会長だより ⑮ 過渡期のチャンス

(2023年7月6日)

過渡期のチャンス

緑友会長 川本正人(21期)

 

会報41号をお届けして1か月。同封の振込用紙で寄付や応援会費(特別会費を改称、年2000円)をお寄せくださった方は779人、合計253万1860円(7月4日現在)に上っています。昨年度1年分に比べ、人数で3.2倍、金額で2.1倍です。創立70周年記念「学校食堂改修(仮称)緑友ホールプロジェクト」の目標2000万円まで、まだとぉ~~い道のりですが、手ごたえはいただきました。本当にありがとうございます。引き続き、周囲の方々へのご支援のクチコミ(これが効くんです!)、よろしくお願いいたします。

ところでこの「会報」。長年、会員と会を結ぶほとんど唯一のツールでした。1年前に会長になって仰天したのが、その発送費の大きさです。昨年度の場合、会の総支出261万円の半分、132万円が発送費。少子化で新卒会員が減少し続け、来春卒業予定の280人全員が入会費(終身会費を改称)を納めてくださったとしても140万円ですから、これに匹敵する額が1回の発送で消えることになります。物流危機で、今後は配達料金の値上げも避けられないでしょう。

というわけで、緑友会も昨年度から、ホームページなど電子媒体の活用に動いています。世代交代するくらい先かもしれませんが、紙の会報、紙の振込用紙の何割かでも電子会報、電子決済に置き換えられないか、という試みです。けれど無理はしません。卒業生の中には、紙で読み、足を運んで現金で振り込んでくださる方がたくさんおられるからです。当面は、「紙」と「電子」を併用します。

総会に先立つジャズコンサート(25期生の西川サトシさんらが出演)。続く会議では例年になく発言が相次ぎました。

 

併用の間、費用は余分にかかります。初年度は特にそうです。先日の総会でも、今年度の「会報作成費116万2000円」の中身についてご質問がありました。編集や版下制作は有志がボランティアでこなしており、あとは印刷費(今年度は33万4400円)で済むはずですから、当然の疑問です。(質問された方は、当日お手渡しした資料を短時間でよく読み込んでくださいました。)

アップの要因は主に3つ。①同窓会システム導入に伴いIDとパスワードをお一人分ずつ印刷したこと ②電子決済の手始めに無記入で使えるコンビニ振込用紙をお一人分ずつ用意したこと ③必ず開封していただけるよう中身が目立つポリ封筒を用いたこと――です。発送部数は1万7141。これに①~➂それぞれに1部10円前後(税込み)がかかり、まとめて封入する作業にも10円(同)を要しました。

これが、電子化への情報を「紙」で伝えた初年度のコストです。

でもおかげさまで、冒頭でご報告したご支援のうち、コンビニ振込が人数で61%、金額で37%を占めました。新たな試みがご支援のすそ野を広げていることは間違いなさそうです。また、同窓会システムにアクセスして「所在不明者」の情報を続々とお寄せいただいたり、「近況報告」に早速、数十件の投稿をいただいたりもしています。

過渡期は、安定期に向かう発展の時期です。そこでは好機も生まれます。電子化に加え、これと連動させた「緑友ホールプロジェクト」もそうです。手探りながら、実現を信じ、構想を膨らませるアツい夏。母校の生徒たちも期待しています。旬の夢をどうぞご一緒に!

※ 会報に同封したコンビニ振込用紙(額面2000円)は8月末まで無記入、手数料なしで使えます。その他のご支援もまだまだ受付中です。詳しくはホームページトップの「食堂を緑友ホールへ!」 をクリック・タップしてください。

会長だより ⑭ 緑友会のSDGs

(2023年6月21日)

緑友会のSDGs

緑友会長 川本正人(21期)

初めて〝会長職〟らしい文章を書きます。25日に開く緑友会総会のご案内です。何といっても会の最高議決機関。私にとっては初めて直接ご意見をいただく場。そこで、あらかじめ主な議題をご説明し、当日は「もうな~んも言わんでええよ」というお声がけをいただこうという小心者の魂胆です。持続可能な会と母校を目指す諸施策。お運びになれない方も、ぜひお目通しください。

ご承認いただきたい大きな事業は4つ。「同窓会システムの導入」「ホームページの改修・活用」「創立70周年事業」「会則改正」です。なんでいっぺんにやるの、と思われそうですが、これらはすべて連動しています。システムで名簿管理や入金決済を電子化する→ホームページをその入り口にし、同時にコミュニケーションを活発にする→新たな名簿、決済、広報手段の活用で70周年事業の実現に弾みをつける→それらを円滑に進められるよう会則を改めるーーという関係です。いずれも昨年度と今年度の2か年計画となります。

1.同窓会システム

卒業生ら会員数2万8000人。これに対し6月1日発行の会報41号を発送できたのは1万7141部でした。所在不明は4割に上ります。さらに、宛先不明で戻ってきた会報はすでに約300部。名簿の劣化がどんどん進んでいるのです。営々と紡ぎ続けた名簿は会の最も重要な財産。劣化を食い止め、逆に復元していくには、みなさまご自身による「データ更新」と「所在不明者の情報提供」を可能にするしかありません。

名簿をエクセルデータにしてUSBメモリーに収め、人の手で1件ずつ処理する今の方法も限界です。紛失や誤入力の恐れもつきまといます。メールアドレスも集められません。手作業で行っている支援金の決済も、キャッシュレス時代に備えて電子化したいところ(今年度採用した無記入で納付できる「コンビニ決済」はその第一弾です)。コロナ禍で総会を中止した経験から、非常時にWEB総会を開ける仕組みも必要となっています。

同窓会システムはこれらを解決する手段です。東京、大阪、兵庫の5社から対面やオンラインで聴取を行い、機能が最も充実し、同窓会に特化して使いやすく、一番安価だった製品を採用しました。

2.ホームページ

会のホームページは近年、曲折があって自分たちで編集できませんでした。また、ネットで検索して入ると「接続は安全ではありません」という警告が出、実際、膨大な回数の攻撃に遭っていました。そこで会が契約したサーバーに引っ越し、安全を確保したうえで、一部可能になった自力改修と自主編集を開始。今年になって、同窓会システムの入り口となる「マイページ」の開設、会員からの情報発信、「会長だより」の掲載、SNSとの連携までこぎつけました。しかし自力改修の限界で、半年たってなお見にくく使いにくい状態です。今後できるだけ改修しつつ、並行して抜本的な対策も進めます。

3.創立70周年事業

来年の70周年に合わせた食堂改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」がメインです。空調さえなく、昼食時以外は施錠されている食堂をにぎわい空間によみがえらせます。ランチタイムや放課後の談話や公演、体育祭や文化祭に合わせたホームカミングデイなど多目的に活用できないか、芸文卒業公演をパブリックビューイングで楽しむのはどうだろう、と夢が膨らむお話です。少子化で生徒の確保が難しくなる中、魅力ある環境づくりは母校の末永い発展につながります。今春、3グループ(6社)を個別に食堂に招き、改修可能な要素や概算事業費などを聴取しました。どこまでやれるかは集まったご支援金次第。予算枠が見えてくる秋にコンペ(設計競技)の要綱を固めたいと考えています。

4.会則改正

例えば上の3つの事業。現会則では、名簿をUSBメモリーなど「電磁的」な方法で「事務局」が保管するとなっています。危ないです。広報手段に挙がっているのは「会誌の発行」だけ。70周年事業に取り組もうにも「母校支援」は会の事業に明記されていません。全体に社会や会の実態に合わない部分が多いのです。そこで昨年の総会後、その場で「会則改正委員会」を発足させ、4月の役員会で案を決定、ただちにホームページに掲載した次第です。

 

当日は、まず午後1時40分からベーシスト西川サトシさん(25期、写真)の公演があります。ベースといえばリズムを担い、バンドの推進力となって、楽曲の厚みや場の高揚感を生みだす重要パート。その余韻をベースに総会を迎えます。みなさまとのセッションが、会と母校の未来に強く明るく響きわたりますように。

会長だより ⑬ 続・支援の礎 

(2023年6月7日=会報最新号が届いて)

続・支援の礎

緑友会長 川本正人(21期)

 

前回は、様々な経験によって育まれた母校への愛着心と、卒業生2万8000人の心に息づく思い出こそが私たちの力だ、という「ハート」のお話をしました。今回は「ハード」の面から母校の成り立ちを振り返ります。

今から70年余り前、公立高校のなかった東住吉区(現在の平野区を含む)で誘致の動きが出始めました。中心となったのは区内の小中16校の保護者たち。取り組んだのは、学校用地の一部を自分たちで買収することでした。「府を動かすにはその方が早い」と考えたからです。田んぼの真ん中、約300坪(990平方㍍)といいますから、現在の敷地の40分の1程度。集めたお金は今の物価で約800万円相当(消費者物価指数をもとに計算)。もちろん広さは足りず、保護者たちは、その後も約1500万円相当の借金までして用地確保などに努めたそうです。

3年後、願いはかないました。大阪府立東住吉高校の開校です。終戦から10年の1955年(昭和30年)。焦土からの復興途上にあって、未来を見据え、教育に希望を託した保護者たち。私たちの母校は、そうした地元の人々のおかげで生まれたのでした。

さらに1962年(昭和37年)、府立高校随一の規模と設備を誇った学校食堂「緑友会館」がPTAから寄贈されました。3階建てに増築される前の1階部分です。工事費1165万円。開業時はうどん1杯20円で、現在は300円ですから、工事費を〝うどん換算〟すると約1億7500万円。消費者物価指数からだと約5800万円。えらく開きがありますが、大きな額だったことは間違いありません。

続いて1971年(昭和46年)、正門わきの西館(図書室、視聴覚教室)が完成。このうち図書室のある2階部分はPTAの寄贈です。工事費1160万円。今の物価で約3500万円になります。建物を相次いで2つも贈るなんて、ホントにすごい! 資金はどうやって集めたんやろ? 数年がかりで会費に上乗せしたり、PTAの所有地(そんなのがあったんや)を売ったりしたようですが、そのノウハウ、現在進めている食堂改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」にも活かしたいものです。

それから約半世紀。母校支援は続きます。2017年(平成29年)、電子黒板などの情報通信機器を、緑友会やPTAなど4団体が全教室に寄贈しました。最先端のデジタル技術を活かした「ICT教育」の始まりです。1000万円余りかかりましたが、これが授業の工夫につながり、のちのコロナ禍でも全授業ライブ配信などの形で威力を発揮しました。

「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである」。私の好きな言葉です。借金までして誘致に奔走した保護者たち。伝統をゼロから築き上げ、伝え続けた生徒たち。支援を惜しまなかった大勢の人々と、導いた先生方。思えば私たちの母校は、その時その場所で精いっぱいに取り組んだ群像の上にあります。

創立当時の航空写真。整地された学校用地に白線で校章が描かれ、1期生150人による「H」の人文字が浮き上がっています。周りは田畑。校舎はまだありません。当時は摂陽中学校内のバラックが学び舎でした。

私たちの母校は、この何もないところから始まったのです。

写真を収めた10周年記念誌の中で、1期生の一人が訴えています。「卒業しても学校を愛せる人間を育ててほしい」。創立70周年を前に、答えははっきり出ています。母校に心を寄せる卒業生は、絶えたことも、絶えることもありません。

支援された人々が次の人々を支援する。そうやって群像を連ね、母校の歴史を紡いでいく。創立の胎動のころから組み込まれた、それが私たちの遺伝子なのですから。

 

(本稿は、創立10周年と25周年の各記念誌、学校事務室保管資料などを参考にしました。)

会長だより ⑫ 支援の礎

(2023年5月21日=体育祭を終えて)

支援の礎

緑友会長 川本正人(21期)

 

コロナ禍の3年間で2度の中止に見舞われ、復活した昨年度も入場が大幅に制限された母校の体育祭が、21日、4年ぶりに平時の状態で開催されました。生徒数の減少で、団は1つ減って3つ(現在1学年7~8クラス)。6団時代の半分になりましたが、それでもマスコットが立ち、応援・アトラクション、騎馬戦、リレーなどの恒例種目がフルバージョンで繰り広げられて、伝統はしっかり継承。最高気温28度。雨で1日遅れたのが幸いと言えるほどの好天のもと、生徒も観客も、マスクなしの笑顔がひときわ輝いて見えました。

「高校時代の思い出」を問われて、この体育祭を挙げる人は多いと思います。ある期間、学年を超えて大勢の生徒が集まり、一つの作品や空間を創造する。その経験は、今考えてもかなり刺激的です。青春時代に味わったその新鮮さ、高揚感、達成感、あるいは独特な雰囲気への反発心などが、「今」の自分のどこかを形成しているという感覚、どなたにも多少はおありじゃないでしょうか。

東住吉高校の場合、こうした経験の場が、体育祭や卒業公演などの「行事」、盛んな「クラブ活動」、それらとの両立を目指す「学業」と、多面的にあります。ある教育研究機関の調査によると、母校への愛着度に影響を与えるのは、在校時の「積極的な取り組み」と「密な人間関係」だそうです。熱中する機会がいろいろあり、その分、友人や先輩・後輩、教師とのつながりが生まれやすい東住吉は、母校への愛着度を高める条件がそろっている、と言えそうです。

もう一つ、「ピーク・エンドの法則」にも触れておきます。全体的な印象は、最も感情が動いたとき(ピーク)と、一連の出来事が終わったとき(エンド)の記憶〝だけ〟で決まる、というものです。ノーベル賞を受けた心理・行動経済学者によって提唱されました。体育祭など最も印象深い出来事が「ピーク」。それら行事の打ち上げや、志望大学合格、母校からの巣立ちなどの思い出が「エンド」。この「ピーク」と「エンド」という2点の記憶が、高校生活全体の印象に大きな影響を与える、ということになります。

来年の創立70周年記念に計画している食堂改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」。間もなくお届けする会報に、みなさまのご協力を仰ぐ記事を載せています。100年を超える伝統校で耳にするような大口のご支援も、大勢でコツコツ寄せていただく小口のご支援も、どちらも誇れる浄財です。大事なのは、その礎となる母校への愛着心。積極的な「取り組み」と深い「人間関係」、さまざまな「ピーク」と「エンド」を経験した私たちは、母校への愛着で決してひけはとらない。2万8000人の卒業生の心に息づく思い出が、私たちの力だ。そう思うのです。

「母校応援の一つのカタチ」。緑友会活動を手伝ってくださる10期生が、体育祭直前にパパッと制作したプロジェクトパネルのフレーズです。グラウンドからわき上がる歓声を聞きながら、パネルの前でお願いチラシを配っていた私たちに、何人かが声をかけてくださいました。「私の卒業までに間に合うん?」と在校生。「もっと早くしてくれればよかったのにぃ」と卒業生。「頑張って下さいね」と年配の女性。

声に押され、「こういう日は、ホールを開放して『ホームカミングデイ』やな」などと、いずれ目にする「カタチ」に思いを馳せていたら、顔も腕も真赤に日焼け。「今の食堂、空調設備もないんやもんなあ。これから暑うなるのに」

卒業から45年たっての体育祭。今度は大人の心が揺さぶられました。

会長だより ⑪ 「目いっぱい」の手づくり発信

(2023年5月8日=ゴールデンウィークが明けて)

「目いっぱい」の手づくり発信

緑友会長 川本正人(21期)

「母校」って不思議です。同じ出身校というだけで、見ず知らずの人にも親近感がわきます。在校生や卒業生の活躍を聞くだけで、こちらまでドヤ顔になります。ふだんは意識しないけれど、母校が今もあり、そこが輝いていると気づいた時は、ちょっといい気分。緑友会が母校支援に積極的なのも、それが使命であるからだけでなく、自分たちの誇りや喜びになってかえってくるからなのだ、と思うようになりました。

こうした活動の基盤となるのは、卒業生2万8000人と元職員の方々などで組織する当会の、会と会員、あるいは会員同士のつながりです。つながりにはコミュニケーションが必要となります。主な手段は、年1回の会報と日常的につながれるホームページ、LINEなどのSNS。緑友会ではこれらを専門業者に任せず、会員がボランティアで制作しています。

このゴールデンウィークは、これらの制作の佳境でした。

会報は毎年6月初めに発行。半年前までに特集やページ建て、原稿の執筆者を決め、2月末が一応の締め切り。3月に磨きをかけ、4月に版下制作、5月前半に印刷に回します。現在の編集委員は1~42期の10人です。

来月発行の41号は、「(仮称)緑友ホールプロジェクトご支援願い」「同窓会システム導入」「ホームページ改修」など盛りだくさんなので、通常の12㌻を16㌻に増やした特別編成。しかも「緑友ホール」が4月の役員会で正式に動き始めたり、ホームページが刻々と修正されたりして差し替えが相次ぎました。伊原徹委員長(17期)はもちろん、1ページに半日かかることもあるという版下制作を担当して下さったベテランの10期生と新メンバーの42期生は、相当の時間と労力をつぎ込まれたに違いありません。(この稿に添えた会報のカットも、10期生が実に手際よく作ってくださいました。)

4月30日の日曜日、全ページのゲラを委員6人で2時間余りかけて回し読みしました。終盤の校正作業です。本来なら表記や用語の統一、似た記事の統合なども必要でしょうが、そこは執筆者の意向を大事にし、間違いや問題表現などに視点を置いてチェック。翌日には先生方の記事を学校側に確認していただき、ほぼ最終の版ができたのは5月4日、母校カラーの「みどりの日」でした。

ホームページは、今年になって〝再起動〟。以前のは曲折あって自分たちで編集できず、「接続は安全ではありません」という警告まで出る状態でした。そこで別のサーバーを引っ越し、自力で徐々に改修。ご覧になるたびにトップ画面が変わっていたり、バナーがやたらと増えたりしていたのは、ホームページを稼働させたまま試行錯誤を重ねていたせいです。

にもかかわらず、6日まで30日間のアクセス数は「764人が、30日間に平均2.3回開き、計9.3本の記事を見た」という成績。3か月余り前まではほとんどゼロでしたから、おかげさまで少しずつ知られ始めているようです。

使いにくい、見にくい、デザインが素朴すぎるなどの指摘は内部からもあります。でも、この画面は近々いったん固定します。会報に掲載するトップ画面と同じに保ち、読者が戸惑わないようにするためです。「こどもの日」に担当4人で今後の体制と進め方を話し合い、本格改修は固定の解除後としました。みなさまに何度も訪ねていただけるホームページに必ずします。当面のご不便、なにとぞご容赦ください。

さて私は、会の活動を支えて下さる方々に、無理なく、長くご協力いただきたいと思っています。「やれることを、やれるときに、やれるだけ」の姿勢です。けれど実際は、みなさん、この3つに次の一言を付けて行動されているように思えます。

「やれることを『目いっぱい』、やれるときに『目いっぱい』、やれるだけ『目いっぱい』」

ゴールデンウィーク中に私が受信・送信した緑友会関係のメールは100通超。出向いた打ち合わせは4件。「ボランティア精神」×「母校愛」が放つ熱波のような輝きに、めまいがしそうな〝黄金週間〟でした。

会長だより ⑩ 「緑友会」、その名のルーツは学校食堂

(2023年4月24日)

「緑友会」、その名のルーツは学校食堂

緑友会長 川本正人(21期)

「緑友会館」という名の学校食堂が開業したのは1963年(昭和38年)1月です。創立から約8年。待ちわびたかいあって、その規模や設備は「府内公立高校随一」とされ、他府県からの見学者まで驚嘆させた、と記録にあります。建物は当初1階食堂だけでしたが、間もなく2階、3階の増築に着手。同窓会館や部活の合宿所に使う構想もあり、ついに会館名が同窓会名になりました。今回はそんな「ホンマかいな」のお話です。

にぎわう学校食堂(1964年発行の創立10周年誌から)

緑友会の名を誰がいつ付けたのかわからない。1期生を含む周囲のスタッフも知らない。スクールカラーの緑にちなんだとは想像できるけれど。会長のくせに情けない。う~っ……。

そのモヤッとが少しスッキリし始めたのは、学校食堂大改修「(仮称)緑友ホールプロジェクト」を構想し始めた最近のことです。食堂入り口外の柱に埋め込まれた銘板に、「緑友会館」「寄贈 東住吉高等学校PTA」とあったのが糸口でした。「ン?『緑友』会館やのに、同窓会やなくてPTA寄贈?」

学校事務室で借りた古いつづりをめくると、確かにPTA寄贈。しかし、「緑友会館落成」の式典招待者一覧に「緑友会」という団体は見当たりません。代わりに「同窓会役員」が6人並んでいました。つまり完成時点では、「緑友」は会館名であって、同窓会名ではなかったのです。

続いて目に留まったのは、創立25周年記念誌(1979年)に収録された座談会。元国語の先生竹内清さんが「建物の名称は公募した。『オアシス』『若草会館』といった案があり、最終的にスクールカラーにちなんで緑友会館になった」と証言なさっていました。

「会館名→同窓会名」の決定打は、会報第3号(1967年)の中にありました。着工直前に赴任し、すべてを見てきた第2代校長葭原康夫さんの一文に「(食堂を)緑友会館と命名し、同窓会も緑友会と称せられるに至った」と記されていたのです。

では、同窓会はいつ「緑友会」になったのか。会報を並べると、落成式4か月後の1963年5月に発行された第1号の題字は「同窓会会誌」。その1年後の第2号は「緑友会会誌」。この間に何があったのでしょう。

ここからは、「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場」のノリで行きます。

「食堂、いつ見ても立派やなあ」「この春入ってきた9期生は550人もおるんや。食堂かてデカないと」「1期生は150人やったのになあ」「まだまだ立派になるで。2年経ったら3階建てや。同窓会も使えるらしい」「緑友会館にある同窓会かあ。ほんなら会の名前も『緑友会』でどやろ」「ええやん、ええやん」「そうしよ、そうしよ」……。

今では完成時の興奮が伝わりにくくなった学校食堂。60年を経た今、ここをもう一度にぎわいの空間にしたい。見学者まで訪れる施設にしたい。その思いを一層強くした数日でした。

会長だより ⑨ 創立70周年 〝緑友ホール〟 構想

(2023年4月7日=入学式を終えて)

創立70周年 〝緑友ホール〟 構想

緑友会長 川本正人(21期)

1か月前の卒業式は、ほとんどの生徒がマスク着用。2回の体育祭中止をはじめ、コロナ禍で行事も授業も大変な制約を受けた後輩たちの、それが当たり前となった姿でした。

ひるがえって本日の第69回入学式。着用の指導はなく、体育館に整列した8クラス320人の3分の1は、マスクなしでした。新入生たちの高校生活は、日常の「素顔」に一歩近づいて始まったのです。その笑顔でたくさんの友だちと語り合ってほしい。何があっても学校だけは歓声が絶えない場所であってほしい。そう祈らずにはいられませんでした。

こうした生徒たちが集う「にぎわい空間」づくりを、緑友会が進めることになりました。来年の創立70周年を記念した学校食堂大改修。名付けて「(仮称)緑友ホールプロジェクト」です。

食堂を「食事&多目的スペース」に改修した場合のイメージ

教室棟と道路を隔てた緑友会館は1962年度にPTAが寄贈。1階にある食堂はいまだに空調設備がなく、蛍光灯は古くて薄暗く、昼食時以外は施錠され……と、十分活用できる状態ではありません。200平方㍍以上ある広々空間で耐震補強まで施されているのに、これではもったいない。少子化で高校の統廃合が続く中、母校の末永い発展のためにも環境面の魅力アップが必要です。

そこでここを、食事にとどまらず、談話や自習、寄席やライブ演奏、さらには学校行事や20歳の集い、緑友会総会といったイベントにも活用できる多目的ホールにできないか、という構想が生まれました。昨年11月、学校側との周年行事検討委員会で話題になり、緑友会が1月と4月の役員会で話し合って、本格的に取り組むことにした次第です。順調に行けば来年夏休みに工事を行うことになります。

どこまでやれるかは、みなさまのご支援次第。6月発行の会報に寄付や会費(年間2,000円、任意)の振込用紙を同封するほか、郵便書留や金融機関からの送金も随時受け付けます。発注先はコンペ(設計競技)で選ぶ予定です。

いずれも会報でご案内。ホームページなどでも随時公開していきます。同期のみなさまをはじめ会員の方々への周知を、なにとぞよろしくお願いします。

 

 

 

会長だより ⑧ 怪、快、会則(発展編)

(2023年3月31日)

怪、快、会則(発展編)

緑友会長 川本正人(21期)

 

コロナ禍から日常へ。緑友会の第一歩は、久々に開かれたその小さな集いだったのかもしれません。昨秋、放課後の教室であった「新クラス幹事」説明会です。今春卒業の66期生8クラスから選ばれた男女16人が、1期生の吉田正博さんから会の取り組みを聞きました。

吉田さんの「1期生」という自己紹介に、生徒たちから笑いが起きたそうです。そりゃ1つ2つ上の先輩でも緊張するのに、創立と同時入学の超大先輩を目の前にすれば「ええっ!」という驚きや感動で笑顔の声を上げたのもわかります。おかげで和やかに進行し、互選する学年幹事2人はジャンケンで決まりました。

10分余りの集いを終えた後、男子生徒の一人が「20歳の集いはどうやって開くんですか」と吉田さんにたずねてきたそうです。66期生の「かなめ役」が始動した瞬間でした。

今の会則では、幹事は役員に入っています。しかし歳月を重ね、人数が増えていくうちに役員としての活動は途絶え、同期生を代表する大切なポジションでありながら、今では何となく中途半端な存在です。そこで幹事を独立機関とし、自らの意思で活動しながら緑友会と連携していく仕組みにできないかと考えています。

こうした幹事の規定に限らず、今の会則は時代や実情に合わなくなった所が多々あります。デジタル技術の進展やコロナ禍での経験も反映させなければなりません。そこで今年6月の総会に、初の全面改正案をお示しします。昨年の総会直後に組織した会則委員会でたたき台を作り、役員会で審議してきたものです。会則委員長は会報委員長の伊原徹さん(17期)。会報編集と同様、手堅く緻密な作業ぶりで、私としては苦笑するしかない会長の“暴走”阻止規定など、新たな視点の改正が随所に盛り込まれています。

ホームページなどによるデジタル広報も、会の事業として明文化します。コミュニケーションコストが劇的に下がったネット時代にありながら、会のホームページは近年、曲折あって自分たちで編集することができず、ネットで検索して入ると「このサイトへの接続は安全ではありません」という警告まで出る状態でした。そこで会で契約したサーバーに切り替え、今年に入って自力で改修作業を進めているところです。おかげで私のごあいさつも、就任から7か月たってようやく1月に載せることができました。

改修ホームページは、会員のみなさまも参加できる双方向性がウリ。形が整ってきたらご紹介させてください。

 

※ 今年6月の総会でお示しする会則改正案の全文は、4月初めにホームページで公開予定です。

会長だより ⑦ 怪、快、会則(名簿編)

(2023年3月20日)

怪、快、会則(名簿編)

緑友会長 川本正人(21期)

 

兵庫県尼崎市で、全市民46万人余りの個人情報が入ったUSBメモリーを紛失する事件があったのは昨年6月。委託業者がかばんに入れて持ち運んでいたときのことです。「怖いなあ」と他人事のように思っていましたが、その直後、会長に就任したばかりの私にも、緑友会事務局から1本のUSBが手渡されました。全会員約2万8,000人のデータが入った「名簿」です。私が保管して、時々上書きする際に持ってきてほしいとのことでした。

聞けば事務局スタッフも、もう1本あるUSBをヒヤヒヤしながら持ち帰り、自宅で事務処理の続きをしてきたとか。特に大変なのは、新卒会員のデータ入力。「紙」の申込書の内容をエクセル化していく作業です。定数が減ったとはいえ今も毎年300人分以上。それを長年、営々と……。ご労苦の詰まったUSBを手に、頭が下がりました。

とはいえ、このままではもちません。コロナ禍で電子化が一気に進んだ学校側に協力をお願いし、さっそく今春の卒業生から電子データによる申し込みに切り替えました。同時に「脱USB」を強く決意した次第です。

同じころ、衝撃の光景を事務局で目にしました。宛先不明で返ってきた大量の会報です。最近は年に約300通、以前は700通以上。毎年苦労して入力した数とほぼ同じだけの住所がこの時点で消去され、卒業生の3分の1が所在不明になっているそうです。

かつては会則で5年に1回の名簿作成が定められ、専門業者が冊子にしていました。しかし1997年の第9号(40期生まで収録)で中断。個人情報保護のためです。ハガキによる追跡調査もなくなりました。そして2013年、会則改正で「電磁的なデータとして作成し、事務局が保管する」となり、今に至っています。

でも、人の手による「電磁的」な作成・保管はもう限界。名簿の劣化は止められず、メールアドレスも集められません。そこで私たちは昨夏、様々な会員管理で使われている電子システムを調べました。対象は大阪、東京、兵庫の5社5製品。直接やオンラインの面談を繰り返し、確かめた機能は5点。「正確で判明率の高い名簿にする仕組み」「電子決済」「WEB総会」「ホームページとの連動」「電子名簿の閲覧と制限」です。すべてを満たしたのは1つだけ。しかも同窓会用に特化していて使いやすいうえ、最も安価でした。

9月の臨時役員会で導入を決め、すでに業者とシステムを構築中。でも費用は払っていません。総会での予算承認を得ていないからです。業者には「請求は、新年度6月の総会が終わってからに」と窮余のお願いを聞き入れてもらいました。

あとはみなさまから、「予算」と脱USBに必要な「会則改正」のご承認を得られれば本格スタートです。ご理解、なにとぞよろしくお願いします。m(_ _)m

 

※ 「同窓会システム」の概要は、6月お届けの会報でお伝えします。「マイページ」に関する大切なお知らせも同封しますので、必ずご確認ください。

会長だより ⑥ 怪、快、会則(会費編)

(2023年3月16日)

怪、快、会則(会費編)

緑友会長 川本正人(21期)

 

「会長、寄付と特別会費のお礼状、書いてください」。就任直後、緑友会事務局長の堅固政斗志さん(33期)から受けた初仕事。いきなり「ン?」です。特別会費って何? 卒業時の終身会費で終わりとちゃうかった? なんで「特別」なん?……。思えばこれが、その後も次々とわいてくる「ン?」の始まりでした。

確かに今の会則には、寄付、終身会費とならんで特別会費があります。しかも「卒業後10年」から「年間2,000円を納付することができる」という遠慮に遠慮を重ねた条文。ムムッ、何かある。でも、ベテラン事務局長には何も聞けない、こちらも遠慮がちな新米会長なのでした。

あれから半年余り。調べる糸口を提供してくれたのは、その堅固さんです。年明けから改修中のホームページに、せっせとアップしてくれた過去の会報。画面を開くと記事はすぐ見つかりました。2008年度総会前の26号に「寄付的要素の強い会費を」との会則改正案とその説明。続いて承認後の翌年27号には、生徒定数減(=会員減)であろうとも母校支援を続けるのが「緑友会の役割、使命」とする2代目会長塩谷俊雄さん(2期)の決意表明。

支援にはおカネが要る。でも寄付は心もとなく、終身会費をもらったのに「年会費」とも言えない。そこで任意の「寄付」と義務感を伴う「年会費」の間に「年間定額寄付」を設け、特別会費として毎年のご協力を広く期待したのではないでしょうか。

当時の役員方の心中、すごくわかります。私たちも財政基盤の確立が急務。しかも1年後に創立70周年を控え、何とか母校支援をと思案しているさなかなのです。

特別会費から15年。ご支援いただきやすいよう、記入も手数料もいらないコンビニ振込を6月に導入予定です。特別会費の名称も「応援会費」に改めようと考えています。「年会費」だと任意とはいえ納付させられる印象をぬぐえませんが、「応援会費」なら「よっしゃ、応援したろ」というお気持ちになっていただけるのでは、と誠に勝手な期待で胸をパンパンに膨らませているのです。もちろん金額はそのまま。終身会費の5,000円も据え置きで、こちらはシンプルに「入会金」です。

これらの命名者は、会報委員長の伊原徹さん(17期)。母校の新聞部員から生徒会役員、さらに体育祭実行委員長まで務めた人です。言葉選びのセンス、さすがやなあ。いっそ会長になって、「だより」も書いてくれはらへんやろか(はいっ、ここで拍手!)。

伊原さんは今、6月発行の会報第41号の編集作業真っただ中。私たちが新たに取り組もうとしている事業は、すべてこの号に盛り込んでいます。大事なお知らせとともにお届けしますので、ぜひお目通しください。