酸化炭素中毒の恐れ、地震で落下の恐れ) ②年代物の分電盤(感電・漏電の恐れ) ③階段下のコンクリート床の地下空洞化(陥没の恐れ)です。ゼロ災運動で「安全第一」と並んでよく言われる「ヒヤリ・ハット」(事故手前)の状態。見つかったのを幸い、①②は食堂との同時改修を決定、③は学校に公費で直してもらいました。

梁はどうするか。木本さんの試案は「亀裂の下に柱を立てて支える」。柱を外部で製作すれば取り付けは数日、費用も100万円くらい。この程度なら府教委の意志次第、と期待していました。

けれど府教委は「そこまでしなくても」と消極的。察するに、他にもグレーゾーンの建物がたくさんある中、ここだけにおカネは出せない、という立場なのかもしれません。

危険度について、木本さんの見解は真逆です。

「府教委提案のさび止め、モルタル注入は外壁向きの補修。梁の補強にはならない」

「最近の建物ならともかく、食堂は耐震対応の弱い60年以上前の建物。鉄筋の材質、太さ、本数が十分でなく、老朽化も進んでいる。見た目より弱い」

「鉄筋はコンクリートと一体で威力を増す。むき出しでは強度が落ちる」

「大地震の際、生徒が揺れの間に逃げ出せるとは限らない。2階床の落下が落盤のように急激でなくても、死傷者が出る可能性はある」……。

私たちはここまで、「安全第一」の覚悟で来ました。子どもたちの笑顔、青春の時間、まして命は「プライスレス」だからです。

これを原点に、大人の責任を果たす道を探ります。

会長だより ㉗ さらば昭和の大天井

(2024年7月10日=学校食堂改修の着工日に)

さらば昭和の大天井

緑友会長 川本正人(普通科21期)

建物には年代を感じさせる部分があります。母校の食堂では「天井」。シミや反りのあるプツプツ穴の吸音ボード、360度首を回し続ける扇風機、ジージー・チカチカの蛍光灯……。窓がサッシになり、壁に耐震補強が施されても、見上げれば一面の昭和レトロです。

10日、その天井の撤去が始まりました。食堂を多目的ホールに改修する創立70周年記念事業の着工です。構想浮上から1年8か月。「よくぞここまで」と皆様のご支援に感謝しながら、この間何度も仰ぎ見てきた天井に「お疲れ様」と告げました。

思い返せばこの天井。事業の可否を決する懸念材料とキーパーソンを、同時にもたらしました。経過報告を兼ねてご紹介します。

取り外される食堂扇風機。4台とも別の所で再利用予定。床の板は張り替えられるテーブルの天板。

ホール化の発端は、一昨年11月に開かれた学校と緑友会との周年行事検討会。学校側から「食堂に空調設備がほしい。多目的に使えるようにもできないか」という案が出ました。未だに空調がなく、220平方㍍もあるのにほとんど活用されていない施設。着眼点はすごくいい。けれど「どうやって進めるの?」「いくらかかる?」と疑問符だらけです。

そこで緑友会役員のツテで3つの業者グループを現地に招き、個別にヒアリング。2000万円あれば基本部分は改修可とわかり、昨年6月の緑友会報で支援を訴えるとともに、後援会「みどり会」とPTAにも協力を求めて3団体共同出資体制を構築。本格的な改修案を求めて設計競技(コンペ)も催すことにしました。

こうして「資金」「設計」の二大課題の進め方は見えました。ところがこのヒアリングで、とんでもない懸念も示されました。撤去する天井の「アスベスト」です。耐熱・耐久性に優れ、高度成長期以降、国内で大量使用されましたが、解体時などに吸い込んで生じる健康被害が問題となり、2006年に製造・使用が全面禁止。含有建材の撤去や処分には細心の注意が必要で、かなりの費用と時間を要します。

学校食堂の建設は1962年。業者グループらは「古い建物ですからね。調べれば、アスベストがまず出ます」と妙にきっぱり。この「調べれば」がくせ者です。「調べないのも、アリ?」、私の中のヨコシマ君がささやきます。「もし出たら、おカネ要るで。食堂閉店の夏休み中に終わらんで。そもそも府教委が工事を許さへん」。けれどホールは子どもたちの集う場所。しかもことほぐべき記念事業。数日考えても代案は浮かばず、ヨコシマ君を叱り飛ばして調査を決めました。

とはいえ正式な検査結果をどうやって得るのか、いくらかかるのか、これまた疑問符だらけです。そんな昨秋、「ボクがやります」と名乗り出た人がいました。一級建築士でデザイン設計室を営む普通科24期生の木本圭二さん。「工事全体を監理できる人もいた方がいいですよ。ボク、ボランティアでやります」とどこまでも明るく積極的。費用、品質、施工内容、どれも何が妥当かわからない私たちにとって、本当にカッコいい白馬の騎士でした。

木本さんは、ヒアリングに応じてくださった業者グループの一人です。この日も工事やコンペの進め方についてご意見をうかがおうと学校にお越し願っていました。そんな私たちがよほど右往左往して見えたのでしょう。「緑友会の皆さんは無償で一生懸命。自分は60歳を超えた今まで母校のことは何もやっていない。コンペに出るより、今は自分に出来ることで母校にお返しする時」と思われたそうです。それからはコンペ、入札、追加計画で大奮闘。「天がこの人を遣わして事業を導いている」、私にはそう思えてなりません。

さてアスベスト。昨年11月、木本さんと二人で天井材の一部を削り、検査機関に送りました。1週間後にメール添付で届いた報告書。A4判3枚の中ほどにあった結果は「不検出」でした。

あれだけ出そうな話やったのに、なんで? 木本さんが思ってもみない理由を答えてくれました。「古すぎたんでしょうね。古すぎて、まだアスベストが使われてなかったんです」

もはや歴史的建造物⁉ さすが緑友会館! さすが還暦超えの大天井!

涙がにじんだのは大笑いしたせい。隠れてそっとぬぐいました。

会長だより ㉖ 創立70周年ごあいさつ――人気の理由

(2024年6月1日=創立70周年の会報発行に寄せて)

人気の理由
――ぶっ飛び経験で、開け新未来――

緑友会長 川本正人(普通科21期)

今年度の公立高校一般入試(全日制)で、府内145校の半分近い70校が定員割れになったそうです。授業料無償化が段階的に始まり、公立離れが一気に進みました。府内東南部の旧第7学区は特に厳しく、定員を上回ったのは募集のあった14校のうち3校だけ。

そのひとつが私たちの東住吉高校です。

授業料に差がなければ、施設や難関大進学率の差で私立が有利といわれます。にもかかわらず母校の人気が不変だったのはなぜでしょう。私はそれを、「ぶっ飛んだ経験」ができる伝統と、それを共通体験としている卒業生や保護者、先生方の存在だと考えています。

体育祭や卒業公演などで、クラスや学年の枠を越えて協力したりぶつかったりする。何事かを成し遂げた結果、思ってもみなかった感動が生まれ、新しい景色が見える。東住吉高校にはそういう経験の場が、生徒全員に、いくつも用意されています。

発想がモノを言う時代です。スマホの発明のような斬新な未来を描く意志、AIの裏をかくような独創性が要ります。その礎を築くのは、夢中でのめり込むナマの経験。大学の予備校と化し、既存の知識だけで「わかったつもり」になったり、すでにある解答を速く出すことだけを競ったりする環境からは、規格外の“人財”は育ちにくいのではないでしょうか。

東住吉高校で得られるナマの経験は、卒業生たちの多くも共有しています。「あの行事で何をしたか」を披露しあうだけで、卒期を越えて話が進むのです。

また保護者の支援は、東住吉高校のルーツでもあります。先の敗戦から10年。厳しい時代の中で、「東住吉区(当時)に高校を」と地元の保護者たちが土地や資金を用意して誘致したのがわが母校です。緑友会館や図書館棟も保護者によって寄贈されました。

志は今も引き継がれています。コロナ禍で威力を発揮した電子黒板などのICT(情報通信技術)機器は、その数年前の2017年に卒業生と保護者らが協力して全教室に寄贈したものです。さらに今年度は、学校食堂を多目的ホールに改装する70周年記念事業を、卒業生、保護者、そして保護者のOB・OGが一体となって進めています。

先生方が伝統を大切にされていることは、先日の体育祭で「教員団」がマスコットやスタンドを立ち上げたことが物語っています。ノウハウを伝承し、教員の世代交代に備えたからです(会長だより㉕参照)。

かつて20年余りにわたって他校をうならせた霧ケ峰キャンプは修学旅行に変わり、長居公園を何周も回るマラソン大会もコロナ中断を機になくなりました。その一方、様々な国際交流やチャリティー100㎞リレーマラソンなど新たな伝統も育っています。コロナ禍が落ち着いた今、新装される多目的ホールは、子どもたちのリアルな出会い、語らい、表現の場となることでしょう。

私たちの母校は、昭和から平成、そして令和へと、激動の時代に2万8000人以上を送り出してきました。豊かな経験を胸と体に刻み込んだ人財ばかりです。経験が幸福度を高めることは、学術的な研究結果を見るまでもなく、多くの卒業生の実感でもあります。

これからも子どもたちがいろいろな経験を重ね、「ホンマ、楽しかった」と巣立っていく母校であるよう、100周年を難なく迎える不滅の母校であるよう、卒業生の皆様、お力添えをどうぞよろしくお願いいたします。

会長だより ㉕ つなげ伝統! 先生たちの「第4団」

(2024年5月18日=体育祭を終えて)

つなげ伝統! 先生たちの「第4団」

緑友会長 川本正人(普通科21期)

先生方に「大アッパレ!」です。18日に行われた母校体育祭。少子化の影響で今年度も団は3つ、伝統のスタンドとマスコットも3組……と思って訪れたら、なんと4組目がド~ンと構えていました。陽光に輝くマスコットは2匹のウサギ。15年前から第2の校訓になっている「二兎を追え」にちなんだもので、モデルは知る人ぞ知る「ヒガ君」と「スミちゃん」(ご説明は末尾に)。伝統の継承をと先生方約50人がマスコットとスタンドに分かれ、大型連休明けから計9日間をかけて立ち上げました。

実は昨年度から「先生方の中で『スタンドとマスコットをやめてはどうか』という意見が出ている」と伝え聞いていました。安全性の確保、先生方の働き方改革、タイトなスケジュール、そして何より、実務に通じたベテランの退職……といった事情からです。伝統のスタイルを代々の共通体験としてきた卒業生たちにとってはあまりに残念なので、緑友会から学校側に「必要なら卒業生たちに手伝いを呼び掛ける」と申し出てもいました。

けれど最後は、先生方が自分たちで「伝統を守る」方向に踏み出しました。「伝えるにも、安全を確かめるにも、まずは自分たちが経験しないと」という安達乃里子首席(生徒会部長)の呼び掛けで取り組んだのが「教員団」によるスタンドとマスコットです。

職員会議で決まった時は「ホンマかいな」と戸惑う向きもありましたが、そこは「やるときはやる」という学びのプロ。1コマ1時間半の作業時間を、平日は午後2回、土曜日は午前中を含め3回設定。要員を割り振ってはいたものの、熱中して連日3時間ぶっ通しで当たる人が何人もいたそうです。

マスコットは縦5㍍、横4㍍、顔は2つとも半径1㍍の半球形。数学教諭が大型連休中に設計しました。竹ヒゴを組んで曲線と厚みを出す本格的な作りです。皆さん、制作中は立ったりかがんだり木材のすき間をくぐったりで足腰や背中が痛くなったとか。けれど終わってみれば「立体感では生徒たちに負けていない」「大人が本気になったらこんなもんや」と、さわやかな〝ドヤ顔〟でした。

スタンド組はスピード感で勝っていたものの、支柱の高さがそろわずに座面の板が浮いたり、やぐらの丸太が飛び出ていてマスコットを立て掛けられなかったりと、仕上げの細部で苦戦。一方生徒たちは、コロナ中断から復活時の1年生が3年生になり、3度の経験が生きて安定の出来。それでも先生方は「失敗を経験したことで、来年はしっかり指導できる」と、プラス思考で自信を深めておられました。

この日は約10人の先生に感想をうかがいました。そろって笑顔でした。けれど授業の準備が帰宅後になるなど、見えない負担は大きかったはず。このことも私たちは知っておきたいと思います。

最後に、長年中心となって体育祭を支え、本部席の前で生徒たちを見守るのも今年がラストとなった富田年久教諭(65)(体育)のお話です。

「17年前に赴任して体育祭を見た時、すごい、こんな行事はほかにない、残すのが自分の務めだ、と強く感じました。願い通りに関われて本当に楽しかった。けれど伝統は一部の人たちでつないでいくものではない。今年は先生方が伝統を守ろうと一丸となりました。すばらしいことです。生徒たちも、コロナ禍から立ち直り始めた時の1年生が3年生になり、伝統をみんなで完全に継承しました。今、先生と生徒が同じ思いになっています。もう心配はありません」

富田教諭は来年度、念願の日本一周自転車の旅を計画しています。道中で行うのは、生徒たちと東住吉高校で取り組んできたネパール支援だそうです。

◇ ◇ ◇

【ヒガ君、スミちゃん】

2017年(平成29年)にPTAが制作したマスコットキャラクター。広報委員会が手描きし、広報誌やノボリ、タオルなどに活用しました。今回の体育祭デビューは、あのころ電子黒板などICT(情報通信技術)機器の寄付でPTAとご縁のあった安達首席が覚えていてくださったおかげです。当時PTA会長だった私としては、こんなところでもご縁が生きていて、とてもうれしく思いました。

2017年(平成29年)10月のPTA広報誌でデビューしたヒガ君とスミちゃん

会長だより ㉔ 未来への、あと一押し

(2024年5月9日)

未来への、あと一押し

緑友会長 川本正人(普通科21期)

母校では今、18日(土)に開かれる体育祭の準備が本格化しています。大型連休明けには、コロナ禍で中止が続いていた結団式が久々に行われました。昨年度は必要だった一般入場券も今年度は不要。かつて6つを数えた団は、少子化で昨年度に続き3団ですが、これはやむを得ません。まずは伝統行事の完全復活を喜びたいと思います。

新1年生にとっては初めての全校行事。普通科生は「70期」です。彼らが参加する体育祭は、母校創立70周年の祝祭でもあります。

緑友会が手掛ける創立70周年記念事業も正念場を迎えています。学校食堂の改修です。築61年、いまだに空調設備さえなく、老朽化する一方の施設を、多目的に活用できるにぎわい空間に一新する計画。この1年間、「(仮称)緑友ホールプロジェクト」と銘打ち、卒業生をはじめ各方面にご支援をお願いしてきました。思えば昨年度の体育祭でパネルを掲げ、チラシを配布したのが広報活動の始まりでした(会長だより⑫「支援の礎」)。

結果を申します。寄付金の目標額2000万円のうち、1600万円までメドが立ちました。会員の皆様からの浄財に加え、後援会「みどり会」とPTAから合わせて約1100万円のご協力を得られる見通しとなったからです。おかげさまでもう少しで目標額に届きます。あと一押しです。

体育祭の団が半分になるほどの少子化に加え、今年度から段階的に始まった私学の授業料無償化の影響で、公立高校の生徒数維持は急激に困難になっています。母校の末永い発展には、魅力ある教育環境づくりが欠かせません。

明るく楽しく積極的な高校生活が、人生をどれだけ彩り、生きる力を与えてくれるかを、私たちは知っています。「体育祭が近い」と聞いただけで母校に思いをはせる人が多いのも、あの時間と空間のかけがえのなさの証です。こういう全人的な学びのある高校こそ地球の未来のために残したい。そう思うのは私だけでしょうか。

皆様のお手元にお送りする6月1日発行の緑友会報に、昨年度同様、振込用紙を同封します。厚かましくて本当に申し訳ありませんが、事業の実現に向け、あと一押しのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

※この間の経緯は、近日中にこのホームページの「創立70周年記念事業」のコーナーでお伝えします。

改修後の学校食堂予想図

会長だより ㉓ 繁昌亭をわかせた同窓生トーク

(2024年3月10日)

繁昌亭をわかせた同窓生トーク

緑友会長 川本正人(21期)

話芸の聖地でこんな舞台が見られるとは思ってもみませんでした。上方落語を年中楽しめる天満天神繁昌亭で昨夜開かれた「上方林家 染二爛漫lot.32」。冒頭、染二さん(23期)ら母校出身の落語家4人が「高校同窓生トーク」を繰り広げたのです。校舎や食堂メニューの移り変わりなど一般の方々にはほとんど関係のない思い出交じりにもかかわらず、さすがは人気の実力者たち。10分間、会場に笑いと感嘆の声をあふれさせました。

私のいた1階153席はほぼ埋まる盛況。舞台には座布団が4枚。そこに染二さんが一人座って開幕です。「笑点のように並ぶ座布団。実は私どもが卒業しました大阪府立東住吉高校が今年70周年を迎え、本日出演者の皆さんは、それを考えたわけでもないのに全員同窓生なのでございます」と、いきなり出ました母校の名前。しかも「70周年」の冠付き。

染二さんの招きで登場したのは、若手の桂しん吉さん、桂團治郎さん、笑福亭呂翔さん。まずは卒業期数の自己紹介です。「私は23期生。しん吉さんは?」「普通科換算で40期、途中でできた芸能文化科2期です」と東住吉らしい数え方。続いて團治郎さんが「普通科換算で50期、芸能文化科12期」「ほお、23期はその半分やないか。で、呂翔さんは?」「私は普通科換算で60期」「ええっ!23期がものすごく干からびた感じになるなあ」「そうですね」「そうですねえ? 言うたな! ワシにも考えがあるで!」。卒期ネタでもわかせられるんですね。

話題は若手の師匠選びにも。「芸能文化科で落語を教えていたのはうちの師匠の4代目林家染丸。なのに林家には誰も入門しない」と苦笑する染二さんに、若手が「それは『生徒からは取らん』という話があったから。そのうちスゴい師匠に出会って……」と事情を説明。これに染二さんが畳みかけます。「うちの師匠よりスゴかったんやな」「米朝ブランドに揺らいだんやろ」。文字に起こすとキツそうですが、ナマでは師匠方への敬意が感じられました。

終盤は母校に在籍した有名人。女優の中条あやみさんやマナカナこと三倉茉奈さん、佳奈さんを挙げ、「会うたら『先輩やでえ』って言えるんです」と、こちらまでうれしくさせたうえで、「一番有名な人って誰?」と水を向ける染二さん。「そら今やったら中条あやみさん」と断言する若手を前に渋い顔となり、会場は大爆笑。そこで若手がすかさず「染二師匠が一番です!」。大きな拍手で締まりました。

◇ ◇ ◇

さて、この公演を知った私たち緑友会スタッフは、開演前、4人そろい踏みによる母校への創立70周年メッセージを録画させていただきました=写真=。約8分半。直前の打ち合わせのうえぶっつけ本番でしたが、一発OKでした。緑友会ホームページ初の動画として近く公開します。

また収録前には、来場者に配る公演案内チラシの挟み込み作業にもスタッフ5人で参加。あわただしい中で収録に快く応じて下さった皆様を少しでもお手伝いするつもりでしたが、やってみると文化祭の準備のような楽しいひと時になりました。母校の先輩後輩という間柄がそういう気持ちにさせたのかもしれません。皆様、本当にありがとうございました。

会長だより ㉒ 「日常」を取り戻してくれた君たちへ

(2024年3月3日)

「日常」を取り戻してくれた君たちへ

緑友会長 川本正人(21期)

1日に行われた普通科67期、芸能文化科29期、計265人の卒業式。その前日、式の予行の合間に、緑友会の入会式もありました。体育館に集まった生徒たちは、拍手を交えながら、会の話を朗らかに、しっかりと聞いてくれました。以下私からの歓迎のごあいさつを一部採録し、卒業生へのはなむけとさせていただきます。

◇ ◇ ◇

まず、皆さんにお礼を申し上げたい。母校によく、「日常」を取り戻してくれました。本当にありがとう。

皆さんが入学されたのはコロナ禍の真っただ中。伝統行事が中断し、登校もできず、私たちは「体育祭できるやろか」「卒業公演はどうやろ」「部活や授業は」と気をもんでいました。しかし今日を迎えてみると、皆さんはまるで、そんなことはなかったかのように明るく、これまで以上に母校を盛り上げ、伝統をつないでくれました。これは卒業生にとっても、すごくうれしいことです。

その卒業生は2万8000人超。ここまでになると、あらゆる分野、地域、年代でその存在を感じられます。例えば私は普通科21期生です。皆さんとご縁のあった21期生というと、代表は島本一彦先生。17年間、皆さんがお生まれになったころから母校の教壇に立っていました。いよいよこの春、担任をした皆さんと一緒に〝卒業〟されます。もう一人。年1、2回、進路講演会で近畿大学から来ている講師。「夢実現に向けて」と、楽しくためになる話をしていた彼も21期生です。私と同じハンドボール部でした。全国を飛び回る人気講師で、もうすぐ講演4000回を数えます。

このように、21期生に絞ってもすぐ1人2人の顔が浮かびます。それが66期生分いるのです。これはすごい財産です。

しかもこの卒業生たち、たくましくて、母校に愛着を抱いている人が多いです。私たちの母校は、「ぶっ飛んだ経験」「規格外の経験」ができます。例えば伝統行事に学年やクラスを越えて取り組み、力を合わせ、ぶつかり、延々と練習を重ねて一つの形にする。そして思いもよらなかった感動に包まれる。こうした経験です。勉強、スポーツ、技能の習熟に秀でた学校はありますが、それらの土台となる「人間力」を養う場を、全ての生徒に、何度も提供している学校は多くありません。

そして、私たち卒業生も全員、皆さんと同じ空間で、同じような経験をしています。私たちが年齢に関係なく母校を語れるのは、この共通体験のおかげなのです。そういう絆で結ばれた皆さんに、私たちは連帯感を持っています。何かあったら必ず味方になってくれるはずです。

これからの時代、大きな変化があらゆる分野で起きます。戸惑うこともあるでしょう。けれど島本先生に習った日本史でお気づきように、これまで「激動」でなかった時代はありません。常に課題があり、それを乗り越えて次代につなぐ、その繰り返しでした。

皆さんはすでに、皆で乗り越える経験をしています。たくましさも身に着けています。周囲には大勢の卒業生がいます。ですから自信を持って、明るく積極的に、時代に乗り出してください。

もちろん、私たちも応援しています。