会長だより ㉘ 「安全第一」の覚悟

(2024年7月19日)

「安全第一」の覚悟

緑友会長 川本正人(普通科21期)

わかっちゃいるけど悩ましい。そんな言葉に「安全第一」があります。もとは「品質第二」「生産第三」との3点セット。「迷ったら安全最優先」を徹底させる標語です。

けれど実際は、「安全といっても、予算がなあ」と悩む場面がしばしば。創立70周年記念の母校食堂改修事業もそう。建物完成から61年余り。老朽化による危険個所が次々と見つかり、そのつど追加費用が必要になっているのです。

これまでは工事方法の見直し、ホール化設備の先送りにより、皆様からの浄財の範囲内で「安全第一」を貫く見通しを立ててきました。最大200万円の追加支出についても、緑友会役員9人から反対意見はなく、むしろ「当然」と積極的。

原則からブレない役員やスタッフを、改めて誇りに思った次第です。

さて、食堂改修着工から3日目の12日、また危険個所の知らせがありました。「天井を撤去したら、メインの梁(はり)の下部が削られていた。亀裂も入っている。大地震に耐えられない可能性が高い」

建物を支える骨組みが人の手で損傷⁉ もはや内装改修のレベルを超えており、学校から府教委に相談。返ってきたのは「補強したいならやっていただいてもいい」と、こちらに対応を委ねる答えでした。

今回の食堂改修事業について「なんで公費でやらないの?」というご質問が時折寄せられます。全く同感です。けれどそれでは何も進まないのが現状。ではどうするか。今回はそれを考えるご報告です。

食堂中央の梁(上)。下部がかき取られ、鉄筋が浮き出ている。(2024年7月)


問題のコンクリート梁は、食堂中央に渡されている南北12㍍の重要構造物。下部が全面的にかき取られ、鉄筋がろっ骨のように浮き出ています。建設当時に天井の高さを確保しようと数㌢削ったらしく、今なら建て直しを命じられてもおかしくないケース。さらに、東西の梁と交差する1か所に割れ幅1㍉以上の亀裂もありました。強度を低下させ、安全性を損なう「構造クラック」です。

知らせてくれたのは、工事をボランティアで監理している一級建築士の木本圭二さん(普通科24期)。すぐには問題ありませんが、大地震に見舞われたら梁が亀裂から曲がり、2階の床が垂れ落ちそうとのことでした。

すぐ学校に報告。17日には現場で対応を協議し、翌夕(昨日)には建物を管理する府教委の担当3人が来校。そこで示されたのが「鉄筋にさび止め」「クラックにモルタル注入」という補修方法。まるで骨折に赤チンみたい。しかも費用はこちら持ちという「提案」でした。

危険個所の指摘は、これまでもコンペや入札で訪れた業者の皆さんからありました。主なものは3つ。①熱源と異なる位置にある落ちかけの厨房排気フード(空調導入で閉め切ると一酸化炭素中毒の恐れ、地震で落下の恐れ) ②年代物の分電盤(感電・漏電の恐れ) ③階段下のコンクリート床の地下空洞化(陥没の恐れ)です。ゼロ災運動で「安全第一」と並んでよく言われる「ヒヤリ・ハット」(事故手前)の状態。見つかったのを幸い、①②は食堂との同時改修を決定、③は学校に公費で直してもらいました。

梁はどうするか。木本さんの試案は「亀裂の下に柱を立てて支える」。柱を外部で製作すれば取り付けは数日、費用も100万円くらい。この程度なら府教委の意志次第、と期待していました。

けれど府教委は「そこまでしなくても」と消極的。察するに、他にもグレーゾーンの建物がたくさんある中、ここだけにおカネは出せない、という立場なのかもしれません。

危険度について、木本さんの見解は真逆です。

「府教委提案のさび止め、モルタル注入は外壁向きの補修。梁の補強にはならない」

「最近の建物ならともかく、食堂は耐震対応の弱い60年以上前の建物。鉄筋の材質、太さ、本数が十分でなく、老朽化も進んでいる。見た目より弱い」

「鉄筋はコンクリートと一体で威力を増す。むき出しでは強度が落ちる」

「大地震の際、生徒が揺れの間に逃げ出せるとは限らない。2階床の落下が落盤のように急激でなくても、死傷者が出る可能性はある」……。

私たちはここまで、「安全第一」の覚悟で来ました。子どもたちの笑顔、青春の時間、まして命は「プライスレス」だからです。

これを原点に、大人の責任を果たす道を探ります。

会長だより ㉗ さらば昭和の大天井

(2024年7月10日=学校食堂改修の着工日に)

さらば昭和の大天井

緑友会長 川本正人(普通科21期)

建物には年代を感じさせる部分があります。母校の食堂では「天井」。シミや反りのあるプツプツ穴の吸音ボード、360度首を回し続ける扇風機、ジージー・チカチカの蛍光灯……。窓がサッシになり、壁に耐震補強が施されても、見上げれば一面の昭和レトロです。

10日、その天井の撤去が始まりました。食堂を多目的ホールに改修する創立70周年記念事業の着工です。構想浮上から1年8か月。「よくぞここまで」と皆様のご支援に感謝しながら、この間何度も仰ぎ見てきた天井に「お疲れ様」と告げました。

思い返せばこの天井。事業の可否を決する懸念材料とキーパーソンを、同時にもたらしました。経過報告を兼ねてご紹介します。

取り外される食堂扇風機。4台とも別の所で再利用予定。床の板は張り替えられるテーブルの天板。

ホール化の発端は、一昨年11月に開かれた学校と緑友会との周年行事検討会。学校側から「食堂に空調設備がほしい。多目的に使えるようにもできないか」という案が出ました。未だに空調がなく、220平方㍍もあるのにほとんど活用されていない施設。着眼点はすごくいい。けれど「どうやって進めるの?」「いくらかかる?」と疑問符だらけです。

そこで緑友会役員のツテで3つの業者グループを現地に招き、個別にヒアリング。2000万円あれば基本部分は改修可とわかり、昨年6月の緑友会報で支援を訴えるとともに、後援会「みどり会」とPTAにも協力を求めて3団体共同出資体制を構築。本格的な改修案を求めて設計競技(コンペ)も催すことにしました。

こうして「資金」「設計」の二大課題の進め方は見えました。ところがこのヒアリングで、とんでもない懸念も示されました。撤去する天井の「アスベスト」です。耐熱・耐久性に優れ、高度成長期以降、国内で大量使用されましたが、解体時などに吸い込んで生じる健康被害が問題となり、2006年に製造・使用が全面禁止。含有建材の撤去や処分には細心の注意が必要で、かなりの費用と時間を要します。

学校食堂の建設は1962年。業者グループらは「古い建物ですからね。調べれば、アスベストがまず出ます」と妙にきっぱり。この「調べれば」がくせ者です。「調べないのも、アリ?」、私の中のヨコシマ君がささやきます。「もし出たら、おカネ要るで。食堂閉店の夏休み中に終わらんで。そもそも府教委が工事を許さへん」。けれどホールは子どもたちの集う場所。しかもことほぐべき記念事業。数日考えても代案は浮かばず、ヨコシマ君を叱り飛ばして調査を決めました。

とはいえ正式な検査結果をどうやって得るのか、いくらかかるのか、これまた疑問符だらけです。そんな昨秋、「ボクがやります」と名乗り出た人がいました。一級建築士でデザイン設計室を営む普通科24期生の木本圭二さん。「工事全体を監理できる人もいた方がいいですよ。ボク、ボランティアでやります」とどこまでも明るく積極的。費用、品質、施工内容、どれも何が妥当かわからない私たちにとって、本当にカッコいい白馬の騎士でした。

木本さんは、ヒアリングに応じてくださった業者グループの一人です。この日も工事やコンペの進め方についてご意見をうかがおうと学校にお越し願っていました。そんな私たちがよほど右往左往して見えたのでしょう。「緑友会の皆さんは無償で一生懸命。自分は60歳を超えた今まで母校のことは何もやっていない。コンペに出るより、今は自分に出来ることで母校にお返しする時」と思われたそうです。それからはコンペ、入札、追加計画で大奮闘。「天がこの人を遣わして事業を導いている」、私にはそう思えてなりません。

さてアスベスト。昨年11月、木本さんと二人で天井材の一部を削り、検査機関に送りました。1週間後にメール添付で届いた報告書。A4判3枚の中ほどにあった結果は「不検出」でした。

あれだけ出そうな話やったのに、なんで? 木本さんが思ってもみない理由を答えてくれました。「古すぎたんでしょうね。古すぎて、まだアスベストが使われてなかったんです」

もはや歴史的建造物⁉ さすが緑友会館! さすが還暦超えの大天井!

涙がにじんだのは大笑いしたせい。隠れてそっとぬぐいました。

会長だより ㉖ 創立70周年ごあいさつ――人気の理由

(2024年6月1日=創立70周年の会報発行に寄せて)

人気の理由
――ぶっ飛び経験で、開け新未来――

緑友会長 川本正人(普通科21期)

今年度の公立高校一般入試(全日制)で、府内145校の半分近い70校が定員割れになったそうです。授業料無償化が段階的に始まり、公立離れが一気に進みました。府内東南部の旧第7学区は特に厳しく、定員を上回ったのは募集のあった14校のうち3校だけ。

そのひとつが私たちの東住吉高校です。

授業料に差がなければ、施設や難関大進学率の差で私立が有利といわれます。にもかかわらず母校の人気が不変だったのはなぜでしょう。私はそれを、「ぶっ飛んだ経験」ができる伝統と、それを共通体験としている卒業生や保護者、先生方の存在だと考えています。

体育祭や卒業公演などで、クラスや学年の枠を越えて協力したりぶつかったりする。何事かを成し遂げた結果、思ってもみなかった感動が生まれ、新しい景色が見える。東住吉高校にはそういう経験の場が、生徒全員に、いくつも用意されています。

発想がモノを言う時代です。スマホの発明のような斬新な未来を描く意志、AIの裏をかくような独創性が要ります。その礎を築くのは、夢中でのめり込むナマの経験。大学の予備校と化し、既存の知識だけで「わかったつもり」になったり、すでにある解答を速く出すことだけを競ったりする環境からは、規格外の“人財”は育ちにくいのではないでしょうか。

東住吉高校で得られるナマの経験は、卒業生たちの多くも共有しています。「あの行事で何をしたか」を披露しあうだけで、卒期を越えて話が進むのです。

また保護者の支援は、東住吉高校のルーツでもあります。先の敗戦から10年。厳しい時代の中で、「東住吉区(当時)に高校を」と地元の保護者たちが土地や資金を用意して誘致したのがわが母校です。緑友会館や図書館棟も保護者によって寄贈されました。

志は今も引き継がれています。コロナ禍で威力を発揮した電子黒板などのICT(情報通信技術)機器は、その数年前の2017年に卒業生と保護者らが協力して全教室に寄贈したものです。さらに今年度は、学校食堂を多目的ホールに改装する70周年記念事業を、卒業生、保護者、そして保護者のOB・OGが一体となって進めています。

先生方が伝統を大切にされていることは、先日の体育祭で「教員団」がマスコットやスタンドを立ち上げたことが物語っています。ノウハウを伝承し、教員の世代交代に備えたからです(会長だより㉕参照)。

かつて20年余りにわたって他校をうならせた霧ケ峰キャンプは修学旅行に変わり、長居公園を何周も回るマラソン大会もコロナ中断を機になくなりました。その一方、様々な国際交流やチャリティー100㎞リレーマラソンなど新たな伝統も育っています。コロナ禍が落ち着いた今、新装される多目的ホールは、子どもたちのリアルな出会い、語らい、表現の場となることでしょう。

私たちの母校は、昭和から平成、そして令和へと、激動の時代に2万8000人以上を送り出してきました。豊かな経験を胸と体に刻み込んだ人財ばかりです。経験が幸福度を高めることは、学術的な研究結果を見るまでもなく、多くの卒業生の実感でもあります。

これからも子どもたちがいろいろな経験を重ね、「ホンマ、楽しかった」と巣立っていく母校であるよう、100周年を難なく迎える不滅の母校であるよう、卒業生の皆様、お力添えをどうぞよろしくお願いいたします。

会長だより ㉕ つなげ伝統! 先生たちの「第4団」

(2024年5月18日=体育祭を終えて)

つなげ伝統! 先生たちの「第4団」

緑友会長 川本正人(普通科21期)

先生方に「大アッパレ!」です。18日に行われた母校体育祭。少子化の影響で今年度も団は3つ、伝統のスタンドとマスコットも3組……と思って訪れたら、なんと4組目がド~ンと構えていました。陽光に輝くマスコットは2匹のウサギ。15年前から第2の校訓になっている「二兎を追え」にちなんだもので、モデルは知る人ぞ知る「ヒガ君」と「スミちゃん」(ご説明は末尾に)。伝統の継承をと先生方約50人がマスコットとスタンドに分かれ、大型連休明けから計9日間をかけて立ち上げました。

実は昨年度から「先生方の中で『スタンドとマスコットをやめてはどうか』という意見が出ている」と伝え聞いていました。安全性の確保、先生方の働き方改革、タイトなスケジュール、そして何より、実務に通じたベテランの退職……といった事情からです。伝統のスタイルを代々の共通体験としてきた卒業生たちにとってはあまりに残念なので、緑友会から学校側に「必要なら卒業生たちに手伝いを呼び掛ける」と申し出てもいました。

けれど最後は、先生方が自分たちで「伝統を守る」方向に踏み出しました。「伝えるにも、安全を確かめるにも、まずは自分たちが経験しないと」という安達乃里子首席(生徒会部長)の呼び掛けで取り組んだのが「教員団」によるスタンドとマスコットです。

職員会議で決まった時は「ホンマかいな」と戸惑う向きもありましたが、そこは「やるときはやる」という学びのプロ。1コマ1時間半の作業時間を、平日は午後2回、土曜日は午前中を含め3回設定。要員を割り振ってはいたものの、熱中して連日3時間ぶっ通しで当たる人が何人もいたそうです。

マスコットは縦5㍍、横4㍍、顔は2つとも半径1㍍の半球形。数学教諭が大型連休中に設計しました。竹ヒゴを組んで曲線と厚みを出す本格的な作りです。皆さん、制作中は立ったりかがんだり木材のすき間をくぐったりで足腰や背中が痛くなったとか。けれど終わってみれば「立体感では生徒たちに負けていない」「大人が本気になったらこんなもんや」と、さわやかな〝ドヤ顔〟でした。

スタンド組はスピード感で勝っていたものの、支柱の高さがそろわずに座面の板が浮いたり、やぐらの丸太が飛び出ていてマスコットを立て掛けられなかったりと、仕上げの細部で苦戦。一方生徒たちは、コロナ中断から復活時の1年生が3年生になり、3度の経験が生きて安定の出来。それでも先生方は「失敗を経験したことで、来年はしっかり指導できる」と、プラス思考で自信を深めておられました。

この日は約10人の先生に感想をうかがいました。そろって笑顔でした。けれど授業の準備が帰宅後になるなど、見えない負担は大きかったはず。このことも私たちは知っておきたいと思います。

最後に、長年中心となって体育祭を支え、本部席の前で生徒たちを見守るのも今年がラストとなった富田年久教諭(65)(体育)のお話です。

「17年前に赴任して体育祭を見た時、すごい、こんな行事はほかにない、残すのが自分の務めだ、と強く感じました。願い通りに関われて本当に楽しかった。けれど伝統は一部の人たちでつないでいくものではない。今年は先生方が伝統を守ろうと一丸となりました。すばらしいことです。生徒たちも、コロナ禍から立ち直り始めた時の1年生が3年生になり、伝統をみんなで完全に継承しました。今、先生と生徒が同じ思いになっています。もう心配はありません」

富田教諭は来年度、念願の日本一周自転車の旅を計画しています。道中で行うのは、生徒たちと東住吉高校で取り組んできたネパール支援だそうです。

◇ ◇ ◇

【ヒガ君、スミちゃん】

2017年(平成29年)にPTAが制作したマスコットキャラクター。広報委員会が手描きし、広報誌やノボリ、タオルなどに活用しました。今回の体育祭デビューは、あのころ電子黒板などICT(情報通信技術)機器の寄付でPTAとご縁のあった安達首席が覚えていてくださったおかげです。当時PTA会長だった私としては、こんなところでもご縁が生きていて、とてもうれしく思いました。

2017年(平成29年)10月のPTA広報誌でデビューしたヒガ君とスミちゃん

会長だより ㉔ 未来への、あと一押し

(2024年5月9日)

未来への、あと一押し

緑友会長 川本正人(普通科21期)

母校では今、18日(土)に開かれる体育祭の準備が本格化しています。大型連休明けには、コロナ禍で中止が続いていた結団式が久々に行われました。昨年度は必要だった一般入場券も今年度は不要。かつて6つを数えた団は、少子化で昨年度に続き3団ですが、これはやむを得ません。まずは伝統行事の完全復活を喜びたいと思います。

新1年生にとっては初めての全校行事。普通科生は「70期」です。彼らが参加する体育祭は、母校創立70周年の祝祭でもあります。

緑友会が手掛ける創立70周年記念事業も正念場を迎えています。学校食堂の改修です。築61年、いまだに空調設備さえなく、老朽化する一方の施設を、多目的に活用できるにぎわい空間に一新する計画。この1年間、「(仮称)緑友ホールプロジェクト」と銘打ち、卒業生をはじめ各方面にご支援をお願いしてきました。思えば昨年度の体育祭でパネルを掲げ、チラシを配布したのが広報活動の始まりでした(会長だより⑫「支援の礎」)。

結果を申します。寄付金の目標額2000万円のうち、1600万円までメドが立ちました。会員の皆様からの浄財に加え、後援会「みどり会」とPTAから合わせて約1100万円のご協力を得られる見通しとなったからです。おかげさまでもう少しで目標額に届きます。あと一押しです。

体育祭の団が半分になるほどの少子化に加え、今年度から段階的に始まった私学の授業料無償化の影響で、公立高校の生徒数維持は急激に困難になっています。母校の末永い発展には、魅力ある教育環境づくりが欠かせません。

明るく楽しく積極的な高校生活が、人生をどれだけ彩り、生きる力を与えてくれるかを、私たちは知っています。「体育祭が近い」と聞いただけで母校に思いをはせる人が多いのも、あの時間と空間のかけがえのなさの証です。こういう全人的な学びのある高校こそ地球の未来のために残したい。そう思うのは私だけでしょうか。

皆様のお手元にお送りする6月1日発行の緑友会報に、昨年度同様、振込用紙を同封します。厚かましくて本当に申し訳ありませんが、事業の実現に向け、あと一押しのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

※この間の経緯は、近日中にこのホームページの「創立70周年記念事業」のコーナーでお伝えします。

改修後の学校食堂予想図

会長だより ㉓ 繁昌亭をわかせた同窓生トーク

(2024年3月10日)

繁昌亭をわかせた同窓生トーク

緑友会長 川本正人(21期)

話芸の聖地でこんな舞台が見られるとは思ってもみませんでした。上方落語を年中楽しめる天満天神繁昌亭で昨夜開かれた「上方林家 染二爛漫lot.32」。冒頭、染二さん(23期)ら母校出身の落語家4人が「高校同窓生トーク」を繰り広げたのです。校舎や食堂メニューの移り変わりなど一般の方々にはほとんど関係のない思い出交じりにもかかわらず、さすがは人気の実力者たち。10分間、会場に笑いと感嘆の声をあふれさせました。

私のいた1階153席はほぼ埋まる盛況。舞台には座布団が4枚。そこに染二さんが一人座って開幕です。「笑点のように並ぶ座布団。実は私どもが卒業しました大阪府立東住吉高校が今年70周年を迎え、本日出演者の皆さんは、それを考えたわけでもないのに全員同窓生なのでございます」と、いきなり出ました母校の名前。しかも「70周年」の冠付き。

染二さんの招きで登場したのは、若手の桂しん吉さん、桂團治郎さん、笑福亭呂翔さん。まずは卒業期数の自己紹介です。「私は23期生。しん吉さんは?」「普通科換算で40期、途中でできた芸能文化科2期です」と東住吉らしい数え方。続いて團治郎さんが「普通科換算で50期、芸能文化科12期」「ほお、23期はその半分やないか。で、呂翔さんは?」「私は普通科換算で60期」「ええっ!23期がものすごく干からびた感じになるなあ」「そうですね」「そうですねえ? 言うたな! ワシにも考えがあるで!」。卒期ネタでもわかせられるんですね。

話題は若手の師匠選びにも。「芸能文化科で落語を教えていたのはうちの師匠の4代目林家染丸。なのに林家には誰も入門しない」と苦笑する染二さんに、若手が「それは『生徒からは取らん』という話があったから。そのうちスゴい師匠に出会って……」と事情を説明。これに染二さんが畳みかけます。「うちの師匠よりスゴかったんやな」「米朝ブランドに揺らいだんやろ」。文字に起こすとキツそうですが、ナマでは師匠方への敬意が感じられました。

終盤は母校に在籍した有名人。女優の中条あやみさんやマナカナこと三倉茉奈さん、佳奈さんを挙げ、「会うたら『先輩やでえ』って言えるんです」と、こちらまでうれしくさせたうえで、「一番有名な人って誰?」と水を向ける染二さん。「そら今やったら中条あやみさん」と断言する若手を前に渋い顔となり、会場は大爆笑。そこで若手がすかさず「染二師匠が一番です!」。大きな拍手で締まりました。

◇ ◇ ◇

さて、この公演を知った私たち緑友会スタッフは、開演前、4人そろい踏みによる母校への創立70周年メッセージを録画させていただきました=写真=。約8分半。直前の打ち合わせのうえぶっつけ本番でしたが、一発OKでした。緑友会ホームページ初の動画として近く公開します。

また収録前には、来場者に配る公演案内チラシの挟み込み作業にもスタッフ5人で参加。あわただしい中で収録に快く応じて下さった皆様を少しでもお手伝いするつもりでしたが、やってみると文化祭の準備のような楽しいひと時になりました。母校の先輩後輩という間柄がそういう気持ちにさせたのかもしれません。皆様、本当にありがとうございました。

会長だより ㉒ 「日常」を取り戻してくれた君たちへ

(2024年3月3日)

「日常」を取り戻してくれた君たちへ

緑友会長 川本正人(21期)

1日に行われた普通科67期、芸能文化科29期、計265人の卒業式。その前日、式の予行の合間に、緑友会の入会式もありました。体育館に集まった生徒たちは、拍手を交えながら、会の話を朗らかに、しっかりと聞いてくれました。以下私からの歓迎のごあいさつを一部採録し、卒業生へのはなむけとさせていただきます。

◇ ◇ ◇

まず、皆さんにお礼を申し上げたい。母校によく、「日常」を取り戻してくれました。本当にありがとう。

皆さんが入学されたのはコロナ禍の真っただ中。伝統行事が中断し、登校もできず、私たちは「体育祭できるやろか」「卒業公演はどうやろ」「部活や授業は」と気をもんでいました。しかし今日を迎えてみると、皆さんはまるで、そんなことはなかったかのように明るく、これまで以上に母校を盛り上げ、伝統をつないでくれました。これは卒業生にとっても、すごくうれしいことです。

その卒業生は2万8000人超。ここまでになると、あらゆる分野、地域、年代でその存在を感じられます。例えば私は普通科21期生です。皆さんとご縁のあった21期生というと、代表は島本一彦先生。17年間、皆さんがお生まれになったころから母校の教壇に立っていました。いよいよこの春、担任をした皆さんと一緒に〝卒業〟されます。もう一人。年1、2回、進路講演会で近畿大学から来ている講師。「夢実現に向けて」と、楽しくためになる話をしていた彼も21期生です。私と同じハンドボール部でした。全国を飛び回る人気講師で、もうすぐ講演4000回を数えます。

このように、21期生に絞ってもすぐ1人2人の顔が浮かびます。それが66期生分いるのです。これはすごい財産です。

しかもこの卒業生たち、たくましくて、母校に愛着を抱いている人が多いです。私たちの母校は、「ぶっ飛んだ経験」「規格外の経験」ができます。例えば伝統行事に学年やクラスを越えて取り組み、力を合わせ、ぶつかり、延々と練習を重ねて一つの形にする。そして思いもよらなかった感動に包まれる。こうした経験です。勉強、スポーツ、技能の習熟に秀でた学校はありますが、それらの土台となる「人間力」を養う場を、全ての生徒に、何度も提供している学校は多くありません。

そして、私たち卒業生も全員、皆さんと同じ空間で、同じような経験をしています。私たちが年齢に関係なく母校を語れるのは、この共通体験のおかげなのです。そういう絆で結ばれた皆さんに、私たちは連帯感を持っています。何かあったら必ず味方になってくれるはずです。

これからの時代、大きな変化があらゆる分野で起きます。戸惑うこともあるでしょう。けれど島本先生に習った日本史でお気づきように、これまで「激動」でなかった時代はありません。常に課題があり、それを乗り越えて次代につなぐ、その繰り返しでした。

皆さんはすでに、皆で乗り越える経験をしています。たくましさも身に着けています。周囲には大勢の卒業生がいます。ですから自信を持って、明るく積極的に、時代に乗り出してください。

もちろん、私たちも応援しています。

会長だより ㉑ おいちゃんのお稲荷

(2023年11月14日)

おいちゃんのお稲荷

緑友会長 川本正人(21期)

食堂を営んでいたおいちゃん(64)は、5年前に奥さんをがんで亡くしました。親子遊びなど楽しい時間を提供するボランティアサークルで活躍した人でした。緩和病棟に入り、自分は何も口にできなくなってからも、夫の作るうどんやすしを家族やお見舞いの人々に食べてもらい、それをうれしそうに眺めていたそうです。

おいちゃんが2年前にキッチンカーを買ったのも、介護施設などで暮らす人たちに、出来立ての料理を食べてもらいたかったから。「あの時のヨメさんの顔が、忘れられへん」という理由です。

この11日(土)、母校の恒例行事「チャリティー100㎞リレーマラソン」に、そのキッチンカーがやってきました。40年間頑張ってきた店を5月末に閉じたばかりのおいちゃんが、緑友会の応援炊き出しに、ボランティアで参加してくれたのです。

藍染めの作務衣を着込んで車内にこもり、生徒たちに振る舞ったのは稲荷ずし。一皿2個で、1つにはカニかま、チーズ、べったら漬け、もう1つにはツナマヨ、しば漬け、しいたけ昆布、べったら漬けをのせた、若者向けのオリジナル。正午のスタートに先立ち、朝8時から延々6時間、1030個を黙々と詰め続け、順に走り終えた生徒たちが「うまっ」「おいしい」と一皿残らず平らげてくれました。

「ヨメさんの遺志を継ぐって言うたらたいそうやけど、あんなに喜んでもろて、やってよかったわ」とおいちゃん。旧友たちにそう呼ばれる21期生、堺市「志乃家」の出張料理人・伯井弘行さん、ごちそうさまでした! ホンマ、おおきに!

チャリティー100㎞リレーマラソンは、生徒たちが1周250㍍をリレーし、賛同した人々からの寄付金をネパールの子どもたちなどに贈る取り組みです。今年で18回を数え、緑友会も近年、コースわきにエイドステーションを設けて応援しています。これまでは市販の飲食品の提供でしたが、今回は「ライブ感のあるにぎわい空間づくり」「卒業人材の活用」というコンセプトを前面に、初めて炊き出しにしました。

提供したのはキッチンカーの稲荷ずし、大鍋の豚汁、デザートのミカン。すし米10升は会員4人が家で炊き、伯井さんの用意した酢などを合わせて持ち込みました。豚汁の野菜も3人が前日に刻んで1回分ずつ袋に小分け。当日は伯井さんと事務局の女性スタッフが揚げにすし米を詰め、この日初めて応援に来てくださった男女7人の21期生らがトッピング。豚汁はプロパン3本と五徳3基に携帯コンロも併用し、会の役員やスタッフが約500杯を出しました。

「縁は異なもの」と題した「会長だより①」から20回超。こうした取り組みを通じ、ご縁の大切さを一層強く感じるこのごろです。伯井さんの登場でチャリマラの風景が一変したように、2万8000人を超える卒業生がそれぞれの形で協力し合えば、緑友会は相当の力を発揮できるはず。伯井さんとの経緯を含め、さまざまなご縁、ご協力については、改めてご紹介します。
100kマラソン

会長だより ⑳ 「思い出」支援 ―― 平均75歳の霧ヶ峰再訪に寄せて

(2023年10月13日)

「思い出」支援 ―― 平均75歳の霧ヶ峰再訪に寄せて

緑友会長 川本正人(21期)

「モノより思い出。」というミニバンのキャッチコピーが出たのは1999年。バブル崩壊後の「失われた10年」真っただ中でした。あれから四半世紀。人生で一番やらなければならないことは「思い出の積み重ね」だと、年齢を重ねてますます思うようになっています。最期に幸福感をもたらすのは思い出です。それに思い出は「経験」とも言えます。打席に立つことで選球眼が磨かれるように、経験を積むほど人生を切り開く力は強まるはず。お金やモノと違い、失われることもありません。

学校時代の思い出に挙がる修学旅行。けれど東住吉高校では、創立以来30年近く、「霧ヶ峰キャンプ」が〝旅行〟の代わりでした。夏休み中の4泊5日、標高1600㍍の高原で学年丸ごと自活する全国でもまれな行事。寝場所は昔ながらの三角テント。周りにスコップで排水溝を掘り、水平とは言い難いデコボコの地面にロープとペグで設営しました。食事は飯ごう飯やカレー。まきが燃料です。飯ごうの火加減は「はじめちょろちょろ中ぱっぱ」。炊け具合は、小枝をふたに押し当てて感じるコトコトという響きと、お焦げのかすかな匂いで計りました。

多少の風雨ならそれもキャンプ。日中は登山や湿原散策、夜はキャンプファイヤー、そして星空……。太古の昔から、人類はほとんどの歳月をこのキャンプのように生きてきました。宇宙の悠久さ、自然の雄大さ、仲間たちとの一体感を全身に感じて過ごした昼夜は、「自分は小さい」と知る謙虚さと、「食べて眠れば生きていける」というしぶとい生き物感覚を呼び覚ましてくれたと思います。

車山山頂から望む八ヶ岳(正面)。右奥に富士山も浮かぶ(2023年10月、吉川憲司さん撮影)車山山頂から望む八ヶ岳。右奥に富士山も浮かぶ(2023年10月、吉川憲司さん撮影)

その霧ヶ峰を、先日、緑友会の役員ら3人を含む男女5人が2泊3日で訪れました。5期生3人(79~80歳)と16期生、18期生の混成チームで、平均75歳。この夏、同期生との食事会や緑友会の活動でそれぞれ霧ヶ峰が話題になり、互いのメンバーが結びついて「行ってみよう」となったそうです。最初は高校時代同様、大型バスを仕立てての再現旅行を計画しましたが、途中でハタと高齢に思い至り、安全優先で少人数に変更。母校の体育教師15年目の吉川憲司さん(68)(緑友会会計)運転のミニバンで7時間かけて現地入りし、メンバーの一人が63年間保存していたガリ版刷りの「しおり」を参考に行程を組みました。ホンマお元気や。

とはいえ、持病のある人は医師の許可を得ての参加。体調に配慮して一部の行程をホテルで過ごす人もありました。それでも一行は、高原の最高峰・車山(1925㍍)にリフトで上がり、日本アルプスの全景を望む360度の大パノラマを堪能。遠くの富士山にかかっていた雲も、「どっか行って!」「はよ行って!」の大阪弁に気おされたのか、やがてすっきり晴れてくれました。

メンバーの中には、高校当時、霧ヶ峰キャンプに行けなかった女性もいました。健康上の理由でした。彼女は今回、眠る同期生を部屋に残し、夜中に一人、ホテルを出たり入ったり。あの日見られなかった星空を、何とか一目と思われたそうです。長い間、ぽっかりぽっかり欠けたままだった思い出のピース。高原の夜風や流れ星は、ちゃんと届けてくれたでしょうか。

旅の楽しみは、計画段階、最中、行った後のそれぞれにあります。特に「行った後」の思い出は、いつでも何度でも楽しめる宝物です。

これは高校生活も同じだと思います。「卒業後」に残る青春の思い出が、たとえそれが苦いものであっても、決して無駄にならないことを、生きる力になることを、先ほどのメンバーたちが示してくださっています。

緑友会は、同窓会活動とともに「母校支援」を活動の柱にしています。後輩たちにさまざまな思い出を積み重ねてほしいからです。ご支援を募っている「(仮称)緑友ホールプロジェクト」もその一つ。いまだに空調機がなく、昼食時以外は施錠されている薄暗い学校食堂を「にぎわい空間」に改修する計画です。

完成目標は創立70周年の来年夏。生徒たちが明るく楽しく積極的にすごせる環境を少しでも整え、それがご支援くださった卒業生たちの思い出にもなればいいな、と思っています。

会長だより ⑲ 惜し、夏

(2023年9月18日)

惜し、夏

緑友会長 川本正人(21期)

 

昨日、二上山に登ると、ツクツクボウシがあちこちで鳴いていました。秋の気配を運ぶその声を、いにしえの人々は「つくづく惜し」と聞き、行く夏を惜しんだそうです。

今夏、酷暑と災害に見舞われ続けた現代人は、とてもそんな気持ちにはなれないでしょう。けれど私には一つだけ、「惜し」と思うことがあります。来年の母校創立70周年に向け、みなさまから広くご支援を募ろうと導入した2,000円定額の「コンビニ振込」が8月末で終了したのです。決済システム会社との取り決めによるものですが、大勢の方々にご利用いただいていただけに、もっとPRできなかったか、期間を交渉できなかったかと、心残りです。

7月の「だより⑮」の続きですが、今年度のご支援は、9月初めまでの5か月間で312万1,360円。昨年度1年分の2倍半になりました。件数は966件。これは4倍です。

金額の4割(117万2,000円)、件数の6割(586件)を占めたのが、6月から3か月間限定だったコンビニ振込。会報と一緒にお送りしたお名前入りの用紙をコンビニに持っていくだけで、会則で定めた応援会費1年分と同じ2,000円を送金でき、ご支援のすそ野が一気に拡がりました。一方、郵便振込によるご支援もグンと伸びました。高額のご厚志に加え、コンビニ振込用紙が郵便局でも使えたことから2,000円のご支援も増加。郵便振込だけで昨年度1年分の合計金額、件数を優に超えたのです。

今年度導入した「同窓会システム」では、ご支援金の内訳をさまざまな切り口で取り出せます。データを卒期順に並べるとグラフのようになりました。折れ線グラフは「金額」、棒グラフは「件数」です。

ご覧の通り、30期生前後(50歳代半ば)より上の世代はしっかり厚く、それより若い世代では一気に薄くなっています。人生の四季で言えば「青春・朱夏」と「白秋・玄冬」の間、ツクツクボウシの声聞くころが境目です。暮らしに多少とも余裕が生まれ、来し方に思いをはせる時期に当たるからでしょうか。

ちなみに金額でトップだったのは21期生(63~64歳)。49件、22万4,000円でした。私の期です。といっても転勤族だった私は級友たちと没交渉。起爆剤となってくれたのは、忘年会などで唯一つながっていた元ハンドボール部の仲間でした。ミニ同期会「バーベキュー大会in長居公園」を企画していた彼は、6月初め、参加者向けのLINEに一言添えてくれたのです。

「別件。お手元に緑友会報が届いているかと思います。会長に頼まれた訳ではないけど、応援してあげて下さい」

それからは「親子で振り込んだ」「ワシも行ってきた」といった報告が続々。バーベキューは雨予報で延期となりましたが、ご支援の方は夏嵐。全卒期を通して最も大口のご寄付もありました。みなさん、ホンマ、ありがとう。

クチコミの威力、ご縁の可能性はすごいです。みなさまもご友人へのお口添えを、ぜひお願いします。

さて、創立70周年に向けた取り組みはあと1年続きます。二上山のように次のピークを作っていくのが私たちの課題。どうしようかと考えながら下山していたら、ツクツクボウシが応援合唱を始めました。

〽 つくづく奉仕 / 続々押―し / すくすくよーし / あぁ、いーよ / 尽くしーよ / しっかりーよ / イェーッ!……。